http://www.1101.com/essay/index.html

今回の「おとなの小論文」の内容は難しい。そもそも面と向かって「愛」なんて言ったり書いたりするものではないと思っているからだ。なんというか「愛」というのは非常に抽象的で、また説明するのがとても大変だし、使い方を間違えると、かなり恥ずかしい思いをする。だから自分だけではなくて、多くの人が、なかなかこのKeywordを発することはしない。

今回の小論文は「おとな」というシステムで、結論として「おとなとは、愛を分け与えるものであり、その為には自分も愛されなければならない」という事になる。なるほど。極めて自分が思いもつかない考えといえる。文中にも出てきたが、最近「キレやすい子供」というのが増殖中で、具体的には感情のコントロールが出来ないことを言う。原因は子供の頃に「上手く愛を受けたとれなかったから」というが専らの理由だとかで。つまり、悲しいかな親が子に上手く接していないという事とも言える。

ちょっと話は変わるが、なんでその話になったか、野球シーズン中に、一緒に観戦している女性(ニ児の母)と

 家庭は、最大の道徳の教科書

という話になった。昔から言われていることだし、今更という気もするが、思い起こせば「しつけ」などというものは、学校で教わることではなく、全ては「家庭」で大人が教えてくれたものだという事に気がつく。当時はそれだけ、大人と子供の接する時間が多かったという事だ。自分だけではなくて、日本中がみんなそうだった。

そう考えると、昔の大人は偉いと思う。今も素晴らしい人はいるだろうけど、昔の人ほどいたかと思えば、正直、少なくなっているというしかないだろうな。

慈しみをうければ、それだけ他人に慈しみを返す。「しょうがないからやる、嫌だけどやる」ではなく誰に言われるまでもなく自然に覚えていくこと。これこそが「大人のシステム」ではないかな。

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