知人の日記で知ったのだが、最近の若人は付き合うのも別れるのも「携帯メールが良い」という人が結構いるらしい。昭和40年代生まれにしてみれば、考えられない常識で我々の世代の多くが「怪しからん、物事のケジメはきつんとつけろ」という話になると思う。もちろんメールそのものがイカンという話ではなく、道具の使い方に着目するべきだと考える。自分も仕事でメールをよく使うが、重要な案件だったり、相手に何かをお願いする時は、メールを出す前や後、必ず電話を入れるようにしている。この場合のメールのポジションは、案件や依頼の信憑みたいなもので、メールで完結すると1ミリも思っていない。それがビジネスの常識であり、当然、一般的な常識であるとも考える。ところが、この手の若人は、何が重要で、何が重要ではないかという判別が、携帯メールという便利な道具のおかげでぼやけきてしまうか、そもそも考えなくなるのではないか。以前、何度か書いたし、今日もおーなー@マイミクのところにもコメントしたのだが、携帯電話の普及に伴い
娘の電話を取り次がない親父が死滅した
と言われている。携帯に電話なりメールをすれば、ほぼ100%に近い率で本人が出る訳で、煩わしい家人といちいち話す事もないし、長電話を叱られることもない(結果的には叱られるかもしれないけど)。ところが、便利な道具が登場したからと言って、完全勝利というは事には中々いかない。考えてみれば、確かに娘の親父は、男にとって、斎藤隆vs福留くらい相性が悪く、男は何とか「怪しいものではありませんので、どうかお嬢さんを電話に出してください」的な事を必死に考えなければならない。何とか親父に切られないように克服しなければ、彼女と会話することができないからだ。実はこれは話術習得、コミュニケーションのトレーニングであると言えないだろうか。すなわち、あらゆる情況で、なんとか自分の意思を伝える意味では格好な場面であるという事。しかし、携帯メール普及のおかげで、その機会はほぼ失われる訳である。そういった意味では、電話を取り次がない親父が死滅したという事は、食物連鎖崩壊同様、便利なようで、赤字国債同様、遠いあるいは近い未来に宿題を残す結果になるであろう。
よく「各部署、コミュニケーションをよくとって」みたいな話で、会議などの締めになりがちだが、具体的にコミュニケーションの手立てを手解きする事はまずない。結構、ぞんざいに安っぽく使われてしまう言葉である。実のところ、コミュニケーションの手段というのは、それまでのその人の蓄積があって初めて成立つことであり、ほとんど人と話さないような人生を歩んだ人に、当たり前ではあるが、そんな事を急に求めたところでまったく意味のない話である。また仮に手解きがあったとしても、それはコミニュケーションの「コ」の部分にすらならない。数年先「付き合おう」「別れよう」をメールだけでやりとりしていた若者が、上司に
お客さんに謝って来い!
と叱られて、メールで
Subject:お詫び
本文:マジ、すみませんm(__)m
という輩も出てきてもおかしくない。近い将来、笑えない笑い話になっている可能性はあるのではないか。それか、もっと進化して
本文:いちいち電話してくるな!詫びならメールでいいんだよ!(怒)
とメールでお客に叱られる日のいずれかが来るのではないかと、この話を知り真剣に思う。
娘の電話を取り次がない親父が死滅した
と言われている。携帯に電話なりメールをすれば、ほぼ100%に近い率で本人が出る訳で、煩わしい家人といちいち話す事もないし、長電話を叱られることもない(結果的には叱られるかもしれないけど)。ところが、便利な道具が登場したからと言って、完全勝利というは事には中々いかない。考えてみれば、確かに娘の親父は、男にとって、斎藤隆vs福留くらい相性が悪く、男は何とか「怪しいものではありませんので、どうかお嬢さんを電話に出してください」的な事を必死に考えなければならない。何とか親父に切られないように克服しなければ、彼女と会話することができないからだ。実はこれは話術習得、コミュニケーションのトレーニングであると言えないだろうか。すなわち、あらゆる情況で、なんとか自分の意思を伝える意味では格好な場面であるという事。しかし、携帯メール普及のおかげで、その機会はほぼ失われる訳である。そういった意味では、電話を取り次がない親父が死滅したという事は、食物連鎖崩壊同様、便利なようで、赤字国債同様、遠いあるいは近い未来に宿題を残す結果になるであろう。
よく「各部署、コミュニケーションをよくとって」みたいな話で、会議などの締めになりがちだが、具体的にコミュニケーションの手立てを手解きする事はまずない。結構、ぞんざいに安っぽく使われてしまう言葉である。実のところ、コミュニケーションの手段というのは、それまでのその人の蓄積があって初めて成立つことであり、ほとんど人と話さないような人生を歩んだ人に、当たり前ではあるが、そんな事を急に求めたところでまったく意味のない話である。また仮に手解きがあったとしても、それはコミニュケーションの「コ」の部分にすらならない。数年先「付き合おう」「別れよう」をメールだけでやりとりしていた若者が、上司に
お客さんに謝って来い!
と叱られて、メールで
Subject:お詫び
本文:マジ、すみませんm(__)m
という輩も出てきてもおかしくない。近い将来、笑えない笑い話になっている可能性はあるのではないか。それか、もっと進化して
本文:いちいち電話してくるな!詫びならメールでいいんだよ!(怒)
とメールでお客に叱られる日のいずれかが来るのではないかと、この話を知り真剣に思う。
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