すごくディープな野球好きが集まっての食事。なんだかんだで、こうやって仲間とあーでもない、こーでもないと野球の話をしているのが一番楽しい。その中で出てきたのが審判の話。今年の日本の審判は「誤審」というキーワードでくくられるほど、微妙な判定が多く、特にセ・リーグでは、やたらに各球団から質問状だの抗議文だのが飛び交った。
で、こうなると、だいたいは「権威」とか「威厳」といった話になってくるのだが、1週間ほど前に、セ・リーグの審判部長の井野さんの記事がニッカンスポーツに掲載されていた。野球の本場、アメリカではほとんど抗議がないという。これは、1にも2に「権威」「威厳」が第一にある。さらに審判の判定も野球の「面白さの1つ」して考えられているからという事だそうだ。そもそも、アメリカの場合、隣町の野球チームと試合をする場合、街の牧師であるとか、先生であるとかそういった聖職者が裁いていたという経緯があり、現在に至っている。しかし日本の場合は、補欠が「審判でもやっとけ」的な経緯があり、アメリカとは初動において審判の立場が違う。この歴史から考えて日本のプロ野球の審判に権威だ、威厳だと求めるのは、ひょっとしたら不可能に近いかもしれない。
ここで考えなければならないのが、今年のように、揉めるシーズンがあったとしても、審判を保護する仕組みがない。たしかに機構は「審判の判定は、最終決定だから」という事は言っているが、抗議文だの提案書だのを平気で受け取っている。スポーツという限られたルールの中で行わればならないものに対しての処置として正しいかどうか疑問である。
他のスポーツの審判の仕組みを考えた時に、こんなにもめているスポーツはない。やれ「大相撲と同じくビデオ判定を導入しろ」という意見もあるが、逆にサッカーのように導入しないスタンスだってアリではないだろうか?その当たりを見誤ると、野球自体の存続だってあやしくなるとすら思える。
で、こうなると、だいたいは「権威」とか「威厳」といった話になってくるのだが、1週間ほど前に、セ・リーグの審判部長の井野さんの記事がニッカンスポーツに掲載されていた。野球の本場、アメリカではほとんど抗議がないという。これは、1にも2に「権威」「威厳」が第一にある。さらに審判の判定も野球の「面白さの1つ」して考えられているからという事だそうだ。そもそも、アメリカの場合、隣町の野球チームと試合をする場合、街の牧師であるとか、先生であるとかそういった聖職者が裁いていたという経緯があり、現在に至っている。しかし日本の場合は、補欠が「審判でもやっとけ」的な経緯があり、アメリカとは初動において審判の立場が違う。この歴史から考えて日本のプロ野球の審判に権威だ、威厳だと求めるのは、ひょっとしたら不可能に近いかもしれない。
ここで考えなければならないのが、今年のように、揉めるシーズンがあったとしても、審判を保護する仕組みがない。たしかに機構は「審判の判定は、最終決定だから」という事は言っているが、抗議文だの提案書だのを平気で受け取っている。スポーツという限られたルールの中で行わればならないものに対しての処置として正しいかどうか疑問である。
他のスポーツの審判の仕組みを考えた時に、こんなにもめているスポーツはない。やれ「大相撲と同じくビデオ判定を導入しろ」という意見もあるが、逆にサッカーのように導入しないスタンスだってアリではないだろうか?その当たりを見誤ると、野球自体の存続だってあやしくなるとすら思える。
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