解なし

2006年7月21日 日常
学生時代、数学のテストでB5の問題用紙ぎっしりに問題が書いてあって、ひたすら計算式を書き、出てきた答えが0とか1だと出題者に馬鹿にされたような気分になったのを覚えている。甘んじて0とか1はよしとしても、答えが「解なし」なんて出てくると、本格的に馬鹿にされたような気がする。散々、計算して「解なしってどういう事だよ!」と感じる。今から考えれば、ただの笑い話だが、どこかで「数学とは必ず答えがあるものだ」という思い込みもあったし、残念ながら「博士が愛した数式」の博士も周りにいなかったので、憤慨したものだ。

ところが、働き初めて、世の中とは「正解がある事のほうが珍しい」という事に気がつく。

例えば、営業マン。どうやって売ればいいか?という営業マンの至上命題がある。たしかに売り上げの良い営業マンの方法はある。しかし、それがベストパフォーマンスであるかというは、経験則によるトレースしか方法がない。従って検証のしようがない。もしかしたらトップセールスマンだって、違った方法によれば、もっと良いパフォーマンスを発揮できかもしれない。そしてそれに気が付かないケースがほとんどなく、九九の問題ように「必ず答えが出てくる」というより「解なし」に近いのではないかと思う。ちょっと学術的な話なので、実生活とは必ずしも一致はしないが、言いたいこととしては、数学のテストのように正解に向かって走るという事は事実上不可能で、結果として「正解でしてた」という事の方が多いという事である。

ただ、逆転の発想として、正解がないからこそ、みんな「よくできました」から「もっと努力をするべきだ」のくらいの間で仕事をしていたり、社会生活を営んでいるのでないか。変な発想だが、自分の奥さんや旦那さんが、必ず自分にとって一番ベストの伴侶か?と言われれば、結果としてよかった、悪かったという事は分かるが、それ以外は誰にもわからない。

だから、余り「正解にこだわる」必要というのはないのではないだろうか。そもそも我々は「解なし」の世界に生きているのだから、良い結果を導くために努力する必要は当然あるが、そもそも答えのない世界に、無理矢理「これが正解、間違いない」を出し、それに向かって走り出すというのは、必ずしも正しい事ではないと思う。これに気がつくと、結構、楽チンに生きていけるのではないかな。

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