ちょっと前に、昔からの友人(女性)の誕生日が過ぎたという事に気がついた。結構、仲のよい友人ではあるが、近くに住んでいないので、毎年、誕生日にかかさず「おめでとう」メールを送っていたのだが、今年は、それすらも忘れてしまった。気がついた日に、メールを送って謝罪した所「忘れられたかと思ったよ(笑)」との返事。どうやら悪意がないという事は分かってもらえたようで、事なきを得た。
考えてみると先の8月25日というのは母方の祖父の命日だった。命日を忘れてしまうというのは、実に不肖な孫である。面目ない。このblogで以前、書いたかどうか忘れたが、うちの祖父というのは、今から33年前に亡くなっている。自分が来月12日で33歳であるから、自分が生まれる2週間前に亡くなったという事だ。これは最近知ったことだが、その祖父というのは、突然倒れて、3日後くらいに亡くなったそうだ。で、その訃報を誰に母に知らせるかという事で、結構、大変だったと聞く。そりゃ、そうだ。子供がもうすぐ生まれるというのに、自分の父親が突然、亡くなったと聞けば、どうなるか分かったものではない。ただ、結果としては、母は至って気丈だったそうで事無きを得たそうだ。しかし、現実問題としては、祖父が亡くなったという事は間違いない祖父は、初孫である自分の顔を見る事なく、この世を去った。さぞかし無念であったと思う。また、母は臨月の身の上、祖父の骨は拾えなかったそうだ。これもこれで無念だと思う。
この時期になると、母親が話す、この話を思い出す。時間が経つにつれて「仕方がなかったこと」とは言うが、それにしても皮肉で数奇な運命ではないだろうか。自分の出生の状況というは、無論、自分でどうにかなるものではないが、色々と考えさせられるものがある。
それにしても、今、祖父が生きていたとしたら、今の自分を見て、どう言うだろうか?と考える。母に言わせれば、祖父は厳格な人だったと聞くので、怠惰な今の自分を見たら、さぞかしご立腹になるだろうな。
考えてみると先の8月25日というのは母方の祖父の命日だった。命日を忘れてしまうというのは、実に不肖な孫である。面目ない。このblogで以前、書いたかどうか忘れたが、うちの祖父というのは、今から33年前に亡くなっている。自分が来月12日で33歳であるから、自分が生まれる2週間前に亡くなったという事だ。これは最近知ったことだが、その祖父というのは、突然倒れて、3日後くらいに亡くなったそうだ。で、その訃報を誰に母に知らせるかという事で、結構、大変だったと聞く。そりゃ、そうだ。子供がもうすぐ生まれるというのに、自分の父親が突然、亡くなったと聞けば、どうなるか分かったものではない。ただ、結果としては、母は至って気丈だったそうで事無きを得たそうだ。しかし、現実問題としては、祖父が亡くなったという事は間違いない祖父は、初孫である自分の顔を見る事なく、この世を去った。さぞかし無念であったと思う。また、母は臨月の身の上、祖父の骨は拾えなかったそうだ。これもこれで無念だと思う。
この時期になると、母親が話す、この話を思い出す。時間が経つにつれて「仕方がなかったこと」とは言うが、それにしても皮肉で数奇な運命ではないだろうか。自分の出生の状況というは、無論、自分でどうにかなるものではないが、色々と考えさせられるものがある。
それにしても、今、祖父が生きていたとしたら、今の自分を見て、どう言うだろうか?と考える。母に言わせれば、祖父は厳格な人だったと聞くので、怠惰な今の自分を見たら、さぞかしご立腹になるだろうな。
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