昔、何か考え事をしていて、それを整理する時には、小林秀雄の「考へるヒント」という本を何度も眺めていた(真剣には読まない)が、根本は変わらないものの、さすがに時代背景の差が著しく感じ、最近は
http://www.1101.com/essay/index.html
毎度おなじみ山田ズーニーさんのコラムを読むようにしている。これは眺めるのではなく、きちんと読んでいる。
表現をするというのは難しいと思う。会社でメールを発信したり、こうしてblogを書くことだって表現していることとなる。自分の考えている事を文字という「媒体」を通じて、表に出せは、それは批評されることもある。よく言われる分にはいいが、酷評されたり吊るされたりすることだってあるだろう。やはり、それが、心のどころにひっかかり、うまく表現できないことがあるのではないかな。
このコラムで、とても興味深いことが書かれている。
>「考えているけど言葉にできない」
> という生徒もいます。
> でも、それは考えているのではなく、
> 感じているだけなのです。
> 感じていることを
> 言葉にすることが考えることです。
> ところが、彼/彼女らが、
> 感じていることを言葉にできないのは、
> 勇気がないからなのです。
→ 感じた事を言葉にする事を考えるという
最近、思う。酷評されたり吊るされたりするまで行かないまでも、批評される事というは、無意味に「揚げ足」をとるなどは論外として、決して悪いことではないのではなかろうか。何度か書いているが、このblogをつけるという行為は、そもそも自己鍛錬のため。そのためには甘んじて人様の批評に耳を傾けるべきであろう。最近、その効果かどうか、仕事のメールや友達へのメールを良く言ってもらうことがある。しかしここまで来るのには、色々の人から批評をされたり、指摘されたりして、文書力の向上というのもあるが、何より以前に比べて「勇気」が付いたのではないかと思う。これは昨日、今日できたものではない。もちろん、今が完成形ではないし現在進行形ではないという認識だ。そういった意味では「考える、表現をする」という事は、何より難しいのだから、訓練をし、勇気をつけなければならないというのが結論。
http://www.1101.com/essay/index.html
毎度おなじみ山田ズーニーさんのコラムを読むようにしている。これは眺めるのではなく、きちんと読んでいる。
表現をするというのは難しいと思う。会社でメールを発信したり、こうしてblogを書くことだって表現していることとなる。自分の考えている事を文字という「媒体」を通じて、表に出せは、それは批評されることもある。よく言われる分にはいいが、酷評されたり吊るされたりすることだってあるだろう。やはり、それが、心のどころにひっかかり、うまく表現できないことがあるのではないかな。
このコラムで、とても興味深いことが書かれている。
>「考えているけど言葉にできない」
> という生徒もいます。
> でも、それは考えているのではなく、
> 感じているだけなのです。
> 感じていることを
> 言葉にすることが考えることです。
> ところが、彼/彼女らが、
> 感じていることを言葉にできないのは、
> 勇気がないからなのです。
→ 感じた事を言葉にする事を考えるという
最近、思う。酷評されたり吊るされたりするまで行かないまでも、批評される事というは、無意味に「揚げ足」をとるなどは論外として、決して悪いことではないのではなかろうか。何度か書いているが、このblogをつけるという行為は、そもそも自己鍛錬のため。そのためには甘んじて人様の批評に耳を傾けるべきであろう。最近、その効果かどうか、仕事のメールや友達へのメールを良く言ってもらうことがある。しかしここまで来るのには、色々の人から批評をされたり、指摘されたりして、文書力の向上というのもあるが、何より以前に比べて「勇気」が付いたのではないかと思う。これは昨日、今日できたものではない。もちろん、今が完成形ではないし現在進行形ではないという認識だ。そういった意味では「考える、表現をする」という事は、何より難しいのだから、訓練をし、勇気をつけなければならないというのが結論。
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