12月30日に集まる同級生の中に高校の教師がいる。いじめ問題が毎日のように報道されている中、現職の教員に、この件を聞いてみる事とする。まず、そもそも「いじめ」の定義とは何か?とたずねたところ、

 肉体的または継続的に苦痛を与え続けること

を言うそうだ。逆を言えば、上記に該当しないものは「いじめ」とは言わないらしい。かなりぼやけたガイドラインであるから、現場の先生方は、その時々で対処しなければならないというのが本当の所だろう。ただ現行犯であれば、そうでもないだろうが、誰が加害者で誰が被害者であるかという特定も難しいと言う。報道で「いじめを放置していた教員は懲戒処分にする」とか「いじめた者は出席停止」とか「見てみぬふりをしたものは加害者」などといわれているが、現実問題としては不可能と感じずにいられない。

昨今の報道の主は「いじめ自殺」となるのだが、そもそも「いじめなんてなくならないのではないか」という話になった。むしろ「いじめられても死ぬという発想が浮かばない、足腰の強い子供に教育するべき」という展開になった。というのも、例えば、学校という世界に完全にいじめがなくなってパラダイスになったとする。そのパラダイスで育った子供は、やがて社会に出るのだが、社会というのは、ありとあらゆるところに、いじめが存在する。成績の上がらない営業マンは、上司にどやされ、また、理不尽だとわかっていても、顧客に頭を下げ続けるのが現代社会の縮図。そんなところに、パラダイスからやってきた人が、いきなり上司がどやされたと思ったら、ビルから飛び降りました。みたいな話が、あちらこちらで出てくるのではないか。本当にそれでいいのだろうか。いじめがいいとは言わないが、社会に出るまでに切り抜ける手立てというのを自分で考えるのも大事なことではないかと思う。

強者の論理とか、子供がいないから好き勝手言えるのだ、という反論されるのはわかっているが、現実的に、いじめが防ぎようがないものと仮定した場合、排除するのではなく、被害者が耐えるとか、反撃するというのも1つ方法として提示するべきだと思う。着地点は「死ぬのは、何を差し置いてもイカン」という事。また反撃して一気に形勢逆転みたいな簡単な構図であるから「今にみておれ」的なことを教え込むというのは、一番早い手段ではなかろうか。

もう1つの話題。昨今の学校の先生は、生徒に手を挙げてはイカンという決まりがある。そうした場合において、生徒が殴りかかってきたら、一方的に殴られ続けられなければならないのだろうか?という事。友人曰く、一発殴らせて後は、何とかすると言っていたが、本当にそんなことが出来るのだろうか。そう考えると、最近の学校の先生は本当に大変だと思う。

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