誰でも知っている大学の法学部卒の友人と話。司法試験に合格したら弁護士という道があるが、勿論、検事になったり裁判官になったりする。ただ、弁護士は業務上で何度も接触する機会はあるが、さすがに検事や裁判官の知合いはいない。そんな話をしていた所、検事はともかく、裁判官というはどのうよになるのか?という質問をした所、司法試験に合格した中のさらに成績優秀者が裁判官になるケースがほとんどだそうだ。
つまり、超がつくエリート
しかし、友人曰く、これには問題があるという。そもそも、民事はともかくとしても、刑事事件は言うなれば世の底辺の事件を裁くケースがほとんど、それを裁く多くの裁判官は限られた世界の中で、どんどんと「ふるい」にかけられて残った人だから、「底辺」など、まるで見た事も想像すらもした事がないそうだ。それでいて判決を出すというのは、いささか問題ではないかという事。
確かに、法は法としても、バックグラウンドの背景を知らない人が公正な判決を下せるのだろうか?という疑問はついて回る。以前に聞いた話では、被告だか、証人だかが、
赤ちょうちん(居酒屋)
という単語を出したはいいが、裁判長が「それは何ですか?」という質問があったとか。自分がその裁判の当事者だったら、そんな人のお裁きは受けたくないなぁというのが本音。昨今言われている陪審員制度というのも、これらの原因があるのだろうか?元来、人が人を裁くというのは不可能だとは思うが、遠山の金さんみたいな人というのも問題あるだろうな。
それより最高裁判所の裁判官の信任投票。この判断基準はまったくない。
つまり、超がつくエリート
しかし、友人曰く、これには問題があるという。そもそも、民事はともかくとしても、刑事事件は言うなれば世の底辺の事件を裁くケースがほとんど、それを裁く多くの裁判官は限られた世界の中で、どんどんと「ふるい」にかけられて残った人だから、「底辺」など、まるで見た事も想像すらもした事がないそうだ。それでいて判決を出すというのは、いささか問題ではないかという事。
確かに、法は法としても、バックグラウンドの背景を知らない人が公正な判決を下せるのだろうか?という疑問はついて回る。以前に聞いた話では、被告だか、証人だかが、
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という単語を出したはいいが、裁判長が「それは何ですか?」という質問があったとか。自分がその裁判の当事者だったら、そんな人のお裁きは受けたくないなぁというのが本音。昨今言われている陪審員制度というのも、これらの原因があるのだろうか?元来、人が人を裁くというのは不可能だとは思うが、遠山の金さんみたいな人というのも問題あるだろうな。
それより最高裁判所の裁判官の信任投票。この判断基準はまったくない。
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