沈む

2006年8月22日 日常
この手の話は、何度かblogに書いているのだが、書き手が沈んでいる時に書かれるblogというのは、もれなく内容も沈んだ内容である。しかも当人同士がリアルに知り合いではない場合は、ログでしか相手の思っていることが分からないから、必要以上に落ちていると受け取れる。まあ、ここがWebの怖さであり、切り口を変えれば、ライトに付き合う前提に立てば、軽く流せる部分ともいえる。それはともかくとして、沈んでいる人が、その思いをぶちまける事によって、それらが解決できればいいが、ほとんどのケースは、自分の書いた文章を見ることによって、さらに深く沈むのではないかと最近思う。例えば、最初は1くらいのレベルの悩み事が、自分が書いていることを目にする5にも10にも沈んでいってしまうという事。結果としては、どんどん悪い方、悪い方へと流れていってしまうのではないか。

だから、blogに書くことによって最初に思っていた事に、
さらに自分で見えない敵をどんどん作り続けてしまうという
悪循環にハマるという事

もちろん書き手の問題である。もしかしたら「私はこんなに辛いのです」的な事を不特定多数の人に訴えかけ、誰かに完璧な回答を要求しているのではないか。これもレベル1とか2クラスなら救いようがあるが、自分で作りあげた敵であると、中々、そうも行かない。

このあたりのコントロールは非常に難しいところ。ただ最後は「自分で決着しないといけないよね」という結論に達するのだが、結局のところはそんなことが出来たら、何もblogに書く必要がない。これは毎度、言っていることなのだが、後ろに下がるのではなくて、1ミリでも前に進むような事をblogで書けば、意外といい回転で回るのではないかと思う。難しいけれどね。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索