女の子の友達との電話2
2006年12月5日 日常昨日の続き。この女の子の友達は、かなり食べ物の好き嫌いが多い。一人の時は、好き嫌いが多いというのは、結構だが、これがみんなで食事をする時とか、料理を作ろうというと結構面倒な話になる。何せ好き嫌いが多いと、どこに食事に行くか?というだけで、結構、選択肢が狭まる。しかも、この友人の嫌いなものは、生魚、ナス、キュウリ、納豆、おくら、生魚、チーズと多種多様、選り取りそろえています状態だ。こうなると和食はキツイし、イタリアンもキツイ。寿司はもっての他。店を考えなければいけない時は、意外と面倒。
ただ、まだ、自分が食べた物を我慢していれば、それで済むが、これが結婚して、料理を作らなければならないという事態になるとかなり大変。なんといっても、自分の嫌いな食材は使わないから。「使う、使う」と言ったところで、結局、自分で食べる訳だから、嫌いなものは使わなくなるのは道理。そして、これだけ好き嫌いがあると、店を考えなければならない時同様、選択肢は狭まるし、使われる食材が限られれば、おのずと料理の選択肢が狭まる。つまりは大した料理は作れないという結論に達する訳だ。
よく行く寿司屋のマスターにこの辺りの話を聞いてみると、食べ物に興味がない人というのは、料理を作らせても下手だという。理由は、自分で味を研究しなくなると、食べ物に対しても興味が薄れるからだと言う。
子供の頃「好き嫌いなく何でも食べましょう」とよく言われていたが、栄養云々の弊害もある事ながら、意外なところに問題が出てしまうという事は、大人になるまで気がつかないという事だな。
ただ、まだ、自分が食べた物を我慢していれば、それで済むが、これが結婚して、料理を作らなければならないという事態になるとかなり大変。なんといっても、自分の嫌いな食材は使わないから。「使う、使う」と言ったところで、結局、自分で食べる訳だから、嫌いなものは使わなくなるのは道理。そして、これだけ好き嫌いがあると、店を考えなければならない時同様、選択肢は狭まるし、使われる食材が限られれば、おのずと料理の選択肢が狭まる。つまりは大した料理は作れないという結論に達する訳だ。
よく行く寿司屋のマスターにこの辺りの話を聞いてみると、食べ物に興味がない人というのは、料理を作らせても下手だという。理由は、自分で味を研究しなくなると、食べ物に対しても興味が薄れるからだと言う。
子供の頃「好き嫌いなく何でも食べましょう」とよく言われていたが、栄養云々の弊害もある事ながら、意外なところに問題が出てしまうという事は、大人になるまで気がつかないという事だな。
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