95年7月16日
横浜ベイスターズ 対 読売巨人軍
横浜スタジアム
9回裏二死ランナーなし。6-4で巨人リード。さすがに勝負は決まったかに思われたが、石井琢郎がライト前、波留の内野安打で二死一、二塁。打席の鈴木尚典は巨人・木田からセンターバックスクリーンへ逆転サヨナラ3ラン。
この試合、平塚のラーメン屋から友達の家まで車を走らせながら、ラジオで聞いていたのを今でも覚えている。当時はインターネットもほとんど普及していないから、ベイスターズの情報源といえば「月刊ベイスターズ」くらい。そこで何度か、ファーム情報などで鈴木尚典という選手を目にしていたが、きっちり認識したのは、この試合から。当時の普通のベイスターズファンは皆、そうだったと思う。
この年から98年横浜優勝までの鈴木尚典は本当にすごかった。打率とか、打点とかホームラン数というのではなく印象に残っているのが、まっすぐ猛烈な勢いのライナーで、ヒットになっていくという事。またホームランは放物線ではなく、多くが低い弾道で、ぐんぐん伸びて行きスタンドに突き刺さる。そして「ここ」というときには、本当によく打っていた。
散々、なんやかんやと同選手には悪態をついているが、鈴木尚典は自分と同じ歳で地元・横浜高校出身だから、他の選手に比べても余計に思い入れがある。これはワタシと同世代で、弱くて弱くて日本人の長距離砲が育たない土壌の大洋から応援している人は、同じように悪態をつきながらも、冒頭のサヨナラ3ラン、98年優勝直前9月29日・神宮で川崎から打った勝ち越し3ラン、日本シリーズ第一戦の第一打席のタイムリーなど、ハッキリ覚えており、そして、みんなして「ダメだ、ダメだ」と言いながら、本当は復活してくれと切に願っているはず。
今朝、鈴木尚典は94年以来12年ぶりのファームスタートであるとの報道を目にした。95年〜98年くらいに活躍をしろとは言えないが、以前のような鋭いライナーの打球を見てみたい。
横浜ベイスターズ 対 読売巨人軍
横浜スタジアム
9回裏二死ランナーなし。6-4で巨人リード。さすがに勝負は決まったかに思われたが、石井琢郎がライト前、波留の内野安打で二死一、二塁。打席の鈴木尚典は巨人・木田からセンターバックスクリーンへ逆転サヨナラ3ラン。
この試合、平塚のラーメン屋から友達の家まで車を走らせながら、ラジオで聞いていたのを今でも覚えている。当時はインターネットもほとんど普及していないから、ベイスターズの情報源といえば「月刊ベイスターズ」くらい。そこで何度か、ファーム情報などで鈴木尚典という選手を目にしていたが、きっちり認識したのは、この試合から。当時の普通のベイスターズファンは皆、そうだったと思う。
この年から98年横浜優勝までの鈴木尚典は本当にすごかった。打率とか、打点とかホームラン数というのではなく印象に残っているのが、まっすぐ猛烈な勢いのライナーで、ヒットになっていくという事。またホームランは放物線ではなく、多くが低い弾道で、ぐんぐん伸びて行きスタンドに突き刺さる。そして「ここ」というときには、本当によく打っていた。
散々、なんやかんやと同選手には悪態をついているが、鈴木尚典は自分と同じ歳で地元・横浜高校出身だから、他の選手に比べても余計に思い入れがある。これはワタシと同世代で、弱くて弱くて日本人の長距離砲が育たない土壌の大洋から応援している人は、同じように悪態をつきながらも、冒頭のサヨナラ3ラン、98年優勝直前9月29日・神宮で川崎から打った勝ち越し3ラン、日本シリーズ第一戦の第一打席のタイムリーなど、ハッキリ覚えており、そして、みんなして「ダメだ、ダメだ」と言いながら、本当は復活してくれと切に願っているはず。
今朝、鈴木尚典は94年以来12年ぶりのファームスタートであるとの報道を目にした。95年〜98年くらいに活躍をしろとは言えないが、以前のような鋭いライナーの打球を見てみたい。
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