会社帰りの乗換駅にて。卒業式シーズンという事で、やたらにスーツやら袴姿の学生が多い。もうどこかの学校に属して卒業式に出るなんて事は、まず、この先、自分がどこかの学校に入って卒業するなんてことはないだろうなという事に気がつく。とすると「卒業式」というのは人生の最初の方で、あらかた終わってしまうのだな。
自分の卒業式の思い出(?)というのは中学の卒業式。今、思えば、式が終わって教室に戻って先生の最後の話を聞いたら、唐突に周りの女の子達が、ワンワン泣き始めて
「ああ、なんか卒業式ってこんなだよなぁ」
と感じたことを覚えている。一通り先生の話が終わると、同級生全員と握手して学校を後にした。特に中学時代がすごく印象深いという訳ではなかったが、なんたが凄く強烈に印象に残っている。逆に高校だの、専門学校だのというのは、卒業式後にバカ騒ぎしたという思い出はあるが、式や直後の教室の様子というのは、まったくと言っていいほど覚えていない。
卒業式の重要性に気が付くのは、多分、大人になってからではないかと思う。学生時代は、どんどん新しいことに驚き、試して、失敗しての繰り返し。つまり卒業しても、「この先には何かもっと知らないことがある」という思い、陳腐な言い方だと「希望」みたいなものが口には出さないが思いが強いと思う。でも、働きだすと、これといって同じようなルーチンで、同じような人とずっと仕事をしていると、仕事に対する成熟度はどんどん上がるかもしれないが、それ以外のことは希薄になっていくのではないだろうか。そこで、自分が学生時代に卒業した時のことを思い出すと、それが、節目として具現化したものだという重要性だという事につく。こんな感じかな。
自分の卒業式の思い出(?)というのは中学の卒業式。今、思えば、式が終わって教室に戻って先生の最後の話を聞いたら、唐突に周りの女の子達が、ワンワン泣き始めて
「ああ、なんか卒業式ってこんなだよなぁ」
と感じたことを覚えている。一通り先生の話が終わると、同級生全員と握手して学校を後にした。特に中学時代がすごく印象深いという訳ではなかったが、なんたが凄く強烈に印象に残っている。逆に高校だの、専門学校だのというのは、卒業式後にバカ騒ぎしたという思い出はあるが、式や直後の教室の様子というのは、まったくと言っていいほど覚えていない。
卒業式の重要性に気が付くのは、多分、大人になってからではないかと思う。学生時代は、どんどん新しいことに驚き、試して、失敗しての繰り返し。つまり卒業しても、「この先には何かもっと知らないことがある」という思い、陳腐な言い方だと「希望」みたいなものが口には出さないが思いが強いと思う。でも、働きだすと、これといって同じようなルーチンで、同じような人とずっと仕事をしていると、仕事に対する成熟度はどんどん上がるかもしれないが、それ以外のことは希薄になっていくのではないだろうか。そこで、自分が学生時代に卒業した時のことを思い出すと、それが、節目として具現化したものだという重要性だという事につく。こんな感じかな。
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