教育勅語

2006年4月26日
例によって、偏り雑誌のSAPIOを購入。だいたい話半分くらいで読んでいるのだが、今回号にて「教育勅語」の記事が掲載されていた。この教育勅語は1890年(明治23年)10月30日に発布。国務に関わる法令・文書ではなく、天皇自身の言葉という意味合いから、天皇自身の署名だけが記され、国務大臣の署名は副署されていない。発布の後には、日本のすべての学校に下賜(配布)されたもの。戦後においては、GHQ/SCAPにより教育勅語が神聖化されている点を特に問題視し、文部省は1946年(昭和21年)に奉読(朗読)と神聖的な取り扱いを行わないことする。その後1948年(昭和23年)6月19日に、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」が、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が、それぞれ決議されて教育勅語は排除・失効が確認された。つまりは、現在においては、公には残っていない明治天皇の教育に関する勅語であるので、興味がなければ、まったく知らないままという事になる。

時代背景を考えた場合、前述の通り、教育勅語が神聖化されている点を特に問題視されているので、消える運命であることは理解するが、色々と調べてみると、諸外国でも翻訳され高い評価を受けているという。然るに中身と運用は別という事だろう。もちろん思想はまるでないが、この教育勅語をよく読んでみる。

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教育勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ?ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此
レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ
兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ
修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ?器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開
キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々
服膺シテ咸其?ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
  御名御璽

------- 現 代 口 語 訳 -------

私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。

 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。

 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。

明治二十三年十月三十日

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明治時代における天皇制のあり方を踏まえて上で、それらをなるべく排除し、この勅語の根幹だけをよく読んでみると、極めて真っ当なことが書いてあるし、昔、昔、親に言われたことがそのまま文字になっているとも言える。つまりは「日本の教育・文化というのはこうあるべきものですよ」という事を謳っている。例えば

> 父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、
> 友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、
> 学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、
> 世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、
> もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、
> このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです

という事。皇国というのは時代背景なので、軽く流すとして、それ以外のことは、現代社会が失われつつある部分であるとも思える。よくよく考えてみれば当たり前なのだが、実は時代として、それらが「当たり前」ではなくなっているという事も理解しなければならない。日々起こる、信じられないように事件というのは、これらの欠落であると言うのは過言か?と思う。

> 我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、
> 子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、
> 国内だけでなく外国においても間違いなき道です。

皇室の祖先〜も時代背景。注目すべきは、この勅語は「子孫臣民は共に守らなければならなもので、海外でも間違いではないという件(くだり)」これだけ明快に謳っている指針というも中々ないのではないかと思う。勅語云々の話をすると、色々といきり立つ人が多いし、天皇制がどうのこうのといった話もある。しかし書いたからといって、天皇制について議論するつもりもないし、思想として何もないからMaterialも何もない。

昨今、正気とも思えないような事象が普通に続発しているのは事実で、これらの端とすることは、何かと考えた時「昔の人は皆、こうだった」という事を振り返る事は悪いことではないと思う。お年寄りの話はいい話が多いのであれば、当時、諸外国でも高い評価を受けた教育勅語を範として、現代は現代なりにアレンジするというのもアリではないか。過去において、捨てたものであっても、運用方法が違うというだけで抹殺されてしまうもの多い。実はその中も、良いものというのはあるのだという啓示ではなかろうか。「日本ダメ論」「日本諸悪根源論」は本当にダメなのかは、誰も教えてくれないので、自分で掘り出して考えるしかない。

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