自分に決定権のないことは気にしない
2005年2月28日 日常同僚が退職することとなった。理由ははっきり聞いていないが家族の事らしい。この同僚は採用地が大阪だったのだが、会社都合で2年半前に東京に出てきた。しかし、奥さんが不慣れな土地で、色々と苦労があったらしく、この春、神戸に帰ることになった。当社は大阪にも拠点があるし、異動を勧めたのだが「異動してまで、残る気はない」とのことで退職に至ったらしい。そして、同僚は、先週、神戸の住居を決めてきたとのこと。家賃は月11万円。この同僚は自分と同年次で同じタイトルであるから、給与もほぼ同じ。それを考えると、奥さんと子供の3人で11万円の家賃負担は、相当重いと思われる。それはさぞかし、いい就職先が決まったのかと思いきや、全然決まっていないらしい。
昼休み、その件で、他の同僚を交えて色々と話す。「早く、就職先を決めた方がいい」とか「本当に大丈夫か?」とお決まりの会話が進む。しかし、その一方でとある事に気が付く。我々はあくまで「外野」でとやかく言ったとしても最後は本人が決断すること。色々と、その同僚に言って(アドバイスして)無駄という事ははないが、所詮、外野であることには代わりないという事に気がつく。
昔、とある友達が「自分に決定権のないことは気にしない」と言っていたが、まさしくそれ。ごちゃごちゃ言った所で、いわば自分には関係ないことで、最低限「辞めてもがんばれよ」くらい言えればいいようにも思えてきた。こんな書き方をしていると、非情のようにも思えるが、外野からしてみれば、当人達の事情を全て知っている訳ではなく、多くが傍観者な訳で「ここしろ、ああしろ」というのはお節介だと思う。
ものごとをシンプルに考え出すと、実はこのような結論に達するのではないかと最近思う。でも何も言わない事こそ、その人の為である場合もあると最近、実感する。むしろ「色々とアドバイスしてくれ、それで考えるから」と言われる方が、余計な責任感を背負わされるようで、勘弁願いたい。
昼休み、その件で、他の同僚を交えて色々と話す。「早く、就職先を決めた方がいい」とか「本当に大丈夫か?」とお決まりの会話が進む。しかし、その一方でとある事に気が付く。我々はあくまで「外野」でとやかく言ったとしても最後は本人が決断すること。色々と、その同僚に言って(アドバイスして)無駄という事ははないが、所詮、外野であることには代わりないという事に気がつく。
昔、とある友達が「自分に決定権のないことは気にしない」と言っていたが、まさしくそれ。ごちゃごちゃ言った所で、いわば自分には関係ないことで、最低限「辞めてもがんばれよ」くらい言えればいいようにも思えてきた。こんな書き方をしていると、非情のようにも思えるが、外野からしてみれば、当人達の事情を全て知っている訳ではなく、多くが傍観者な訳で「ここしろ、ああしろ」というのはお節介だと思う。
ものごとをシンプルに考え出すと、実はこのような結論に達するのではないかと最近思う。でも何も言わない事こそ、その人の為である場合もあると最近、実感する。むしろ「色々とアドバイスしてくれ、それで考えるから」と言われる方が、余計な責任感を背負わされるようで、勘弁願いたい。
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