去年の話になるのだが、毎年12月30日前後に中学の友人6人と集まっている。取り立てて理由がある訳ではないが、毎年、恒例となっていて、もう10年以上続いている。話す内容も大した事がなく、ダラダラと3〜4時間、思いついた話を勝手に話していると言った具合だ。その中で出た話題。

 韓国ドラマはいいか、悪いか?

というテーマ。ある友人は「単にマスコミが煽っているだけ」という意見が出た。実際に韓国映画は見るのだが、韓国ドラマは見たことがないので、批評が出来ないが、仄聞する所によれば、その昔、日本のドラマの主流だったベタベタなストーリー展開だとか。

ただ、時に思う。世の中の流行りモノで「マスコミが煽ってないもの」というのが存在するか?韓国ドラマではなく例えば、大晦日にはPRIDEやらK-1が放映されているが、世の中の人のどれくらいが、PRIDEとK-1の区別が付くものかと思うし、そんなに日本全国の国民が、格闘技好きとも思えない。以前、フジテレビが散々、F1に注力していたが、それだって日本国民全部がF1好きではないという事に同じ。

 で、2〜3日たって、ふと思いついたことがある。

ようは、現在の日本という国は、皆が皆「右にならえ」という時代ではない。その証拠にレコード大賞なんて、今となっては誰も興味もないし、受賞曲が国民の大多数が知っているとは到底思えない。いいか悪いかは別にして膨大なマスコミュニケーションが発信する情報、あるいは個人レベルでインターネットから発信される情報により、受け手側の選択肢が多様化している時代である。その中で、他と比べてほんの少し突出した情報が「小ブーム」になっているにすぎない。簡単な例で言えば

 ディープインパクト
 チャン・ドンゴ
 ミルコ・クロコップ
 渡辺俊介
 
これら全部を2005年に何をしたかなど正確に語れる人は、いないと思うし、清原和博が来年、どこのチームでプレイして背番号が何番になったかを知っている人だって答えられる人もそうはいないと思う。しかし、それぞれが好きな人というのは、それはそれは詳しく語れるはずである。だから、世に言う「ブーム」という定義を変える必要があるのではないだろうか。現代においては「国民的なんとか」なんていうのは、一昔前のそれ比べればマヤカシに過ぎず、ごく一部の属性には集中しているが、あとは「別にそんなのどうでも良い」という事になる。

とどのつまりは「趣向」という言葉で片付けられてしまうが、少なくとも、自分が知らない世界に「あれこれ」言うのは間違いだという事だけは認識するべきかな。それともう一つは報道というのは人(自然人、法人)がやっている以上、多少の恣意的あるいは商業的な要素(Commercialism)が含まれているのだから、煽ったら多少の誇張は当たり前。そのモノ自体を「煽っているから」というのを終着点として、論旨するのは見当違いではないかと思う。

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