理解

2006年3月24日 日常
前にどこかで書いたが、例えば、一方的に人を好きになり、思いこがれて、いざ告白したところ、

 そんなつもりはない
 意識していなかった

などと冷たくあしらわれるという事は、そこいらに転がっている話。場合によって、玉砕した方は、一転して「冷たい人だ」「そんな人だとは思わなかった」とのような事を思ったり、実際に言ったりする。さらには、玉砕した友達も「あいつはひどい奴だ」と同調するケースもままある。

ただ、考えてみれば、いきなりそんな事を言われれば、ためらうのが当然であり、出てくる言葉も意外と大雑把になるケースが多い。また、それまで、そんなに交流がなかった人だと、余計に「なんでそんな事言うのだ」くらいの気持ちになったとしてもおかしくない。いずれにしても受け手側からすれば「ひどい言い方」と受け取れるという事。

 ただ、断った方は、本当にひどい人なのか?

という事を考えてみる。「受け入れればいい人」で、「受け入れなければひどい人」という二極だけの考え方は、やはり間違っているだろう。物事には、それぞれ個々に温度差というものが存在しているからいる。故に言う方としてみれば、かなり音頭が高くなったと仮定した場合、相思相愛ならめでたし、めでたしの話だが、往々にして言われる方はSurprise。まったくの常温か、場合によっては氷点下というケースだって考えられる。

実は好き・嫌いの話だけではなく、日常(仕事や友人)の話でもよくあることで、相手の温度を常に理解する必要がある。余り関わりがない人であれば、なお必要。いくつか自分の引き出しから、相手の状態を察知して、相手がどれくらいの温度であるかを察知するという事は、コミュニュケーションの初動としてとても重要。しかし、これは今から、やろうと思っても出来ない事で、ある程度、人と接していないと身につくスキルではない。つまりは経験しなければならない。当たり前のような話だが、実は見落としがちな話。理解できないというのは、自分の経験不足という事も、少しは考慮しなければならないと最近思う。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索