社会科とは何だ?

2006年10月28日 日常
世界史の履修漏れが問題となっているが、学校という場において、半ば公然と成績査証されていたという事に驚きを隠せない。そりゃ、どこでもやっているだろうという話になってしまえば、それまでだが、少なからず、約束事は守ろうよというスタンスを明らさまに崩すというは、やっぱりマズイだろう。

社会科という科目を考えてみると思いつくだけで、地理、日本史、世界史、現代社会、政治経済、倫理(もっとあるかもしれないがカタギの高校ではないので、これくらいしか思い浮かばない)とある。これらを「社会」としてくくってしまうのは、無理があるのではないかとすら思う。これらを全く何も知らなくても、社会生活に支障をきたすか?と考えた場合、少なくとも生命の危機にされされることはない。逆に「知っていたら、いいよね」的な耳より情報の学問ではないかと思うのだが。例えば海外旅行に行って「万里の長城」を見た時に、何も知らなければ「延々と続いているなぁ」で終わるところを世界史を知っていれば「こんなバカみたいに長いものを秦の始皇帝が作らせたのかー!」と唸れる特典がある。いらねーっちゃ、いらない話かも知れないが、あったらあったでいいだろう。また地理に至っては、日本人はかなり、外国の地名を知っている国民である。以前、京都でオーストラリアから来た老夫婦の旅行者と地下鉄で色々と話す機会があったのだが、その人達が知っている日本の地名は、東京、京都、広島、長崎だと言う。この話を会社でしたしたところ「まぁ、そんなものでしょう」というのは副社長秘書の話。我々の感覚だと「横浜とか大阪くらいは知っているだろう〜」というのはかなり甘い話のようだ。

日本史は縄文時代から明治時代くらいまでが一般的か。ただ、昨今の情勢を見ていると、戦前、戦中、戦後をもっと勉強するべきかとは思うが、歴史が近ければ近いほど、教える側の思想も盛り込まれてくるケースや、実際に未だに歴史ななっていない部分が多々あるから、これはこれで問題が多い。と考えると、うやむやとは言わないが、国語以上に答えがないケースが多い。そう考えてみると、社会科というのは難しい。少なくともその時々で勉強したとしても地理など、今日、国境線や国名や首都が変わってもおかしくない。(自分の時は、ソ連だったし、東西ドイツがあった)現代社会にしても然り。教科書に書かれている社会問題的な事だって、夜のニュースで覆されることだってよくある。

社会科とは何であろうか。三角縁神獣鏡が出てきたって、織田信長が本能寺で没したって、ビルマがミャンマーになったって、知らないからといっても興味がなければ、もっといえばテストがなければ全く影響はない。影響がない度合でいえばディープインパクトが凱旋門賞で3着になったくらい影響はない。そう考えると学問というより趣味に近いものかもしれない。そこで考案。最近、本屋に行くと「大人になって学ぶ中学の数学」といった本が平積みになっている。これに一歩踏み込んで、どこかの専門学校で、資格・検定も何関係なく「日本史趣味講座」なんてやったら、結構、受けるのではないかな。味覚の感覚が大人になると変わるように、学生時代には苦手でも大人になれば興味が出てくることなんていくらでもあるのだから。

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