心の錦

2006年1月8日 日常
年末のGチャンネル「知りたいKEIBA情報局」の最終回のビデオにて。番組の最後にコメンテーターの長岡一也氏が

 「10年先を見据えて、街のイルミネーションを見ながら、
  いつまでも、心の錦は忘れずにいたいな」と発言。

はっと「なんていい言葉なんだろうか」と思う。ぼんやりと言葉の意味は知っていたが、きちんと調べると、

 着ている服はボロでも、
 心は錦で飾っていること

という意味。本当にそうだよな。確かに見た目は貧相でも、中身が美しいという事が本来あるべき姿であると思うし、人を見る時も、外見で判断するのではなく、その人を掘下げないと行けないと改めて感じる。しかし他人を掘下げる前には、自分をより掘下げて置かないといけない。

よく簡単に「自分らしく」と言うが、どこまで掘下げて、その結論になったのだろうかと感じることがある。「これでいいのだ」という現在肯定型の考え方は各々のパーツごとには存在するかもしれないが、総合的な是非というは、中々難しい。他人をとやかく言う前に「自分はどうなの?」と考えてから、自分の店でお客「相手」と接しないといけない言葉でもある。

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