愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春
2005年6月12日 読書遊戯
寝る前にパラパラとチャンネルを変えていると、HistoryChannelにて
20世紀のファイルから
マンガがすべてだった・「トキワ荘」の頃
http://www.historychannel.co.jp/original/contents.html#20c
というかなり興味深い番組を発見。トキワ荘とは藤子不二雄A著の「まんが道」や他の関連書籍・漫画・映画では、若き藤子不二雄、赤塚不二夫、石森章太郎(石ノ森)といった、後に超メジャーとなる漫画家が苦楽をともにした若き日の漫画家達の梁山泊。そして、そのトキワ荘の物語で、彼らが口をそろえて「兄貴」と慕う人物こそ寺田ヒロオ氏、通称:テラさん。トキワ荘と名の付く物語で、テラさん抜きで語ることは出来ない。しかしながら、それだけの重要人物でありながら、漫画家としては、他の漫画家に比べると、それほど世に出てきた訳ではない。むしろ、静かに消えていったといってもいい。ちょうど、HistoryChannelでは、この寺田ヒロオ氏にスコープを当てた番組を放映していた。
番組によれば、寺田はトキワ荘の藤子不二雄等、漫画家がどんどんとヒット作を打ちたてる中、自らの信念で描く漫画と時代を席捲する漫画とのギャップに苦しんでいたという。番組中に出てきた寺田の言葉を借りれば、それらは「えげつなく」なってきたとも言う。そもそも寺田ヒロオという漫画家は「友情」や「スポーツマン精神」を漫画を通じ、子供たちに伝え、夢を与え続けたという。そして、一時期は月に11本の連載を抱えて来た寺田もギャップに耐え切れなくなり33歳という若さで一線を退いたそうだ。そして、以後は人に会わなくなり、彼の長い晩年が始ったとされる。
時系列は進み1990年。石森章太郎、藤子F不二雄、藤子不二雄A、鈴木伸一が寺田が住む茅ヶ崎を訪れた。そして明くる日、藤子不二雄Aが寺田家に礼の電話をした所、寺田の妻が出て「もう、皆様と会うこともないし、電話に出る事もない」と断られたそうだ。その時の様子を藤子不二雄Aは
テラさんのどこかで決断が入り、緩慢な自殺を図った
と語る。自ら描きたい漫画は時代によって「古い」評され、「えげつない」と自らが評した漫画はかつてのトキワ荘の仲間が書き世に踊り出ている。これらのギャップに苦しんで何十年ももがき苦しんだのだ。そして、かつてのトキワ荘の仲間が昔のように一同に会し騒ぎ、それを最後に彼自身に「決断」が入った。藤子不二雄Aは、
それは、それでよかったのではないかと思う
テラさんらしい選択ではないか
と語る。自分の信念で、このような決断になったという言うことは、ある種、うらやましいとさえ言っていた。
非常に考えさせられる話である。自分の信念で、自分の生き様をここまで押し通す人は中々いない。この寺田ヒロオの人生の大半は葛藤ばかりであったと推察できるが、中々、かつて苦楽をともにした仲間との関係を断ち切るというのは勇気がいるし、それにそこまでの信念が自分にあるか?と訊ねられれば、間違いなくない。このような生き方は寺田ヒロオという人間だからできるのではないか。
藤子不二雄A著の「まんが道」という漫画は、高校時代に読んだ記憶があり、今でも大事に本棚に置いてある。自分が持っているそれは、未完で終わっているが、色々とWebで調べていると、どうらや続編が出ているようなので、簡単に影響されてAmazonで購入。週末には、10数年の時を経て満賀道雄、才野茂、そしてテラさんといってトキワ荘の住民に会うことができそうだ。
20世紀のファイルから
マンガがすべてだった・「トキワ荘」の頃
http://www.historychannel.co.jp/original/contents.html#20c
というかなり興味深い番組を発見。トキワ荘とは藤子不二雄A著の「まんが道」や他の関連書籍・漫画・映画では、若き藤子不二雄、赤塚不二夫、石森章太郎(石ノ森)といった、後に超メジャーとなる漫画家が苦楽をともにした若き日の漫画家達の梁山泊。そして、そのトキワ荘の物語で、彼らが口をそろえて「兄貴」と慕う人物こそ寺田ヒロオ氏、通称:テラさん。トキワ荘と名の付く物語で、テラさん抜きで語ることは出来ない。しかしながら、それだけの重要人物でありながら、漫画家としては、他の漫画家に比べると、それほど世に出てきた訳ではない。むしろ、静かに消えていったといってもいい。ちょうど、HistoryChannelでは、この寺田ヒロオ氏にスコープを当てた番組を放映していた。
番組によれば、寺田はトキワ荘の藤子不二雄等、漫画家がどんどんとヒット作を打ちたてる中、自らの信念で描く漫画と時代を席捲する漫画とのギャップに苦しんでいたという。番組中に出てきた寺田の言葉を借りれば、それらは「えげつなく」なってきたとも言う。そもそも寺田ヒロオという漫画家は「友情」や「スポーツマン精神」を漫画を通じ、子供たちに伝え、夢を与え続けたという。そして、一時期は月に11本の連載を抱えて来た寺田もギャップに耐え切れなくなり33歳という若さで一線を退いたそうだ。そして、以後は人に会わなくなり、彼の長い晩年が始ったとされる。
時系列は進み1990年。石森章太郎、藤子F不二雄、藤子不二雄A、鈴木伸一が寺田が住む茅ヶ崎を訪れた。そして明くる日、藤子不二雄Aが寺田家に礼の電話をした所、寺田の妻が出て「もう、皆様と会うこともないし、電話に出る事もない」と断られたそうだ。その時の様子を藤子不二雄Aは
テラさんのどこかで決断が入り、緩慢な自殺を図った
と語る。自ら描きたい漫画は時代によって「古い」評され、「えげつない」と自らが評した漫画はかつてのトキワ荘の仲間が書き世に踊り出ている。これらのギャップに苦しんで何十年ももがき苦しんだのだ。そして、かつてのトキワ荘の仲間が昔のように一同に会し騒ぎ、それを最後に彼自身に「決断」が入った。藤子不二雄Aは、
それは、それでよかったのではないかと思う
テラさんらしい選択ではないか
と語る。自分の信念で、このような決断になったという言うことは、ある種、うらやましいとさえ言っていた。
非常に考えさせられる話である。自分の信念で、自分の生き様をここまで押し通す人は中々いない。この寺田ヒロオの人生の大半は葛藤ばかりであったと推察できるが、中々、かつて苦楽をともにした仲間との関係を断ち切るというのは勇気がいるし、それにそこまでの信念が自分にあるか?と訊ねられれば、間違いなくない。このような生き方は寺田ヒロオという人間だからできるのではないか。
藤子不二雄A著の「まんが道」という漫画は、高校時代に読んだ記憶があり、今でも大事に本棚に置いてある。自分が持っているそれは、未完で終わっているが、色々とWebで調べていると、どうらや続編が出ているようなので、簡単に影響されてAmazonで購入。週末には、10数年の時を経て満賀道雄、才野茂、そしてテラさんといってトキワ荘の住民に会うことができそうだ。
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