山田ズーニーさんの本には、例え簡易なメモであっても相手がいて目的があるという事を念頭におき書くと、出来上がりの文章が違ってくると書かれている。無論、この方が良いという事。似た例では、小論文のテスト。これは読んでくれる相手を思い浮かべて書くと良いとあるが、まさしくこれではなかろうか。

http://www.1101.com/essay/index.html

定期的にチェックしている「ほぼ日刊イトイ新聞」の「おとなの小論文教室」というサイト。このコラムの8/3付「仮想現実」を読んで頷かないわけにはいかない。

「(相手のことを)わかっている」という事と「それを(相手に)伝える」という事は、まったく別次元の話である。しかし、時として人は、自分が「わかっている」事を「相手がそうである」と勝手に思い込んでしまう。従って「わかっている」というより「わかっているつもり」という方が正確な表現。考えてみれば、とても危険な話だ。「つもり」はどこまで行っても「つもり」。これが相手を「好き」だとか「好意がある」といった時であれば、それらを十二分にカバーするのだが、そうでなくなってしまった時、簡単に瓦解してしまう。

  気持ちを伝える。
  そうではないですか?と聞いてみる

コミュケーションの手段として、最初にやらなければならない事で、かつ重要なことである。意外と気がつかないこと。結局は「仮想現実」から抜け出せないと、損をするのは自分なのかもしれないな。

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