去年、中日ドラゴンズ・山田久志監督が突然の解任の折、
当時解説者だった鈴木孝政氏が
責任を「取る」のは監督の仕事です。
しかし、責任が「ある」のは選手なのです
という発言をした。実に明快なコメントである。
「まったく、その通り」と何度も頷いた記憶がある。
しかし、数多の会社では、その意識は薄く、責任の所在が
アヤフヤになり、結局時間が経てば、なかったことになる
ケースが多い。これに慣れてしまうと、
責任感なんて言葉が消滅していくのだが。
では、責任感とは何であろうか?その仕事や事柄を
遂行する責任、そして成否の有無に関わらず完成した
ことに対する事であると考える。今日、車を運転しながら
自分すべきこと、しなければならない
という事を考えてみた。
余りにありすぎてうんざりしてしまうな。
当時解説者だった鈴木孝政氏が
責任を「取る」のは監督の仕事です。
しかし、責任が「ある」のは選手なのです
という発言をした。実に明快なコメントである。
「まったく、その通り」と何度も頷いた記憶がある。
しかし、数多の会社では、その意識は薄く、責任の所在が
アヤフヤになり、結局時間が経てば、なかったことになる
ケースが多い。これに慣れてしまうと、
責任感なんて言葉が消滅していくのだが。
では、責任感とは何であろうか?その仕事や事柄を
遂行する責任、そして成否の有無に関わらず完成した
ことに対する事であると考える。今日、車を運転しながら
自分すべきこと、しなければならない
という事を考えてみた。
余りにありすぎてうんざりしてしまうな。
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