価値観

2005年6月8日 日常
余りテレビは見ないのだが、たまに芸能人の結婚会見などを見ていると、「価値観が同じ」と言った類のことを耳にする。逆に離婚会見を見ていると「価値観が変わって来た」というようなことを聞く。もちろん、言いたくない事情があるにせよ「ある程度」はお決まりの文句のようにも思える。だから、この場合における「価値観」という単語には、大した意味は込められておらず、単に使われやすい言葉だと思う。

そもそも「価値観」などというのもは、人間が社会生活を形成する上での最低限のルールを除いては、多かれ少なかれ変化して当然ではなかろうか。特に人が描き口にする価値観というものは、感情によってコントロールされる部分も少なくない。

 1年前はAというタレントが好きだったが、今はAよりBが好き

と思うことなんて、日々を普通に送って行ってだって当たり前である。とすれば、芸能人が結婚した時、あるいは一定期間、お互いの価値観が同じ時期があったとしても、お互い、同じ具合に変動すればいいが、そうでない場合は価値観が変わって行くのは当然のこと。では、それらのギャップをどう埋めるかといえば、自分の価値観を持ちつつ、

 許容範囲

も同時に持つことではないかと思う。しかしながら、この許容を多く取り過ぎると逆に主体性というものが段々と希薄になる。したがって自分の価値観と許容範囲のバランスが優れている人こそ、人として魅力があると思う。

自分の価値観主張し、相手に対して「断固反対」のようなパフォーマンスをとる人、全て相手の価値観に自分を合わせてしまう人、自分の価値観は守るべき所まで譲歩し相手の要求を汲み入れる人。どれがいいかは言うに及ばないが、今、自分がどこのポジションに属しているのか、この見極めというを常に持っている事が大事ではなかろうか。ひょっとしたら、この根本的な考え方が「価値観」ではないか?

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