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久しぶりに山田ズーニーさんのコラムより。書かれているように、歳を重ねれば重なるほど、多くの分岐点を経てきている訳で、結果的にそれが成功だったり、失敗だったりしている。そして、実はそれらの多くの結果が、未だに出ていないというのも事実だと思う。一つだけいえるとするならば、
そんなに大きく道は踏み外していない
という事くらいか。なんだか20代の頃は、目先の「成功」「失敗」にこだわりすぎていて「成功した!」と思っていたことが、後々、実は「大失敗」その逆も然り。ところが、今となってみれば、むしろ、その結論に至るまでプロセスの方が大事に思える部分も多々(もちろん万事ではない)あったりする。つまりは、
ああ、これでよかったのか?
わかんねーや。いっちゃえー!
という事がなく、ある程度の経験や知識に基づいてロジカルに考え、道を選択し、結果として「成功」だったり「失敗」だったりしている。このトーンだと「失敗でも、それなりに考えて導き出したのだから仕方ないと」さっぱり諦めもついたりする。こんなことを書いていると、さも大人な言い方だが、実はかなり保守的な考え方に基づいて結論を出してしまうことが多い。この辺りのバランスというのは、永久に分からない事だと思う。むしろ、分かるようだった、「分岐」なんて考えることなどしないだろう。
久しぶりに山田ズーニーさんのコラムより。書かれているように、歳を重ねれば重なるほど、多くの分岐点を経てきている訳で、結果的にそれが成功だったり、失敗だったりしている。そして、実はそれらの多くの結果が、未だに出ていないというのも事実だと思う。一つだけいえるとするならば、
そんなに大きく道は踏み外していない
という事くらいか。なんだか20代の頃は、目先の「成功」「失敗」にこだわりすぎていて「成功した!」と思っていたことが、後々、実は「大失敗」その逆も然り。ところが、今となってみれば、むしろ、その結論に至るまでプロセスの方が大事に思える部分も多々(もちろん万事ではない)あったりする。つまりは、
ああ、これでよかったのか?
わかんねーや。いっちゃえー!
という事がなく、ある程度の経験や知識に基づいてロジカルに考え、道を選択し、結果として「成功」だったり「失敗」だったりしている。このトーンだと「失敗でも、それなりに考えて導き出したのだから仕方ないと」さっぱり諦めもついたりする。こんなことを書いていると、さも大人な言い方だが、実はかなり保守的な考え方に基づいて結論を出してしまうことが多い。この辺りのバランスというのは、永久に分からない事だと思う。むしろ、分かるようだった、「分岐」なんて考えることなどしないだろう。
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