日曜日にバーベキューをしながら、友人とワールドカップの話になったのだが、最近、友人が見たテレビでは

「日本が決定的なチャンスでシュートを打たずに
 ひたすらパスを回しているのは、順位のつけない
 運動会が実施されているような教育方針が悪い」

と言ったコメンテーターがいたらしい。ほとんど「風がふけば桶屋が儲かる」レベルの話。もしかしたら、コンマ数パーセントは、原因としてあるかとは思うが、かなり飛躍しすぎ。

シュートの話はともかくとして、確かに以前、AERA(だったと思う)で「50mなどは皆で手をついなでゴールする」という記事を読んだことがある。しかも、それらは児童・生徒のためではなく、父兄のためとすら書いてあった。ようするに「自分の子がドベになって恥をかかせたくない」さらに踏み込むと「子供のドベは自分が恥ずかしい」という論法で、これを幼稚園・保育園に要求し、父兄の隷属となっているという図式。にわかに信じがたい話だ。

何日か前のサッカーの話でも書いたが、これでは運動会が誰のために行われているのか分からない。父兄のエゴのため、本来、児童や生徒が幼稚園なり小学校なりで、経験しなければならない事、すなわち、順位付によって、下位の者が培われる努力であったり、上位の者が、負かした相手に追い越されないようとする向上心が、ほったらかしとなる。この論法では、算数のテストもできようが、できまいが全員100点という事になるのではないだろうか。これは10年ほど前、自分が簿記1級検定を8回も落ちて9回目に合格した時の話だが、失敗するという事、或いは負けるという事は、決して「負」ばかりではない。そこから、何を得られるか?という大事な宿題を残してくれる。自分の場合は、気がつくのが遅かった感は否めないが、それでも、知らないより知っていた方が全然良い。

日本は幸か不幸か資本主義社会。極めて乱暴な言い方をすれば、何かに目標があって、達成のためには他の者を蹴落とすくらいの気構えでなければ、残れない。さらには、企業のグローバリゼーションは急速に進み、国内ではなく他国と競合しなければならない時代に、隷属した学校が父兄のエゴに付き合って「手をつないでゴールしましょう」などでいいのだろうか。

なんだか、こんなことを書いていると「手を繋いでゴールしましょう」も、今はともかく、10年くらいたてば、結構、大きな原因になっているのではないかとすら思う。

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