葬儀も無事に終わりお清めの食事。終わってみれば「あっ」という間だったけど、祖母が亡くなった土曜日の夜から今日まで、長い長い1日がずっと続いていたようにも思える。緊張感が解けた場で久しぶりに会う従兄弟と色々と話をしたのだが、考えてみれば、近くに住んでいる親戚であっても、冠婚葬祭でもないと会う機会などない。また、葬式以外の法事であったり結婚式の場合はMastではないから、親戚縁者が一斉に会するという事など、ほとんどない。従って、同じ従兄弟であっても、小学校より前のまま記憶が止まり十数年ぶりに会うと、高校生になっていたり、また働いていたりする。皆、葬式でもなければ、街で会っても気づきそうもないくらいの変わりようだ。
会場から自宅に戻って、親族だけで軽い慰労会。ああでもない、こうでもないと話ながら、延々続いたのだが、叔父夫妻が帰るというので車で送って行く事になる。叔父の自宅について「お疲れ様」と言った所、久しぶりだから寄っていけといわれ、上がりこむ。色々と話は出たのだが、どこの家庭もという訳ではないが、最後は親戚付き合いというのは難しいという話になる。確かにその通り。実の兄弟は血がつながっているし、ある程度、我慢は効くだろうが、その配偶者にしてみれば、言ってしまえば「他人」であり、親戚同士の案件自体は大概、家を建てるとか、相続とか、大きいため一度、関係が崩れると、場合によっては、修復不可能となる。また、友人・知人と違い、縁を切るという事も出来ない。それが何十年も積み重なれば、大変なストレスとなり、自然とその子供たちも疎遠になる。その典型が、うちの母親で、今だに×のようで、自分の子供の頃から、親戚付き合いを完全にドロップアウトしてしまった。慰労会の中で誰かが
喪服の時だけ、顔をあわせるのではなく、
従兄弟会を結成して集まろう
というような話も出ていたが、中々、難しいだろうと思う。個別に気が合う人もいれば、いない人だっている。前述の通り親の影響だってある。血肉を分けた縁者であっても、それは仕方のないこと。
亡くなった祖母には、5人の子供と11人の孫、さらに9人のひ孫がいた。慰労会の中で、酔っ払った義理の叔父が「これからは、お前がこの家をまとめていかなければならない」みたいな話をされた。好むと好まざるとに関わらず、その時期は近い。仕事ではないが、やらなければならない。というより、辞めるという事は決して許されないのは事実であり、進むべき選択肢は、限りなく1つしかないとも思われる。
会場から自宅に戻って、親族だけで軽い慰労会。ああでもない、こうでもないと話ながら、延々続いたのだが、叔父夫妻が帰るというので車で送って行く事になる。叔父の自宅について「お疲れ様」と言った所、久しぶりだから寄っていけといわれ、上がりこむ。色々と話は出たのだが、どこの家庭もという訳ではないが、最後は親戚付き合いというのは難しいという話になる。確かにその通り。実の兄弟は血がつながっているし、ある程度、我慢は効くだろうが、その配偶者にしてみれば、言ってしまえば「他人」であり、親戚同士の案件自体は大概、家を建てるとか、相続とか、大きいため一度、関係が崩れると、場合によっては、修復不可能となる。また、友人・知人と違い、縁を切るという事も出来ない。それが何十年も積み重なれば、大変なストレスとなり、自然とその子供たちも疎遠になる。その典型が、うちの母親で、今だに×のようで、自分の子供の頃から、親戚付き合いを完全にドロップアウトしてしまった。慰労会の中で誰かが
喪服の時だけ、顔をあわせるのではなく、
従兄弟会を結成して集まろう
というような話も出ていたが、中々、難しいだろうと思う。個別に気が合う人もいれば、いない人だっている。前述の通り親の影響だってある。血肉を分けた縁者であっても、それは仕方のないこと。
亡くなった祖母には、5人の子供と11人の孫、さらに9人のひ孫がいた。慰労会の中で、酔っ払った義理の叔父が「これからは、お前がこの家をまとめていかなければならない」みたいな話をされた。好むと好まざるとに関わらず、その時期は近い。仕事ではないが、やらなければならない。というより、辞めるという事は決して許されないのは事実であり、進むべき選択肢は、限りなく1つしかないとも思われる。
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