昨日は、結果として同窓会となってしまったが、元来は同僚の送別会。思えば、この同僚は同世代で11年目の中堅社員。色々と個人的な事情があって退職することとなったのだが、その昔は、残業をすると一緒に食事をして帰ったりと、仲のよい同僚であったのは間違いない。
もう入社して10年になるのだが、転職や転勤の経験がないので、送別会の主役になることもなく送別するほうばかりだ。時に、いったい何回、送別会をしたかと思う。送別会の数だけ親しい人とお別れをしたという事になるのだが、ほとんどのケースが、彼等と再び会うことはない。それはそれで仕方ないことかも知れない。いつだったが、同僚が辞める時、最後の挨拶で、
次に会う時は、お互い良い状態で会いましょう
と言ったことがある。この同僚は、会社の事情で退職になったのだが、自分の境遇と残る我々に最大限の配慮をした言葉だったのだと思う。
会うは別れのはじめ
その通り。別れがあるという事は、どこかで必ず、その方と会っているという事。そして形はどうあれ、間違いなく別れもやってくる。その時、「さようなら」は言うべきだと思う。その別れが、どんなに悲しくても言うべきである。人に何かしてもらって「ありがとう」と言うように。もう、会えないかもしれないけど、今まで、その人との関わりがあった感謝の意味でも言うべきである。逆に自分が、言われる立場の時、何も言われなかったらどんなに悲しいことか。ならば、きっちり「さようなら」を言えるように、そして、最後はきちんと言われるように付き合うべきではないかと思う。
もう入社して10年になるのだが、転職や転勤の経験がないので、送別会の主役になることもなく送別するほうばかりだ。時に、いったい何回、送別会をしたかと思う。送別会の数だけ親しい人とお別れをしたという事になるのだが、ほとんどのケースが、彼等と再び会うことはない。それはそれで仕方ないことかも知れない。いつだったが、同僚が辞める時、最後の挨拶で、
次に会う時は、お互い良い状態で会いましょう
と言ったことがある。この同僚は、会社の事情で退職になったのだが、自分の境遇と残る我々に最大限の配慮をした言葉だったのだと思う。
会うは別れのはじめ
その通り。別れがあるという事は、どこかで必ず、その方と会っているという事。そして形はどうあれ、間違いなく別れもやってくる。その時、「さようなら」は言うべきだと思う。その別れが、どんなに悲しくても言うべきである。人に何かしてもらって「ありがとう」と言うように。もう、会えないかもしれないけど、今まで、その人との関わりがあった感謝の意味でも言うべきである。逆に自分が、言われる立場の時、何も言われなかったらどんなに悲しいことか。ならば、きっちり「さようなら」を言えるように、そして、最後はきちんと言われるように付き合うべきではないかと思う。
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