先日の日記で「日本の教育はなっとらん」的な事を書いたが、実際のところは自分達が子供の頃、当時の大人達も「なっとらん」と言っていたはず。こういうときに、総じて「俺たちの頃は〜」というのが常套文句であり、本件に於ては、時代背景が違えば同じ土俵で論じるのは中々、難しい。しかし、自分達の時代や自分達の親の時代というのは、少なくとも学校で、何か悪いことをしたら先生に怒られて、時には殴られるは「ある程度」当たり前で、いじめだって多かれ少なかれあった訳だが、今ほど問題にならなかったのも事実。

 そもそも、この違いはいったい何だろうかと考えてみる。

あくまで今と比べてと考えた時、前述の「俺たちの頃は〜」にヒントがあるように思える。例えば、自分が小学生の頃、各家庭にテレビが1台しかないのが当たり前で、よっぽどのお大尽でない限り2台なんてなかった。したがって各家庭で「チャンネル争い」があって、時には取っ組み合いのケンカにまで発展したりもする。打開策として当時の親は、

・兄は月曜日の何時から○○を見るのだから、
 弟は火曜日の何時から○○を見られる。
・子供は9時には寝る(チャンネル権なし)

というように、その時代に生きていた人にしてみれば、大した話ではないが、これは1つの立派なルールがあり、家族はそれに従う。家庭という最小単位の集団で、ルールや我慢をするという事が培われてきた。しかし、昨今はどうであろうか。子供部屋は独立して存在し、各部屋にテレビが普通にある。もはや「チャンネル争い」という言葉は平成の時代には存在しない。

これは、あくまで、陳腐な例にしか過ぎないが、昔は気にならなかったが、今では大問題発展の話の要因として、今は昔より豊になったという事があるのではないかと思う。「豊」がもたらすものは多大で、人々を幸せすることなど素晴らしいが、その反面、今まで、普通であったものが見落としがち、場合によっては捨ててしまう事が多々ある。映画「3丁目の夕日」が大ヒットした事で分かるように、昔は今以上に一生懸命生きていた訳で、親も子供のケンカに口を出すなど、それどころではなかったのではないか。そう、子供はケンカするのが当たり前。どうも、豊になりすぎると、本来「あたり前であった」ことすら、皆して「非常識だ!」と言い始めて、忘れがちになってしまうのではないかと思う。

もちろん、貧乏が良いという話ではない。しかし、ずっと生きていく上では、どこかで「我慢」をしなければならない時期は必ず用意されている。それをクリアしないと、さらなる我慢を強いられるような気してならない。怒られないで育った子供たちは、どこで、どう我慢をするのだろう。抑えが効かないのが当たり前になってしまうのだろうか。

コメント

もりちゅーMK-?
2006年4月11日21:15

かれいさんおひさです。

いやぁチャンネル権の奪い合い懐かしいですなぁ、いかにも昭和を思わせるレトロな感じが何とも言えません(笑)オレには兄貴が居て良く奪い合いのケンカしたものです。もっぱら当時小学生だったんで負けっぱなしでしたがね。
んで兄貴が修学旅行やら何やらで家に居ない時はオレの天下みたいなもんですわ。そこから我慢と言うより権利得る為に戦う事覚えましたがね。

我慢を覚えたのは欲しい物ねだっても買ってもらえなかった事からだったかな?クリスマスや誕生日でさえ欲しい物買ってもらえませんでしたからねぇ・・・オレんちだけか?

今の子はパソコンやら何とかテレビやら高価な物でも欲しい物あれば親に頼んですぐに買ってもらえる時代ですから・・・これじゃあ抑えが利かないのも当然か・・・嘆かわしいですなぁ・・・

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