新庄中心の中継

2006年10月24日 日常
帰宅後、日本シリーズをテレビで見ていたのだが、1つのプレイが落ち着くと、ひたすら新庄が映っていたという感じ。ここのところ、ほとんどCSで野球中継を見ていたので、なんとなく違和感があったのだが、地上波という事を考えると、こんなもんかとも思える(もちろん新庄が悪い訳ではない)どうもここ5年くらいの間にプロ野球というものの層がハッキリと分かれてきたのではないかと考える。その昔は、広く大衆に受け入れられていた(と思われる)プロ野球も、今日、ファンといわれる人達を荒く仕訳してみると

 A群・・・10試合以上は球場に行きCS・ケーブルの契約もしている
      (思いっきり野球好き)

 B群・・・年に数回は球場に行き、中継はだいたいみる
      (ほどよく野球好き)

 C群・・・昔は野球を見ていたが、最近は余り見ない。
      (野球に余り興味がない)

 D群・・・野球はまったく見ない
      (野球に興味がない)

というPortfolioになっているのではないかと思う。今、行われている日本シリーズはA群、B群の人達は、現地またはテレビ、ラジオ、インターネットなどで、だいたいは情報を入手している。つまり、テレビの作り手側とすれば、ほっておいても見る層。一方、テレビの作り手としては、C群、D群の人達にどうやって中継を見てもらうようにするか?という点において、何かとニュースバリューがあり、ビックネームの新庄を前面に押せば、見てもらう可能性は高くなる。もちろんこの手法で、A群〜D群の全ての人達が「わ〜い」といって喜ばれる事はありえない。A群の人達にしてみれば「新庄じゃなくて、小笠原をもっと出せ」「他の選手だっていいプレイはたくさんある」という意見は正論。かといって、新庄の露出度が少ない中継になれば、C群、D群の人達は「知らない人ばかり」な中継を見ないだろう。ここは難しいところ。

間違いなく自分はA群に所属しているし、マイミクの野球好きの多くもA群だろう。よって、ワタシと同じく、違和感がある中継と思った人も少なくないと思うし、中継方法が気にいらないと思う人だっているだろう。ただ、余り、ここに来て「マスコミは新庄ばかり」の一時の「巨人ばっかり報道」的に考えてストレスを溜めるより前出のように「まぁ、こんなもんだよな」くらいに思ってみていた方が楽なのではないか。

日本プロ野球機構が、本当に野球規約の前文に書かれている様な理想を追い求めるのであれば、A群、B群だけを相手にしていればいいというものではない。C群、D群の人達への入り口として「新庄中心の中継」があってもいいと思う。問題はその後。その人達をB群、A群に囲い込む努力は誰かがしないといけない。「新庄ばかり見ていたけど、稲葉ってのもスゴイな」と興味示せさるのは、性質上、商売上、常に旬の話題を追いかけざる終えないマスコミではない。それは選手であり、チームであり、球団であり、日本プロ野球機構のそれぞれが努力し、マスメディアを逆に利用していくしかないのではないかと思う。

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