土曜日の話になるのだが、検定のボランティアと別の依頼で活動。詳細は省くが、簡単に言えば「どうしたら効率のよく資料ができるか?」的な相談。使う道具はExcelと自らのアイデア。Excelといえば、我々事務屋の商売道具。最近は電卓にとって代わって主役の座に躍り出ている感すらある。すなわち効率のよく書類を作るには、今の所、汎用性などを考えてもExcel以外の道具は思いつかない。つまりExcelを使いこなせば、かなり効率よく書類を作成することが出来る。そんな話をしているうちに、なんとなくExcel講習となった。そこで「Excelは持っているけど、よく分かりません」という依頼者が、実現したい資料を聞き、適当な例題をつくって、それっぽい表を3分くらいでサクっと作成。すると

 魔法使いみたい!

と依頼者の意外な感想が返ってくる。意外というのも正直、業務で普通に使っている関数を2つだけ組み合わせただけだし、社内では出来て当たり前で、手の込んだ資料でもなんでもない。しかし「Excel持っているけど、よく分かりません」的な人にとっては、自分のキータッチと結果が出てくるディスプレイを見て「魔法使いのみたい」という事だろう。

ふと思う。自分が出来ることというのは、一般の人の多くが出来ることであると錯覚してしまうことがある。例えば、この話で言えばパソコンの中にExcelが入っているだけで、これくらいのことはできて当然だろうと勝手に思い込んでしまうという事。しかし、それは大きな間違えである。同じ道具を持っていたり、同じ単語を知っているだけで、知識やスキルが同じという事は絶対にない。文字にすると当たり前の話だが、実際に教えている瞬間というのは、スッポリ抜け落ちてしまう事というのはある。ここで考えをさらに掘り下げる。簡単に言えば、

 知らなきゃ、教えてもらえば済むだけという事。

逆に反対の立場で、教える方は「なんで、そんな事も知らないの?」という事は決して言ってはならないという事だ。何故なら、知らないことは罪悪ではないからである。当たり前の話である。教える立場の人間が、そのセリフを吐いた瞬間、教わる立場の人間に敗北宣言をしたのと同じだとすら思う。本当に自分が作った資料は本当に大したものではなかったが「決して言ってはならない言葉がある」と、最近、忘れかけていた自分にとっては、かなり儲け物。

mixi上には、色々なコミュニティがある。自分も「経理互助会」というコミュニティの管理人をやっており、登録者は2000人を越えている。十余年、経理業務に携わっている人もいれば、昨日から経理業務に携わったという人もいる。当然、後者の方が初歩的な質問を書くことが多いのだが、それに対して今は少なくなったが「そんなことも知らないのか?」とか「自分で調べろ」的なコメントをする人も結構多い。これだと自分が作った「互助」というコンセプトに反することであるし、こんなコメントは書く意味が1ミリもない。「知っているからエライ」と勘違いをしている事実をさらけ出している悲しい人に感じてならない。教える方は、その事柄を知っているだけ。教わる方は知らないだけ。ただそれだけの話。それに相手が全知全能の神でなければ、簡単に教える・教わる立場なんて事柄によって、すっかり逆転する。つまりエライ、エラくないとは全く別次元という事だ。

わかればなし

2008年2月26日 日常
なんだかんだと、気がつけば2月18日ですか。毎年のことながら、月日のたつのが早く感じる。誰が言ったか忘れてしまったが、人間は歳を重ねるにつれて

 1日は長い。されど1年は短い

と感じそうだ。この言葉が、なんとなく分かるような昨今。話は変わって、あと半月もすれば3月になる。3月は卒業シーズンという事で、平たく言うと「お別れの季節」であるとも言える。物事には始まりがあり、必ず終わりがある。お別れがあるという事は、その前には必ず出会いがあるという事。これは紛れもない事実である。逆を言えば、出会った瞬間から、その人とのお別れが待っているという事であり、

 会うは別れのはじめ

という常套文句の登場となる。もう随分前に同僚が退社する時の挨拶で、中々、印象的なことを言ったのを今でも覚えている。

 次は、今よりよいコンディションでお会いしましょう

もちろん体調云々の話だけではなく総合的に「よいコンディションで」という事。「別れ」と簡単に書いてしまうと「今生の別れ、二度と会えません」的なイメージが支配的だが、「別れ」は同時に「再会」の機会も発生する。「その時は、今より、よいコンディションで」というのは、とてもよい言葉だと思う。自分も色々な人と出会い別れて来たが、同僚と同じく、再び会う時には別れたと時以上によい状態で会ってみたいと節に思っている。目を瞑って考えてみれば、現在進行形で出会っている人、または諸般の事情でお別れせざる得ないかった人は、当然、数多いる。「再会」の機会を行使するには、同時に現在の関係が良好であるという事が前提となる。となれば、今まで会った人を大事する必要があるし、その向こう側として、これから会う人とも大事にしようと思う。やはり、ケンカしたまま別れたりするのは、後味の悪いものだから、結果的に自分が不幸になるという事を忘れてはならない。

未来への宿

2008年2月26日 日常
知人の日記で知ったのだが、最近の若人は付き合うのも別れるのも「携帯メールが良い」という人が結構いるらしい。昭和40年代生まれにしてみれば、考えられない常識で我々の世代の多くが「怪しからん、物事のケジメはきつんとつけろ」という話になると思う。もちろんメールそのものがイカンという話ではなく、道具の使い方に着目するべきだと考える。自分も仕事でメールをよく使うが、重要な案件だったり、相手に何かをお願いする時は、メールを出す前や後、必ず電話を入れるようにしている。この場合のメールのポジションは、案件や依頼の信憑みたいなもので、メールで完結すると1ミリも思っていない。それがビジネスの常識であり、当然、一般的な常識であるとも考える。ところが、この手の若人は、何が重要で、何が重要ではないかという判別が、携帯メールという便利な道具のおかげでぼやけきてしまうか、そもそも考えなくなるのではないか。以前、何度か書いたし、今日もおーなー@マイミクのところにもコメントしたのだが、携帯電話の普及に伴い

 娘の電話を取り次がない親父が死滅した

と言われている。携帯に電話なりメールをすれば、ほぼ100%に近い率で本人が出る訳で、煩わしい家人といちいち話す事もないし、長電話を叱られることもない(結果的には叱られるかもしれないけど)。ところが、便利な道具が登場したからと言って、完全勝利というは事には中々いかない。考えてみれば、確かに娘の親父は、男にとって、斎藤隆vs福留くらい相性が悪く、男は何とか「怪しいものではありませんので、どうかお嬢さんを電話に出してください」的な事を必死に考えなければならない。何とか親父に切られないように克服しなければ、彼女と会話することができないからだ。実はこれは話術習得、コミュニケーションのトレーニングであると言えないだろうか。すなわち、あらゆる情況で、なんとか自分の意思を伝える意味では格好な場面であるという事。しかし、携帯メール普及のおかげで、その機会はほぼ失われる訳である。そういった意味では、電話を取り次がない親父が死滅したという事は、食物連鎖崩壊同様、便利なようで、赤字国債同様、遠いあるいは近い未来に宿題を残す結果になるであろう。

よく「各部署、コミュニケーションをよくとって」みたいな話で、会議などの締めになりがちだが、具体的にコミュニケーションの手立てを手解きする事はまずない。結構、ぞんざいに安っぽく使われてしまう言葉である。実のところ、コミュニケーションの手段というのは、それまでのその人の蓄積があって初めて成立つことであり、ほとんど人と話さないような人生を歩んだ人に、当たり前ではあるが、そんな事を急に求めたところでまったく意味のない話である。また仮に手解きがあったとしても、それはコミニュケーションの「コ」の部分にすらならない。数年先「付き合おう」「別れよう」をメールだけでやりとりしていた若者が、上司に

 お客さんに謝って来い!

と叱られて、メールで

 Subject:お詫び
 本文:マジ、すみませんm(__)m

という輩も出てきてもおかしくない。近い将来、笑えない笑い話になっている可能性はあるのではないか。それか、もっと進化して

 本文:いちいち電話してくるな!詫びならメールでいいんだよ!(怒)

とメールでお客に叱られる日のいずれかが来るのではないかと、この話を知り真剣に思う。

一期一会

2008年2月26日 日常
簿記講師@市のボランティアとは別にもう1つ依頼が来る。簿記検定ではないが、それっぽい依頼。同時期に2つの依頼を受けているというのは、結構めずらしいらしく市の職員曰く、ちょっとした売れっ子だそうだ。それはともかく、受講者は主婦が2名なのだが、うち1人の実家がなんと、家から歩いて5分くらい所だと聞いて驚く。「じゃあ、知り合いじゃねーか」と思われるが、歩いて5分といっても、♪日暮里駅前歩いて5分の一等地も、5分じゃ着かねーよの例のように、ウチの目の前の道を挟むと住所も変わるので町内会も変わる。よって名前は知っていたとしても、まったく面識がない。同じ市とは言え藤沢は40万人都市。なんともいえない数奇な巡り合わせを感じる。

昨日の話になるが、知人と絵里花@日暮里に行く。ふと、見渡すとなんだかんだと7〜8年付き合っている人ばかりだ。昨日は野球系の知り合いだったのだが、よく考えたら、仮に知人あるいは自分のいずれかが、その球場、その試合を見ていなかったら、もっといえば、野球そのものに興味がなかったら出会わなかったであろう。そう考えると、人間の出会いの要素などは、ほとんど賽の目をふっているみたいな話だと思う。野球に限らず、学校のクラスだって、職場の同僚・上司だって、どっかの誰かの意図はあるにせよ、結果的に、当人たちにすれば偶然そうなったに過ぎない。従って、これらの話というのは、パチンコ屋のとなりでやたら話かけてくるおばちゃんも、たまたま球場で仲良くなったおねーちゃんも要素としては、大して変わらんという事ではないだろうかと、考えてみたりする。

「人と出会う」という事は「概ね偶然である」と仮定した場合、問題はその後になるのではないだろうか。どんなにいい賽の目が出たとしても、ゲームをパスしてしまえば、それまでのこと。要はその賽の目をどう発展させるかによるのではないか。個人的には、色々な人と知り合いになれば、それだけ面白いことが起こるのではないかと思っている。そりゃ、知り合っただけでケアできない人もいるにせよ、なるべく発展できるように努力する。よく

 広く浅い付き合い or 狭く深い付き合い

みたいな比較があるが、そんなこと言わずに

 広く深い付き合い

にすればいいじゃねーか。結構、難しい課題だと思うけど、やりがいはあるし、一生の目標にする価値はあるだろう。

バブルとは何だ

2007年2月9日 日常
昨今、公開された「バブルへGo!」の特集番組など見ていると、今、思えば、バブルと呼ばれていた時代、やはり相当浮かれていたんだと感じる。当時、自分は高校生で、特に恩恵を受けていた訳ではないが、昨今、そこそこの繁華街に行っても、当時に比べると圧倒的に街行く人が少ない。それは、家でも楽しめる娯楽が普及したという考えもあるが、やっぱり根本からいえば、外に出歩かなくなったという事だと思う。

バブル時代というのは、銀行は潰れない。土地の値段は下がらないという神話が存在したが、今となってはバカみたいな話だ。例えば、日本長期信用銀行をはじめとする長興銀系銀行は、自ら債権を発行して資金を調達して、ロットの大きい金額を企業に貸し付けていた。当時、長興銀系銀行の銀行員は、エリートと言われた人達。その人達はどうなったのだろうか。

思う。バブルがあって、今があるのだろうか。そして、バブルといわれて時代は、いかなるものだったのだろうか。名前が売れていた会社や銀行は倒産・破綻し、また多くの会社が外資に飲まれていった。その中では、未曾有不景気となり、リストラクチャリングという言葉が蔓延し、世の中は変貌した。自分の勤めている会社も然り。外圧によって形を変えていくというはの、いつの時代も同じという事なのか。

あの頃、ジュリアナで踊っていたボディコンの女子大生も、もう40歳近くになっているはず。バブルを満喫していた人達は、どう思っているのだろうか。
先の日記のとおり、今週は英文メールを出しまくっている。今朝は取引内容をロンドンのとある銀行(グループ会社)にメールにて問い合わせ。


で、残業中の19時。デスクの電話が鳴る。しかも部の代表番号ではなくダイレクトコール。

電話を出た瞬間、極東の内気で無口な一般会社員(ご意見無用)に容赦なく英語でしゃべりまくる英国人登場。一番あってはならない、メールの問い合わせが国際電話で返ってきた。(イントラのアドレス帳で名前さえ分かればダイレクトの電話番号もわかる)


えいこくじんが(受話器の向こうに)あらわれた!えいこくじんはみがまえるよりはやく、えいごでしゃべりはじめた!かれいおうはこしをぬかした!(ドラクエ)


と腰を抜かした所で、電話を切る訳にも行かず、栄光の英検3級(昭和63年取得)スキルを十二分に使って返答。つたないヒアリングの限りでは、どうやら取引日開始当時の社名と現在の社名が変わっている問い合わせのようだ。確かに当社は、5年前に合併して社名を変更している。よって『合併したが同じ会社である』と伝えたところ、英国人は納得してくれた。

それから数分後、英国人から、こちらの要求を上回る完璧な回答がメールで返ってきた。ただ、かなりヘロヘロ英語だったので、

あなたの協力に感謝します。ワタシの英語がヘタレでうまくコミュニケーションがとれなくて、大変申し訳ない。(実際は英語で書いたがこちらは面倒なので日本語で表記)

と返信した所、すぐさま英国人より再び、

That’s no problem Naoki!

Hava a good day!

との返信。Hava a good day!と言われても、もう極東は19時過ぎだし。と、軽く突っ込んだが、そんな事はどうでもよい。対応してくれた英国人は、とてもいい奴。というか必要に迫られると意外となんとかなっちゃうというのを再認識した。毎日、こんなことをやっていたら、NOVAに行かずにすみそうだな。

英文メール

2007年2月7日 日常
弊社は12月決算のため、現在、ガリガリと決算のレポートを作成中。今年より従前の商法から会社法に法律が変わったため、作成自体、結構苦労している。で、弊社は外資系であるから、決算の資料としてグループ会社のことを確認しようと思ったら、ほとんどの案件は海外にメールで依頼しなければならない。

今週、なんだかんだで3通も英語のメールを飛ばす。そのうち1通は、とあるグループ会社の資本関係の確認というもので、日本語で書いても難しいそうな話。昭和に獲得した栄光の英検3級と翻訳サイトのあわせ技でインチキ英文メールを作成。なんと今日、依頼の通り、ニューヨークより返信があった。しかも、ニューヨーク側は、こちらの要求に対して完璧な答え。海の向こうの人のやさしさを感じた瞬間である。ただ自分の書いたメールを改めて見ると完全な中学生英語。まあ、それでも何とかなるって事がよくわかった。

お約束の話としては、やっぱりもう少し勉強しておくべきだったな。

『ら』抜き言葉

2007年2月6日 日常
1ミリも話題にならなかったが、昨年、オーストリア在日大使が、日本人が、よく豪州のオーストラリアと間違われることから、日本におけるオーストリアの呼称を

オーストリー

と発表したそうだ。発音もさることながら、カタカナ表記でも、見間違えることも理由らしい。まったく一般の日本人には関係ない話とは言え、オーストリー人にとっちゃ、間違えられるたびに腹に据えかねていたんだろう。

国名の呼称で思いだしたが、公証役場や税務署などで外国からみの書類(租税条約など)をみると『イギリス』とは書かれていない。あったとしてもカッコ書き。むしろ『英国』と書かれている方が多いかも。『イギリス』とは、そもそもポルトガル語が語源の俗称。いわゆるイギリスの正式名称は

グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国

であるから、公証役場や税務署では

グレート・ブリテン

と書かれていることが多い。しかしこれだと、エリザベス女王がいる国とは、結びにくいな。

ファクス

2007年2月5日 日常
決して、誤植、誤字の類ではない。
気がつかないと言えば、それまでだが、"FAX"を新聞上(*新聞社のWebも同様)でカタカナで表記すると「ファクス」だそうだ。

どうも"ッ"を入れると、品のない言葉とよく似た言葉になってしまうためというのが通説らしい(未確認)

この手の話は結構あるようで、例えば漢字表記。以前は多くの新聞が「拉致」のことを「ら致」と表記されていたし、競馬の皐月賞は「さつき賞」と表記されたりしている。また、これらの規定は新聞各社が独自で決めているようで、同じ単語や漢字でもA社とB社の表記が違うこともあるそうだ。
まったく意識しないで21時すぎにフジテレビをつける。『あるある』の放映打ち切りは知っていたのだが、花王もスポンサーを降りたものだから、CMはフジテレビの番宣と公共広告機構だけ。プライムタイムでこれを見せつけられると違和感満載。日曜日のフジテレビ21時と言えば、花王名人劇場という昭和のイメージ。で、花王名人劇場といえば

山下清物語
裸の大将

これにつきる。

納豆で誰も傷ついていないとは言え、捏造はマスメディアとして、絶対やっちゃイカン。そもそも電波は誰のものかという事を疎かにし過ぎ。最近の不祥事といえば不二家だが、考えようによっては捏造報道の方がタチが悪いとすら思う。

最近のマスメディアは、二元論で片付けられ事が多いと感じずにはいられない。片方を悪者に吊し上げて、徹底的に叩く。反対報道は、分かっていてやらんのか、他社の尻馬に乗っているかは分からんが、ちと報道姿勢に問題があるように思う。日本テレワークは論外としても、このタイミングで不二家擁護記事が少しあってもいいのではないかな。

二律背反

2007年2月3日 日常
先月の話になるが、野球大好きな男4人で、三軒茶屋にある元ヤクルト高橋一正投手の店「壽」に行く。なんだかんだで19時から開始して終わったのが23時近く。ひたすら野球の話。とりわけ話題の中心は湘南シーレックス。

山形は行った事がないので分からないが、楽天をのぞく現在のイースタンリーグは、有料の球場は

 ・横須賀スタジアム(シーレックス)
 ・ジャイアンツ球場(ジャイアンツ)
 ・鎌ケ谷ファイターズタウン(ファイターズ)

一方、無料の球場は

 ・戸田ヤクルト練習場(スワローズ)
 ・ロッテ浦和(マリーンズ)
 ・西武第二球場(グッドウィル)

と綺麗に3ずつに分かれているのだが、有料の球場も無料の球場もよく行くのだが、浦和や戸田の場合、もしかしたら、1000円払うより高い球場なのかもしれない。つまり、金をとる球場というのは、ベンチもあり売店もある。1軍とはいえないまでも、まずまず野球を普通に見られる環境であるのは間違いない(この球場が好き・嫌いというのは別)ところが、無料の球場というのは、場所によっては、ベンチの数も少なく、売店もない。ましてや有料球場にはある、イベントゲームというものなどは、そこで論じられることは皆無と言える。

湘南シーレックスというチームは、横浜ベイスターズと差別化を図る目的で2000年に創設された。シーレックスのユニフォームを着るという事は、あからさまに「2軍である」という事であり、早く「ベイスターズのユニフォームを着られるように精進する」的なコンセプトがある。また、副次的要素として、イベントや演出を独自に開発し、よいものは、ベイスターズに持ち上げていき、地元密着をめざすというコンセプトがある。こんな話をやいのやいのと4人で話ていたところ、高橋一正元投手が、ひとこと。

 二軍の選手にファンサービスを求めるは、難しいですよ。
 もちろん、やるべきだとはと思いますけどね

とのこと。もちろん理由は

 二軍で満足してはイカン

というコンセンサスがあるから。結構、この言葉には実体験のある人の言葉だけに説得力がある。ちなみにヤクルト戸田球場は、およそプロが試合するような球場ではないが、高橋元投手曰く「いやだったら上にあがれ」というコンセプトだという。ヤクルトのコンセプトはとても正しい。

1軍2軍を含めファンサービスとはどうあるべきか。プロ野球とは「勝つ」以上のファンサービスは存在しないと考える。勝つためには、人より上手くなる必要がある。これを前提においた場合、時間を惜しんで選手は練習をしなければならない訳で、もしかしたら、過度なファンサービスはそれを阻害している可能性も全くないとは言い切れない。しかし、グッズ販売やら全てのファンサービスを一方的に遮断すると「ファンなんて関係ない。ひたすら試合やって、また練習」という野球バカ集団が出来上がってしまい、まったく魅力がないものになってしまうだろうし、これではプロでも何でもない。

プロ野球のファンは、色々な人がいる。ただ野球が好きなだけの人にとっては、イベントなんて関係ないが、○○選手が好きという人や、応援するのが好きという人は、野球以外のイベントで楽しんでいる人だって、実際はいる。これらの人達を全部、ひっくるめて「プロ野球のファン」であるから、少数派だからといって潰すという訳にはいかない。また、野球興行という以上、試合以上のイベントは実施できない。さらに金も気前良くかけられない。だったらどうするか?当たり障りのない企画にしかならないだろう。しかもアイデアも出尽くしたのか、斬新なイベントとして印象に残っているのは、去年、湘南でクリスタルキングを呼んで試合前に「北斗の拳」を唄わせたくらいか。おそらく、それがどこのチームの現状なのではないかと思う。むしろ、限られた制限の中で、誰も気がつかなかった企画、あるいは、上記の「常識」を打ち破る気合の入ったプロデュースを期待するか。個人的には、勝ってさえくれれば、やらなくてもいいよと思うが、そういう訳には行かないだろうし、またチームが強くなったら強くなったで、今度はファンのパイが大きくなるので、平等のファンサービスにという訳にはいかない。やはり難しい。

二律背反。極端なことを言えば、プロ野球のファンサービスというのは、この4文字に集約されると高橋元投手の話を聞きながら思う。○○チームのファンサービスが良いとか、悪いとかよく言われるけど、これは「隣の芝生は青く見える」だけではないだろうか。

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*高橋一正元投手のお店はこちら
居酒屋「壽」
http://b-m-o.jp/shokunin/tempo/y200243.html

焼き物は全て美味しい。また、突き出しの切干大根のキムチは最高。

睡眠悪循環

2007年2月2日 日常
一応、数字を扱う仕事なので、それなりに集中力が必要なのだが、どうも最近、以前に比べてデスクに座っている時間が短くなってきた。もちろん年齢的な事もあるのだろうが、一番の原因は睡眠不足ではないかと思う。

確かに宵っ張り。なんとかしなきやと思うのだが、それあたりに転がっている雑誌や本を読み始めると、あっという間に2時をまわってしまう。それが習慣化しているものだから悪循環。なんか早く寝てしまうのは勿体ないような気がする。単なる貧乏性なんだろうけど。

新日本史

2007年2月1日 日常
江戸幕府の成立

江戸城を拠点に関東を支配していた徳川家康は、1600(慶長5)年、関が原の戦で石田三成の反対勢力を破って政権をにぎった。1603(慶長8)年、家康は征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を開いた。以後1867(慶応3)年幕府が倒れるまでの間を江戸時代という。徳川氏は1614〜1615(慶長19〜元和元)年の大阪の役で豊臣家氏を滅ぼし、名実ともに全国を支配することとなった。

改訂版 新日本史 第一学習社 より引用

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卒業アルバムは友達にあげてしまうワタシではあるが、高校時代の日本史の教科書は何故か手元にある。多分、やいのやいの言われると思うが、それはさておき、上記の引用は、関が原の戦〜大坂夏の陣までのくだり。戦国時代大好きな人に言わせれば「なんじゃこりゃ」になるとは思うが、決められた期間で、縄文時代から授業として取り扱おうと思ったら、これくらいに収めないと無理という事だな。そもそも「歴史」というカテゴリーは同じだが、目的が違うという事だろう。とは、わかってはいるが、この歳になって教科書を読むと、実にあっさりしすぎている。石田を関が原で破って、大坂の役で豊臣氏を滅ぼすとあるが、これでは石田三成と豊臣家の説明がなされていないから、訳がわからない。また「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」とも書かれていないから興味のない人は、テストが終われば全て消えてしまうだろう。人間最強武将・真田幸村も浮かばれないだろうな。

また、第二次世界大戦のくだりを読むと、山本五十六をはじめ軍人の名前が1人も記載されていない。その後の極東軍事裁判の「いわゆるA級戦犯」の名前も然り。インドのパール判事などは、自分で調べないと永久に埋没してしまう人物になってしまうだろう。思うに、この教科書は平成2年に発行されたものだから、時代背景として、文部省(当時)の検査にパスしなかったのだろうと類推する。これでは「靖国問題」なんて、日本人が知らないのも無理はない。

誰だっけか

2007年1月31日 日常
通勤の東海道線で、最近、高校の同級生によく似ている人によく見かける。見かけるのはいいのだが、名前をすっかり忘れてしまっている。顔は覚えているのだが、どうしても名前が出てこない。ここ数日、ちょっと時間があると「なんて名前だっけか」と考える。卒業アルバムをひっくり返せばいいのだが、友達にあげてしまったし確かめる手段がない。もちろん、名前が分からないので、声をかけようもない。また、勝手にこちらが同級生だと思い込んでいるだけど、全然違う人という可能性もある。向こうが気がついてもらうのを待つようにしよう。

しゃべりたおす

2007年1月30日 日常
月曜日の話になるが、社外の人、数名と昼食をとることとなった。そのうちの1人が、3月に結婚するという事で、披露宴話に。やはり、どんな人に挨拶を頼むべきか何かと大変のようだ。

自分が出席した披露宴で、一番、強烈だったのが5〜6年前に出席した中学校の同級生の披露宴。この友人、山梨県内の大学・大学院を卒業して、山梨で高校教師をしている。従って、招待客のほとんどんが大学の教授と職場の先生で、いわば先生だらけの披露宴という訳だ。で、主賓の挨拶は友人の恩師の大学教授。この教授の話がエライ長く「両家の皆様、本日はおめでとうございます」から話はじめて、終わったのがなんと40分後。東海道線なら東京から藤沢までいける時間だ。話し方は、まったくの要約されず、その友人が大学に入学してから、大学院を卒業するまで同じトーンで6年分を全て話したという感じ。なんだか圧縮しない巨大なファイルをメールで送りつけられた気分だ。さらに続けざまの出てきたのが、職場の教頭先生(だったと思う)この方も、負けじと、ありがたいお話を20分。結果として2人の挨拶だけで披露宴の1/3の時間を費すこととなった。場内は2人の先生の話が終わって、拍手喝采というより、ため息が聞こえたようだった。場内が歓談の折、友人のお父さんが、我々の卓に来て第一声

 いや〜 学校の先生は話が長いなぁ〜

と一言。確かに主賓クラスの挨拶で「おめでとございます、お二人のご多幸をお祈りします」で終わられると、さすがに「ちょっと、ちょっと」という感じにはなるが、いくら何でも、授業でないのだから、延々40分しゃべりのは勘弁してもらいたい。

学校の先生ばかりの披露宴など中々、出る機会はないのだが、思い出してみてば、小学校・中学校の朝礼で、校長先生の話が無駄に長いと、バタバタと貧血で倒れる人が続出する。しかし、校長先生は普通、高いところから、しゃべっているのだから、その様子を伺えるはず。しかし、ほとんどの校長先生が討ち死にする児童・生徒は目にしているはずなのに、容赦なく話し続ける。これもプロフェッショナルイズムなのだろうか。いや、これがホントの『しゃべりたおす』ということだろうな。

同級生2

2007年1月29日 日常
ふと、先月集まった中学時代の友人達のことを思う。この集まりは、20歳くらいの時から毎年かかさず年末に行っている、何の意味もない集まり。強いてあるとすれば、1年1回、同級生達が今、どんな仕事をしてるか?とか、今、どんな生活をしているか?という事を確認するといえばいいだろうか。

メンバーもここ数年、固定化してきた6人。多少、顔ぶれが変わるものの、だいたい6人で集まる。さすがに34歳ともなると、各人とも色々な人生がある。6人中、3人は既婚。その3人のうち2人は子供がいる。特別変わった事ではないのだが、今年は1つショッキングな話を聞くこととなった。とある友人の旦那さんが、去年の10月に亡くなったという。旦那さんには会った事はないが、その話を聞いた時には、言葉に出来ないショックをうけた。

約20年ほど前、我々は同じ制服を着て、同じ教室で勉強したクラスメイトであった。その後、卒業して高校へ進学し、ある友人は大学から大学院に行き、またある友人は、専門学校から会社勤めをして、その後フリーのライターを生業としている。それでも、ほんの1年、クラスメイトだったという理由だけで、毎年集まっていると、本当に大事な友人に思えてくる。その中の1人の旦那さんが亡くなったといわれると、本当に言葉がない。特に自分は独身だし、その友人の立場になって考えることは難しい。

同じ歳の友人。それは、自分と同じ時間を生きてきた人。彼らが幸せになれば、自分も嬉しいし、不幸になれば、やはり自分も不幸になる。先の日記に記したように、同じ歳の友人は大事にしたいと思う。

五七調

2007年1月28日 日常
日本語で、一番リズミカルに聞こえるのは五七調。俳句や短歌に限らず、例えば、テキ屋の兄ちゃんの口上であったり、交通標語であったりと色々。今、読んでいる「声に出して読みたい日本語」によると、J-POPもその源流であるとある。

▼ サザン・オールスターズ 波乗りジョニー

♪ だから 好きだと言って 天使になって
  そして笑って もう一度〜

 3 → 7 → 7 → 7 → 5

また、こんなのもある。

▼ 忍者ハットリくん

♪ 山を飛び 谷を越え ボクらの街に やってきた 
  ハットリ君が やってきた

 5 → 5 → 7 → 5 → 7 → 5

とこんな感じ。意外なところでは法律。廃法だが、大日本帝国憲法

 第十一条
 天皇ハ 陸海軍ヲ 統帥ス

 5 → 7 → 5

みごとな五七調。これをご覧のサラリーマンのみなさま、朝礼のひとことネタにでも使ってください。

同級生

2007年1月27日 日常
友達と毎度の寿司屋で飯を食べていたところ、携帯が鳴り、出てみると高校の同級生から。なんでも新年会の最中だとかで、電話の向こうはかなりざわついていて、電話の主も、かなり酔っ払っている。話を聞いてみると、たまたま話題がワタシの話になり電話をかけてみようという典型的な酔払いども行動のようだ。

良く考えてみれば、彼らと最後に会ったのは、誰かの結婚式の2003年が最後だから、なんだかんだで4年近く会っていない。今回、新年会に誘われなかった(誘われても日程的に行けなかった)が、昔なら「いい迷惑だ」となるところ、だか、今回は友達と飯を食っている途中であっても、なんだか嬉しくなった。やっぱり同級生というのは、いいな。歳をとればとっただけ、いいように思えてくる。

ふと、考えてみる。どっかに書いたが、学校の同級生というのは、大体が1年間一緒のクラスにいたという事実なだけ。それでもいくつになっても、なんだかんだと理由をつけて、あるいはいい理由付けで集まったりするもの。毎度の話ではかったるくなるが、完璧に忘れた頃に、皆して集まるという事は、良い事ではなかろうかと、最近、素直に思う。

By the way・・・

最近、mixiの中学校(小学校?)の同級生からメールをもらったのだが、名前を書かずに送ってきた。その人のページに行っても誰だかさっぱりわからないので「どなたですか?」と聞いたところ「言えないから、(母校の)コミュニティに書いてくれ」という謎の返信。何がどうなって、そういう答えになるのか、訳がわからないので、ほったらかしにしてあるのだが、同級生とは言え、20年以上たっているし、名前が名乗れないメールをメールして扱えない。また、こちらが「誰だっけか?」と考えるのも時間が勿体ない。名前を名乗るところから初めてほしいものだ。
朝日新聞の一面記事。全国で給食費を払わない人が約10万人にいて未納金額が約22億円もあるそうだ。未納10万人のうち約33%が経済的理由で「払えない人」で、意識的に「払わない人」が約60%という内訳。ちなみに経済的に払えないと言っても、車のローンを優先しているので、給食費が払えない人もいるとのことで、33%という数値もマユツバのような気もする。一方で、意識的に払わない人の理由として

 ・義務教育なんだから払う必要がない
 ・(給食を)注文した覚えがない
 ・学校が勝手に午後まで授業をやっている

などなど。自分は小学校の時に給食の世話になったが、多分、その時代にも払えない人はいただろうが、さすがにニュースになることはなかった。あったとしても、本当に払いたくても払えない人がほとんどで、ましてや車のローン云々なんて事は、絶対にありえないリアルに慎ましい人に限られた話ではなかったかと思う。

今の時代も、リアルに慎ましい人はいるだろうから、それは別の方法を考えるとして、意識的に「払わない人」のは、社会性という側面からみると、やっぱり意識が欠落しているとしか思えない。義務教育でなくても飯は食うだろうし、注文した覚えがないといっても、給食という世間的にも歴史から言っても認知されたものであるから、知っていて払わないというのは悪意がある。また勝手に午後まで授業をやっているという理由だって、自分たち(親)が、選挙で選んだ国会議員が決めた「教育基本法」で授業単位は決められているのであるから、まったく理由になっていない。それでも給食費が払いたくないのなら、自分で立候補して、法律の改正をするか、給食を廃止にするか、日本を共産国にすればいいことだ。やはり最終的には親のモラルの問題になるのではないか。「払っていないからといって子供に食わせない事はないだろう」と足元を見て、払わなのは純粋に間違っている。また、払われない給食費は、他の補助予算から補填したり、きちんと支払っている人から補填していると記事にあった。という事は、どこかで誰かに迷惑をかけているの事は事実である。人に迷惑をかけて「社会性が欠落している」と言わず、何を欠落していると言うか。

できないのは分かっているが、究極の打開策として、未納の給食費をどこかのファクタリング会社に債権譲渡し、ホンモノの回収屋さんの登場するというのはどうか。債権譲渡してしまえば、学校や地方自治体なんて関係ない話だし「学校や地方自治体が債権譲渡したから、怖いお兄さんが回収に来た」と言った場合、世論は未納の親に同情するのだろか?しかし、この国の世論としては実際にそうなった場合、

「そこまでする学校や地方自治体はおかしい。
 独自で回収に努力するべきだ」

という、生ぬるい毎度の結論に着陸するだろうと推測してみる。

暖冬

2007年1月25日 日常
早いといってしまえば、それまでだが、もう1月25日で今年初の給料日。1月と12月はバタバタしているうちに過ぎていく月。特に1月はここ数年、決算時期とぶつかっているから、仕事も忙しい。それにしても今年の冬は暖かすぎ。暑いのも寒いのも好きではないが、冬は寒く、夏は暑いほうがよい。

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