生きていれば、いずれ近き日に、おもしろいこともありましょう
2005年5月21日 読書遊戯時代劇専門チャンネルの「真田太平記」は日々の楽しみとなっている。2度目の再放送だが、何度見ても面白い。最近では昔買った小説「真田太平記」を通勤途中で読んでいるくらいだ。一昨日の放送は、関が原の戦いで、敗者西軍の諸大名に処分が言い渡されるという回。真田家は真田昌幸が西軍についたが、長男の真田信幸(信之)は本田平八郎忠勝の娘・稲姫を嫁としており、分家は東軍と数奇な運命となっていた。つまり、勝者が信幸、敗者が真田昌幸と次男の真田幸村が敗者という図式となる。そして徳川方は真田親子に切腹を命ずるが、これを信幸の岳父である本田平八郎が家康に「真田親子の命乞い」直談判、結果として高野山に閉居に。その知らせを聞いた真田幸村は切腹覚悟だった昌幸に対し
生きていれば、いずれ近き日に、おもしろいこともありましょう
と一言。実際、真田安昌幸は、その後、世に出てくるなく高野山で生涯を閉じるのだが、真田幸村は高野山を出奔し大阪冬の陣、夏の陣でその名をあげる。
「生きていれば、おもしろいこともある」ここで、なるほどなぁと思うのが「おもしろいこともある」という事。普通は「いいこともある」という言い回しだが、真田幸村を上手く描写した池波正太郎ならではないかと思う。
生きていれば、いずれ近き日に、おもしろいこともありましょう
と一言。実際、真田安昌幸は、その後、世に出てくるなく高野山で生涯を閉じるのだが、真田幸村は高野山を出奔し大阪冬の陣、夏の陣でその名をあげる。
「生きていれば、おもしろいこともある」ここで、なるほどなぁと思うのが「おもしろいこともある」という事。普通は「いいこともある」という言い回しだが、真田幸村を上手く描写した池波正太郎ならではないかと思う。
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