「博士の愛した数式」は映画でも本でも読んだのだが、実に面白い。数学というのは、物語以上に物語で、詩以上に詩である事を認識した。この「博士の愛した数式」の「数字」の主役というと、素数。英語で言うとPrimenumber、「とびきりの数字」と訳すと、ちょっとそれっぽくていい。
自分が小学生〜中学くらいの時は「個性を伸ばす教育」みたいなことをボチボチ言われたような気がしたが、今はどうなんだろうか。だいたい「個性」の定義なんて具体的に説明できない単語であるようにも思える。何が個性なのか?説得力のある説明を聞いてみたいものだ。十人十色と言われるくらいなのだから各々個性がある。複数の人を「個性がある」とか「個性がない」という判断をする場合、やっぱり、判別する人の感覚でしか選べない。つまりはいい加減な話でしかないのではないかと最近思う。
しかし、こんなことを言ってしまうと話が進まない。「この人、個性的だなぁ」と思う人は、会話のカードが多く、自分の事だけの話そうとはせず、こちら側を掘下げるような問いかけをする。つまり会話のセンスがある人を言う。会話というのは、ある条件にかなった事柄の受け答えであるから、一方的に話し、ガチガチの条件で、こちらの問いかけるのは会話とは言いがたい。そして、もれなくこのような人達は、高いレベルの常識があり、相手のことを思いやる人。つまりは、それらの上に個性が成立している人だと思う。
素数とは、その数と1以外の約数を持たない数のことを言う。つまり1とは、常識であり、相手を思いやる事。その上に素数の要素があるではないかと思う。
自分が小学生〜中学くらいの時は「個性を伸ばす教育」みたいなことをボチボチ言われたような気がしたが、今はどうなんだろうか。だいたい「個性」の定義なんて具体的に説明できない単語であるようにも思える。何が個性なのか?説得力のある説明を聞いてみたいものだ。十人十色と言われるくらいなのだから各々個性がある。複数の人を「個性がある」とか「個性がない」という判断をする場合、やっぱり、判別する人の感覚でしか選べない。つまりはいい加減な話でしかないのではないかと最近思う。
しかし、こんなことを言ってしまうと話が進まない。「この人、個性的だなぁ」と思う人は、会話のカードが多く、自分の事だけの話そうとはせず、こちら側を掘下げるような問いかけをする。つまり会話のセンスがある人を言う。会話というのは、ある条件にかなった事柄の受け答えであるから、一方的に話し、ガチガチの条件で、こちらの問いかけるのは会話とは言いがたい。そして、もれなくこのような人達は、高いレベルの常識があり、相手のことを思いやる人。つまりは、それらの上に個性が成立している人だと思う。
素数とは、その数と1以外の約数を持たない数のことを言う。つまり1とは、常識であり、相手を思いやる事。その上に素数の要素があるではないかと思う。
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