随分前から言われている話だが、最近の幼稚園、小学校では運動会の徒競走の順位をつけないらしい。まだ「お遊戯会」のようなものでも主役というポジションではなくて「みんなが主役」というスタンスになったとか。理由は、それらが原因で子供の「いじめ」に発展する可能性があるという事と、父兄からの要望で、ビリになった子や、端役になった子がかわいそうだからという事が主な原因だとか。実際に周りに子供がいないので、全国的にそうなのか、局地的にそうなのかは伺い知れないが、少なくても、どこかでは必ず実施されているという事だ。

ここからは、これらが実施されているという前提で・・・・

なんというか、自分の中の大前提が崩れたような気がしている。「いじめ」はよくないが、だからといって「何もかもが平等」という解決策は下策ではなかろうか。子供は大人になるのが自然であり、子供とは大人になるための準備期間と位置づけた場合、このような解決策をとれば、やらなくてはならないトレーニングを飛ばす事となる。この世の中の人間が、全て完璧な人であれば、それでも良いが、残念ながら、そんな事は絶対にありえない。となると、あらゆる場面で、敗北感を味合わなくてはならない場面が必ずくる。その時に「何くそ」とか「まだまだ」とか、泥臭い気持ちがなければ、簡単に倒れてしまうのではないか。

例えば自分。勉強も大してできなかったし、運動が飛びぬけてできる訳でもない。むしろ下手な方だ。それでも何とか会社という組織の中で、生き抜いていている。結果的にそうなったと言ってしまえば、それまでであるが、ポイント、ポイントでは、何とか潰れないように、落ちていかないようにという能力が自然に発揮したと思う。これは経験ではなくて、自然とそうしたといった方がよい。つまりは、自然に身につくというのは、それだけ、敗北した回数が多いし、間違っていた場合は、誰かが間違っていたと言ってくれ、改善したからであるからだ。何か読んだが、

 永遠に栄え続けた国はない。必ず滅びる
 しかし滅びて復興した国は数多ある。

人も同じ。負けることは、長期のスパンで見れば決して恥じではない。その一瞬は、辛いかも知れないが、その場面で、ぐっと歯を食いしばる事が一番重要なのではなかろうか。

最近は若い社員が中々、入社する事がなくなってしまったが、これから先、自分より10歳も20歳も若い社員が入った時に、ちょっとキツイ事を言ってしまい、会社に来なくなったり、やめてしまうという事が、日常茶飯事的に発生するのではないかと思う。もちろん、運動会やお遊戯会が全ての原因で、そうなるとも思えないが、学校で先生に、家で親にも殴られないで会社に入って来る人が来ると思うと、今からぞっとする。

ちなみに、タイトルは、植木等の歌。興味がある人は聞いてみてください。

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