都市部では「近所付き合いがない」とか「隣の人の顔を知らない」というようなことをよく耳にする。一方、自分の住んでいるところでは、意外と反対で「○○さんところの○○さん」みたいな話が、近所であれば普通に通じる。これもいいのか悪いのか、近所の床屋などに行っても「まだ結婚しないの?」というようなことを言われ、返答に困るのだが、個人保護法なんぞ露知らずに情報が出回っているという事を考えると、自分の地元など間違いなく地方都市という事を感じる。

昨年、三丁目の夕日という映画が大ヒットしたのだが、自分の親くらいの人の年代は「懐かしい」と口をそろえて言う。もちろん町並みや風景の事もあるのだが、古臭い言い方だと「人情」とか「義理」といった現在、希薄とされている事柄に重きを置いて話ているのがよく分かる。三丁目の夕日のキャッチコピーは「携帯電話もパソコンもなかったが楽しかった」的な事を言っており、映画としても描写されている。「今は簡単だけど、昔は大変だったのだよね」というように、不便な時は、不便なりに知恵を絞ったり、周りと協力して達成したりという時代だったのではないかと思う。携帯電話を1つとっても自分の学生時代は、そんなものは存在しなかった訳だが、ちゃんと友達と約束をして、遊びに行ったし、待ち合わせの時間に来なければ駅の伝言板に書いたりと、今では「懐かしい」という意外の表現方法がないことも普通にしていた。不便だったが、それはそれで、よかったのではないかと思う。

現代における「人情」とか「義理」というのは、どういうものかという事を考える。確かに昔に比べて色々な事が便利になったのは事実で、1人で何でもできるし、昔に比べれば、皆、そこそこお金がある時代となった(物の値段が下がったという面から)それにおいて、道具に頼るばかりで、「義理」とか「人情」といった事をどこかにおいてきてしまったという点は否めないし、また、そもそも、持ち合わせていない人とも多くなってきたのも少なからず感じる。これらの言葉は、今となっては、とても古臭く、口に出すのも憚れるような感じもするのだが、何があっても、口に出さなくても、常に持ち合わせるべきではないか。決して便利な道具だけが、全てを解決できることではないという事を認識しなければならない。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索