blogの活用方法

2006年2月26日 日常
blogというものが、すっかり市民権を得て、もはや日記というカテゴリーでは、おさまらない勢いであるともいえる。どうも日記というと、ハードカバーの冊子に毎晩、女の子がパジャマで書くという古典的なイメージがある。転じてblogというと男女を問わずに日々のことを好き勝手書く感じがする。それに男は余り日々、日記をつけるという感じはしないが、今日び、blogをつけていると言った所で、ヘンに思われることもないと思われる。で、この世には数多のblogが存在している訳で、書いてあることもさまざま。ただ、ある程度のカテゴリーには分類する事ができる。

 ・日々のことを書く
 ・本や映画の感想を書く
 ・日々のニュースの感想
 ・彼女・彼との話
 ・競馬などの予想
 ・思想的なこと

と、概ねこんな感じで、あとはだいたい合わせ技。

で、日々、blogを見ていて思う。あまねく全ての人がいい事ばかりではないし、悪い事ばかりでもないというのが、よくわかる。「今日は凹んだ」みたいなことを書かれているのをよく見かけるが、スポットで終われば、それはそれでいいと思うが、雪達磨式にどんどん悪い方へと落ちて行くというケースを散見される。多くは「自分はこんなに努力したり、頑張っているのに何で周りは分かってくれないのだ」という思想に陥っていくような人もいる。しかも、そういった人達は、書かなくてもいいような事も書いているようにすら読み取れる。

 それはいかがなものか?

もちろん人様の日記であるから、何を書いていようとその人の勝手だし、私ごときがとやかく言う話ではないが、今までは、自分の気持ちを文章として不特定多数の人に表現することがない世界だったのが、blogの出現によって、それらを表現できるようになっているのに、書けば書くほど落ちて行くような使い方は、正しいとは思わない。嫌な事は書くなと言う訳ではないが、抑制は必要だろう。また「何のために書いているのですか?大変そうだけと『がんばってね』といえばいいのですか」と問いたくもなる。

逆に、昔、「けっ」と思っていた、人様のノロケ話も「いいんじゃない」と素直に思う。注視して読めば、余計な形容も多分にあるが、かと言って過度な書き方ではなくて、ありのままを素直に表現できている素晴らしい文章が多い。好きな人との事、好きな事を書いてあるのだから、当然といえば当然。

折角、表現の場があるのだから、もう少し有効に使うべきではないかな。好き嫌いはあると思うが、落ちっぱなしの話を日々書いていても最後は、飽きられてしまうと思う。もちろん「そんなの勝手だろ」と言われれば、それまでの話なんだけど。

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