ホントかどうか知らないが、昔、ドイツ語には「懐かしい」
という言葉がないと聞いた事がある。もし本当ならドイツの人は、
昔を懐かしむという事はしないのだろうか?
往々にして「思い出」というのは全てにおいて美化され、
それ以外は「笑い話」となる。振り返ってみると「笑い話」
は多いが美化された「思い出」というのが中々思い出せない。
うーん。。。
そんなものかな。言われてみればいくつか出た学校の卒業アルバムの
所在も不明だし、卒業式でもらってからただの一度も明けた覚えがない。
高校を卒業時に「同窓会委員」なるものに任命されたが、
結局、自分がやらないので、ほとんど開催されていない。
結局、自分に「思い出」が余りないのは、それらの事象が
コンプリートできない事が多くで、ただ単に不自然に、
意識的に「忘れよう」として、自ら「笑い話」にしている
のだろうな。人間には「忘れる」という便利なFunctionが
あるのだが、時として作動してくれないことが多い。
最近は、特に錆付いて作動してくれないことが多いような気がする。
という言葉がないと聞いた事がある。もし本当ならドイツの人は、
昔を懐かしむという事はしないのだろうか?
往々にして「思い出」というのは全てにおいて美化され、
それ以外は「笑い話」となる。振り返ってみると「笑い話」
は多いが美化された「思い出」というのが中々思い出せない。
うーん。。。
そんなものかな。言われてみればいくつか出た学校の卒業アルバムの
所在も不明だし、卒業式でもらってからただの一度も明けた覚えがない。
高校を卒業時に「同窓会委員」なるものに任命されたが、
結局、自分がやらないので、ほとんど開催されていない。
結局、自分に「思い出」が余りないのは、それらの事象が
コンプリートできない事が多くで、ただ単に不自然に、
意識的に「忘れよう」として、自ら「笑い話」にしている
のだろうな。人間には「忘れる」という便利なFunctionが
あるのだが、時として作動してくれないことが多い。
最近は、特に錆付いて作動してくれないことが多いような気がする。
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