子供のケンカに親が出る
2006年4月2日 日常東京ドームの帰りに知合いの親子を車で乗せて帰る。そこのお子さんは、今年から小学校6年生。自分の近くに子供がいないで、昨今の学校事情というのは、どういうものか大変興味があり、親子に色々と話を聞きながら帰ることとする。話には聞いていたが、学校も「いじめ」問題に関しては、相当、神経質になっているようだ。ちょこっとケンカらしいことがあれば、すぐ自宅に電話がかかってくる。つまりは仲裁ないし首尾を全て先生が取り仕切っているとも言える。
これはどうなんだ?
子供のケンカなどあるのが普通であり、その度に先生が自宅に電話しているようでは、ケンカもできないという事になろう。ケンカの持つ意味合いというのは、実は大事で、自分が殴られれば痛いという事がわかれば、相手に大して「やったいらイカンな」という事を認識できることでもある。また、首尾を先生が全て取り仕切るという事は、低学年ならまだしも、ケンカの終わらせ方も子供が自分たちで解決するというのも、とても大事な話でもある。もちろん、ガンガン、ケンカをしろという話ではないが、まったくやらないというのは、それより問題であろう。
転じて、先生の立場になってみる。知合いで何人か先生を生業としている人がいるが、とにかく口頭で事態を収拾することしかできないようになっているそうだ。つまりは、先生は児童や生徒に対して、決して手を挙げてはならないという事。これも違和感を感じる。先生も先生で大変な時代ではなかろうか。
日本の教育事情というのはいかがなものであろうか。どこで図面を引き間違えたのか。もちろん「いじめ」という大きな問題はあるが、だからといって、全てを児童・生徒・先生をがんじがらめにするという事は大問題だと思う。このご時世に教育を受けた人達が数年経ち、社会人となった時、痛みも限界も知らない人達が、会社に入って上司にこっぴどく叱られたら、どうなるだろうか。それを考えただけでも恐ろしくなる。
これはどうなんだ?
子供のケンカなどあるのが普通であり、その度に先生が自宅に電話しているようでは、ケンカもできないという事になろう。ケンカの持つ意味合いというのは、実は大事で、自分が殴られれば痛いという事がわかれば、相手に大して「やったいらイカンな」という事を認識できることでもある。また、首尾を先生が全て取り仕切るという事は、低学年ならまだしも、ケンカの終わらせ方も子供が自分たちで解決するというのも、とても大事な話でもある。もちろん、ガンガン、ケンカをしろという話ではないが、まったくやらないというのは、それより問題であろう。
転じて、先生の立場になってみる。知合いで何人か先生を生業としている人がいるが、とにかく口頭で事態を収拾することしかできないようになっているそうだ。つまりは、先生は児童や生徒に対して、決して手を挙げてはならないという事。これも違和感を感じる。先生も先生で大変な時代ではなかろうか。
日本の教育事情というのはいかがなものであろうか。どこで図面を引き間違えたのか。もちろん「いじめ」という大きな問題はあるが、だからといって、全てを児童・生徒・先生をがんじがらめにするという事は大問題だと思う。このご時世に教育を受けた人達が数年経ち、社会人となった時、痛みも限界も知らない人達が、会社に入って上司にこっぴどく叱られたら、どうなるだろうか。それを考えただけでも恐ろしくなる。
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