15歳から21歳くらいまで、中目黒の婦人服の卸し売り会社でバイトをしていた事がある。内容としては出荷する商品の値付け、商品整理といった力仕事が中心。ここでの6年も今の仕事に於いてはベースになっているケースが多い。そんな環境下で、企画と呼ばれるデザイナーの人に、

  洋服というのは、着る服と、着られてしまう服がある

と言われたのを今日、何故だが急に思い出した。そう。確かに服には「着る服」と「着られてしまう服」がある。着る服とは、普通に着る服。何ら問題はない。しかし問題なのは「着られる服」着ている本人より、服の方が目立ってしまうということだ。残念ながら人間には風貌やら容姿という言葉が存在し、格好いい、格好悪いという言葉も存在する。ある意味不公平ではあるが、仕方のないことだろうと思う。ぶっちゃければ、格好悪い奴がどんなに高い服を着ようとも、服に着られてしまうという事だ。

ふと、今日、そんな言葉を思い出して考えてみたのだが、御託だけ並べて、何も中身のない事をグルグル話している人をよく見る。これって「着られてしまう服」と同じだよな。説得力もないものだから、聞いているうちにこちらが辟易となってしまう。やっぱり「身の丈」にあわせるないとダメだろう。

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