(SAPIO) 新・ゴーマニズム宣言より

 インターネットの便利さで「情報」の便利さで
 情報の恩恵にあやかったものは、それで
 世の中を知ったつもりで、人様をなめているが
 土壇場で発揮する「知恵」は1つもついていな事を
 実感するであろう

まさにその通り。実際のところ、インターネットで情報を引き出すケースというのは多い。いまや辞書すら引くこともなく、検索エンジンをキーワードを入力して「それっぽい」サイトで情報を得る。誰でも知っているような会社のサイトであれば、まずまず情報自体の信用はできるが、どこの誰かが運営しているか分からないようなサイトの情報をそのまま「情報」として取り扱うのとても危険な話である。

 ところが、この分別がつかない人が最近多い。

どこで調べたの?というのような質問をしても「ネットで」で終わり。ひどいケースだと、ネットで調べているにも関わらず「前から知っていた」というような素振りをみせる。それはその人のスタイルなので、別にどうでもいいのだが、実際にモチーフとして会話をする場合、相手と自分の温度差がありすぎて、フラストレーションがたまっていく一方。総じて、そういった人たちは、決して情報を掘り下げるという事をせず、Webに書かれているログだけで知識として認識し「俺は知っているんだぜ」状態になりがち。小林氏の言う所の「土壇場で発揮する「知恵」」には、まったくなっていない。

インターネット/メールの登場により、飛躍的に情報の伝達スピードが速くなった。その恩恵で、ビジネスをはじめ、あらゆる面で利便性が向上したことは言うまでもない。さらに、それが特殊な技術も持つものだけではなく、広く一般に迎合され、幅広く利用されている。すなわち「情報の発信」というはのは、やろうと思えば、テレビ局でもラジオ局でも新聞社でもない人が、どこからでもできるという事。このようなことを書けば「なんてすばらしい時代なのだ!」になりがちだが、実は裾野が広がるという事は、今までモラル及び情報の真贋のクオリティが下がったという事を忘れてはいけない。

「宝の持ちぐされ」という言葉があるが、Webで拾ってきた情報など「宝」でないケースが多い。それを宝だと思い込んで、後生大事に抱えているとは悲しい。世の中はそんなに甘くないし、嘘っぱちだらけだというくらいが丁度いいのではないか。もう1つ。「知っているという事」と「実際に使える情報」であるというのは、まったく別。これも気がつかない。3歳児が、東京から京都までJRの駅を全部言えるからといっても、全部の駅に自力でいけるか?という話と同じである。

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