大坂夏の陣

2005年2月27日 日常
時代劇専門チャンネルの真田太平記が佳境である。早いもので今日の放送で幸村は、家康本陣を切り崩すも、最期は安居神社で自刎する。誰に聞いただが、読んだかは忘れたが、徳川家康という武将は恐ろしく勝率が高かったらしく、本陣を切り崩されたのは、生涯で2〜3回しかなかったという。

「判官びいき」という言葉があるが、これは義経のこと。この幸村も何の利もない大坂方に付き、ただ徳川家康の首を取るだけために戦った武将であったという。しかし結果は戦う前から大勢は決していた訳で、それでも後世に語り草にされるという事は、やはり義経にしろ幸村にしろ日本人の気質にあった人物であったのではなかろうか。

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