多層性

2006年5月2日 日常
一昨日の日記で、ディープインパクトのことを書いたが、昨年の有馬記念で、ディープがハーツクライに負けた時に、ルメール騎手と同馬にブーイングしたファンがいたそうだ。おそらくディープ=競馬と思っているライトファンだと思われるが、ブーイングをそのもの自体を否定する行為として考えた場合、これは、やはり頂けない。競馬で「必ずそうなる」では、話が終わってしまうという事になるからに他ならないからだ。逆の言い方をすれば、ハーツクライが勝ったことによって、より多くの選択肢が生まれたこととなる。現にハーツクライは、3月のドバイシーマクラッシック(国際G1)を圧勝し、有馬記念がフロックでない事を証明したばかりか、世界的にも一流馬になった事も証明した。さらには、海外でディープとハーツクライが対決という新たなシナリオが出てきたのも事実。ディープが勝つであろうというと予想あるいは応援して、結果的に残念な結果となってしまったとしても、それはそれとして、考えるべきできないかと思う。

何をするにしても、ある程度のシナリオを書くのは当然である。そして、それらは、なるべくいい方に考えていくのも自然。ところが「このシナリオしかありえない」的な人と話していると、どうも薄っぺらく、話に厚みがない。多層性がないから、話していてもつまらないし、あるとすれば、自分の脆い理論を打ち砕かれそうななると、相手の揚げ足をとるような行為に出る。これでは、話にならない。

シナリオを書くのは当然だとして、それは最初に「たたき台」くらいの方が良いのではないかと思う。例えそれが、自ら打ち立てた素晴らしいシナリオであったとしても必ず穴はあるはずで、それらを「見て見ぬふり」をするのでは、結果的には陳腐なものになってしまうだろう。5分前行動ではないが、ある程度はバッファを持つことこそ多層性の受け入れ易い土壌となるのではないだろうか。

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