リンク先の浅葱さんのblogより。会社のメールというのは割り当てられているハードディスクの容量があるので、ある一定量のメールが溜まると削除しなければならない。本来であれば、業務で使っているので、全部残しておきたい所だが、Excelのファイルだのpdfだのと、だいたい付いてくるので、すぐパンパンになってしまうそうだ。今年に夏に、会社のメールがパンクしかけて、泣く泣く消した覚えがある。

変わって自宅のメールだが、これはスパムメールは毎日削除しているが、あとのメールは、PCを初めて7年間、全部とってある。携帯のメールもPCに飛ぶようにしてあるので、受信メールは全部で約2万通。もちろん、もらったっきり2度見ないメールもあるのだが、それでも全部あるし、フォーマットやPCのデータ移管の時も最優先事項としてバックアップ・リストアしている。

 何故か?と言われれば、強い理由はない。
 近い理由としては、もらった手紙が捨てられないと
 同じなのかもしれない。

ひっくり返せば浅葱さんのblogのように過去、とある女性と付き合う前のメール、一番盛り上がっている時のメール、終焉のメールと1つのストーリーとなっているとも思われる。それがログして自分のメーラーの残っている。強いてメールを消さない理由は、残っている事こそ、事実であったと認識したいからかもしれない。

メールは消さない。というよりも消せない。たとえ見る事はなくても、メールを消すことはできない。どんな悲しかったり、辛かったりした事であっても、自らの軌跡として何らかのカタチにして残しておくべきではないだろうかと考えるからだ。

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