続・振り返れば道はなし
2005年9月16日 日常前提として、昨日のBlogの内容にて、決して5年ほど前に別れた彼女と、このメールがきっかけでどうこうするという事もないし、無論、会う予定や電話で話したりする予定もまったくない。それはお互いがそう思っていることで、一番正しい事である。
お互いの近況報告という意味もあり、その後も、ちょこちょことメールをやり取りしている。自分は別れた当時とまったく何も変わっていないが、彼女は職場の年下の同期を見つけ、めでたく結婚し、去年の11月に出産をしたそうだ。時系列はバラバラになるが、この彼女とは10年ほど前に初めて知合ってそこから約6年付き合ったこととなる。別れたきっかけは何故だかハッキリと覚えていないが、きちんとしたプロセスを経て「別れましょう」という事でお互いが合意した。だから、少なくとも自分は、お互いに対して因縁があったり、そういったものではないという認識している。その証拠に5年もたってもメールが来るということで証明されているからだ。
で、「何故、私にメールしたか?」という大問題を問いかけたみた。答えはおおむね、自分の予想通り。現在の彼女といえば育児休暇中で、やっと落ち着いて、ふと昔のことを考えてみるようになったという。そこで自分が登場し、自分の誕生日だったという事だったそうだ。彼女曰く、当時は「(自分に)束縛されたくて仕方なかった」のだが、今は「5分でいいから解放してくれ」と思うようになったそうだ。思い起こせば、当時の自分としては、自分もされるのが嫌だったからという理由の元、どちらかというと、キツキツのスケジューリングなどしなかった覚えがある。それがいいか悪いかは別としても、当時の彼女はそれが気にいらなかったらしく、よく泣かれてとても困った覚えがある。つまりは6年かけて、それにお互いが気がついたという結果となった。しかし、それから5年。自分は変わらないものの、彼女にとっての5年という日々は、おそらく大激変だったと類推する。色々と大きな変化を経て考え方も変わったようだ。
ただ、今となっては、彼女の事をそれだけ分かれば十分ではないかと思う。それ以上を聞く必要もないし、聞くべきではない。なら、お互いがいるべき場所に帰るのが正しい道筋というもとに、自分が、彼女と同じステージになっるまで、メールをするのはやめようという事で、彼女との連絡は断った。そう、それが正しい。
色々なパターンがあるとは思うが、我々はこうしてメールという媒体を通して、お互いの近況を報告する仲というのは倫理という言葉を借りるならギリギリの線だと思うがアリではなかろうか。もう、共有の道は5年前に閉ざされたが、それでも、彼女は自分とは違う道で、幸せに暮らしているという事を知ることができた。本来、自分が付き合った人というは、例え、道は違えど、メールの往来だけではあるのが、普通ではないかと、彼女とのメールのやりとりで思う。願わくば、もう会うこともない彼女が、その後も幸せになってくれればと思うだけである。
お互いの近況報告という意味もあり、その後も、ちょこちょことメールをやり取りしている。自分は別れた当時とまったく何も変わっていないが、彼女は職場の年下の同期を見つけ、めでたく結婚し、去年の11月に出産をしたそうだ。時系列はバラバラになるが、この彼女とは10年ほど前に初めて知合ってそこから約6年付き合ったこととなる。別れたきっかけは何故だかハッキリと覚えていないが、きちんとしたプロセスを経て「別れましょう」という事でお互いが合意した。だから、少なくとも自分は、お互いに対して因縁があったり、そういったものではないという認識している。その証拠に5年もたってもメールが来るということで証明されているからだ。
で、「何故、私にメールしたか?」という大問題を問いかけたみた。答えはおおむね、自分の予想通り。現在の彼女といえば育児休暇中で、やっと落ち着いて、ふと昔のことを考えてみるようになったという。そこで自分が登場し、自分の誕生日だったという事だったそうだ。彼女曰く、当時は「(自分に)束縛されたくて仕方なかった」のだが、今は「5分でいいから解放してくれ」と思うようになったそうだ。思い起こせば、当時の自分としては、自分もされるのが嫌だったからという理由の元、どちらかというと、キツキツのスケジューリングなどしなかった覚えがある。それがいいか悪いかは別としても、当時の彼女はそれが気にいらなかったらしく、よく泣かれてとても困った覚えがある。つまりは6年かけて、それにお互いが気がついたという結果となった。しかし、それから5年。自分は変わらないものの、彼女にとっての5年という日々は、おそらく大激変だったと類推する。色々と大きな変化を経て考え方も変わったようだ。
ただ、今となっては、彼女の事をそれだけ分かれば十分ではないかと思う。それ以上を聞く必要もないし、聞くべきではない。なら、お互いがいるべき場所に帰るのが正しい道筋というもとに、自分が、彼女と同じステージになっるまで、メールをするのはやめようという事で、彼女との連絡は断った。そう、それが正しい。
色々なパターンがあるとは思うが、我々はこうしてメールという媒体を通して、お互いの近況を報告する仲というのは倫理という言葉を借りるならギリギリの線だと思うがアリではなかろうか。もう、共有の道は5年前に閉ざされたが、それでも、彼女は自分とは違う道で、幸せに暮らしているという事を知ることができた。本来、自分が付き合った人というは、例え、道は違えど、メールの往来だけではあるのが、普通ではないかと、彼女とのメールのやりとりで思う。願わくば、もう会うこともない彼女が、その後も幸せになってくれればと思うだけである。
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