「忙しい」という言葉が嫌い。なんたが「忙しい」と言ってしまえば、免罪符になるような気がしてならないからだ。確かに色々なことが一気に舞いこんで、「忙しい」という状態はある。そういった時には「今は、無理だけど」というようにしている。「忙しい」といってしまえば、その依頼から解放されることは多いのだが、なんだか自分が順序だてて物事を進捗できないように思えてならないし問題の先送りをしているような気がしてならない。

似た(?)ような話で「苦労している」というような現在進行形の話がある。実はこれも余り好きではない。この「苦労」というのは全てにおいて、終わってみれば「苦労していた」という過去形ではないかと考える。そして、それらの多くの「苦労」は糧として、その後の困難を乗り越えてきているのではないかと思う。一度経験した事というのは、二度目のとなると、一度目というほどではないということ。よく、初めて知らない人の家に行くと、やたら時間がかかったような気になるが、それ以降は感じないというのと同じではなかろうか。
だから、たくさん「苦労した」と思われる人と話すと、実にためになる。反対に、その時々を、誰かの助けだけを頼りに飄々と生きてきて、なんとなく今に至っている人と話すと、薄っぺらく余り魅力を感じない。それは言葉にできない話で、言葉の使い方、選び方、考え方に如実に現れる。

「忙しい」も「苦労している」のうちだと考えると2つは親戚みたいな話で、その瞬間を辛いものだとだけ考えれば、どんどん暗闇に沈んでいくだろうが、むしろ、来るべき困難に際しての「準備段階」または「先に買っておく」という備えだと少しでも思えば、多少ではあるが、救われるように思えないであろうか?そう考えると意外と楽になることも多い。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索