http://www.1101.com/essay/index.html

毎度おなじみ、山田ズーニーさんのコラムより。何事もそうだが、何か目標を設定して、その目標を達成した時の充実感というのは、達成しなければ分からない感覚である。しかし達成された後というのは、このコラムにあるとおり、色々な制限から解放される事が多い。それはそれで良いだが、反面、何ともいえない喪失感も同席していることが多い。これが積み上がると「哀しみ」に近い感情になるのではなかろうか。

最近は随分と少なくなったが、何かみんなで集まろうとすると幹事というポストにつくことが多い。何でそうなるか分からないが、毎年、4つ、5つは何らかの幹事をやっている。4〜5人程度の飲み会だとかオフ会であれば、大した話ではないが、それこそ30人とか50人ともなると、3ヶ月くらい前くらいから準備して、そりなりのシナリオや構成を考えなければならない。今では、数をこなしているおかげで「ここは注意しなければいけない」「ここは最初に固めておかなければならない」というポイントを分かっては来たが、最初の頃は何をするにも右往左往していた。そして「ある程度」結果がよかった場合、達成感と同時に、緊張感も消えうせていく。

結構、矛盾した話かもしれないが、それ自体に縛られ続けていると、体が持たないが、かといって、何もないというのも虚しくなってしまう。自分の場合は「哀しみ」とまでは行かないという事は、大した仕事ではないからか?とこのコラムを読んで思う。

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