明徳義塾高校野球部が部員の喫煙と暴力事件で、組み合わせ抽選後に出場辞退という異例な結果となった。もちろん、誰かが差したのだけろうが、喫煙はともかくとしても、暴力事件とはいったいどれくらいのものだったかと考える。無論、報道されているような内容の数倍の事が起こっていたのは、容易に推測ができるが、多かれ少なかれ、そんなことは、どこの学校でも行われてるのではないかとも同時に思う。やはり、学校の取り巻く環境によって、表に出るか出ないかという事なんだろうな。
自分は中学時代は剣道部に所属していたのだが、剣道というスポーツは本当に辛い。冬は凍えるような寒さの中、素足で稽古をしなければならないし、夏は夏で信じられないくらい汗をかき、足の一面に大きな水ぶくれが出来て、マメとなる。しかももれなく重い防具をつけなければならない。この時期の剣道部の稽古というは、本当に辛かった。今でこそ、母校に武道館なる専用の建物があるが、当時は体育館での稽古。他の部との兼ね合いもあり、半分は他の部活、半分は剣道部というような使い方をしていた。で、問題は一緒に練習をする他の部活。これが、バスケット部とかバレー部ならよい。バトミントン部、卓球部となると、体育館を全て締め切らなければならない。夏の暑い時期に体育館を締め切って防具をつけて稽古するというのは、稽古というより修行に近かった。そんな話を昼休みに同僚としていたのだが、部は違えど、自分と同じように今では絶対に「やらない、やらせない」ようなことを経験してきたのだ。
絶対に「やらない、やらせない」といえば、夏場の練習中の小休止で先輩から「水を飲むな!」とよく言われた。これは汗をかき、疲労進捗が早くなるからだという事(らしい)しかし、今では考えられない話だろう。ただ、それで熱中症になったとか日射病になったという話は余り聞かなかったように思える。夏場の運動中に水分補給もしないで、皆、無事でいられるというのは何故だったのだろうか?と今更ながら思う。これが根性なのか?とすると、皆、根性があったという事か?
昔の自分は凄かった。
こんなことを書く時点で、歳をとった証拠でもあるが、本当に昔の自分は凄いと思う。勉強も然り。大して勉強をしていた訳ではないが、何時間も机にかじりついているという行為だけでも、今思えば辟易としてしまう。今思えば凄いことでも、当時としてみれば「普通」だったという事だからか?いや、「もう二度とあんな経験はしたくない」という方が先に来ているのだろう。でも、この歳になって思うのが、事の善悪はともかく、また成果はもとより、そういった、今では決して出来ないと思われる経験も、長い人生の中で、一度や二度は経験しておかなければならない事ではないか?と思う。「あの時は大変だったなぁ」とか「あの時は辛い目にあった」と思うよにならないと、将来に同じような事が起きると対処の方法が分からなくなるから。やはり何事も経験というは、あながち間違いでもないという事。
自分は中学時代は剣道部に所属していたのだが、剣道というスポーツは本当に辛い。冬は凍えるような寒さの中、素足で稽古をしなければならないし、夏は夏で信じられないくらい汗をかき、足の一面に大きな水ぶくれが出来て、マメとなる。しかももれなく重い防具をつけなければならない。この時期の剣道部の稽古というは、本当に辛かった。今でこそ、母校に武道館なる専用の建物があるが、当時は体育館での稽古。他の部との兼ね合いもあり、半分は他の部活、半分は剣道部というような使い方をしていた。で、問題は一緒に練習をする他の部活。これが、バスケット部とかバレー部ならよい。バトミントン部、卓球部となると、体育館を全て締め切らなければならない。夏の暑い時期に体育館を締め切って防具をつけて稽古するというのは、稽古というより修行に近かった。そんな話を昼休みに同僚としていたのだが、部は違えど、自分と同じように今では絶対に「やらない、やらせない」ようなことを経験してきたのだ。
絶対に「やらない、やらせない」といえば、夏場の練習中の小休止で先輩から「水を飲むな!」とよく言われた。これは汗をかき、疲労進捗が早くなるからだという事(らしい)しかし、今では考えられない話だろう。ただ、それで熱中症になったとか日射病になったという話は余り聞かなかったように思える。夏場の運動中に水分補給もしないで、皆、無事でいられるというのは何故だったのだろうか?と今更ながら思う。これが根性なのか?とすると、皆、根性があったという事か?
昔の自分は凄かった。
こんなことを書く時点で、歳をとった証拠でもあるが、本当に昔の自分は凄いと思う。勉強も然り。大して勉強をしていた訳ではないが、何時間も机にかじりついているという行為だけでも、今思えば辟易としてしまう。今思えば凄いことでも、当時としてみれば「普通」だったという事だからか?いや、「もう二度とあんな経験はしたくない」という方が先に来ているのだろう。でも、この歳になって思うのが、事の善悪はともかく、また成果はもとより、そういった、今では決して出来ないと思われる経験も、長い人生の中で、一度や二度は経験しておかなければならない事ではないか?と思う。「あの時は大変だったなぁ」とか「あの時は辛い目にあった」と思うよにならないと、将来に同じような事が起きると対処の方法が分からなくなるから。やはり何事も経験というは、あながち間違いでもないという事。
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