泳ぐ

2006年1月9日 泳ぐ
本当に久しぶりのプール。去年の11月から大和引地台プールが改装工事になったことと、12月は忘年会もろもろで、時間がとれないという安易な理由でプールにいけずじまい。さすがに年が明けサボり過ぎたを実感し、藤沢石名坂プールへ。

* 本日のメニュー

 平泳ぎ 375m
クロール 375m
 ※25mプール15往復(30本)
水中ウォーキング 55分

藤沢市のプールは大和と違い制限が厳しく、1時間に1回、必ず休憩時間があるため、フルメニューはこなせず。といっても、ほぼ2ヶ月ぶりに泳ぐので、自制したという部分もある。2ヶ月ぶりだったので、さすがに辛いかと覚悟していたのだが、思ったより体が動いてくれた。とは言うものの、両二の腕が痛いのは事実。できるだけ週に1度はプールに行くように努力する。

心の錦

2006年1月8日 日常
年末のGチャンネル「知りたいKEIBA情報局」の最終回のビデオにて。番組の最後にコメンテーターの長岡一也氏が

 「10年先を見据えて、街のイルミネーションを見ながら、
  いつまでも、心の錦は忘れずにいたいな」と発言。

はっと「なんていい言葉なんだろうか」と思う。ぼんやりと言葉の意味は知っていたが、きちんと調べると、

 着ている服はボロでも、
 心は錦で飾っていること

という意味。本当にそうだよな。確かに見た目は貧相でも、中身が美しいという事が本来あるべき姿であると思うし、人を見る時も、外見で判断するのではなく、その人を掘下げないと行けないと改めて感じる。しかし他人を掘下げる前には、自分をより掘下げて置かないといけない。

よく簡単に「自分らしく」と言うが、どこまで掘下げて、その結論になったのだろうかと感じることがある。「これでいいのだ」という現在肯定型の考え方は各々のパーツごとには存在するかもしれないが、総合的な是非というは、中々難しい。他人をとやかく言う前に「自分はどうなの?」と考えてから、自分の店でお客「相手」と接しないといけない言葉でもある。
またしても麻雀。今回は半荘6回やって-32。6時間遊んでこれくらいらまずまずか。もう少し言えば、接待麻雀としては合格だろう。どうも3日に開催した悪い流れを引きずっているようで、うまく行かない。うまく行かないというより集中力が持たないといった所か。もちろん、何事も全て上手く行くなんて、これっぽっちも思っていないのだが、配牌のたびに

 ああ、自分の運なんて、こんなものなんだなぁ

と思ったりもする。無縁坂の歌詞ではないけど「運がいいとか、悪いとか」というのは、やはりあるのだろうか。それが存在するのであれば、自分でどのあたりまでコントロールできるのかと思う。なるべくは、それらに左右されないで生きて行きたいのだが、都合が悪くなると、そういった思考になっているというのは、弱い証拠だな。

誤解

2006年1月6日 日常
余り仕事のことは書きたくないのだが、年末に業務のことで、あれことと、隣の部に人に意見したことがあったのだが、それについて、自分の言いたかったこととは全然違う話に出来上がり、最後には、上司に注意されるというスキームとなった。言われてみれば、言い方にトゲがあった部分もあるかもしれないし、言葉足らずだった部分もあったかもしれないが、それにしても自分の言ったことと違うことで注意されるというのは・・・・

 反省半分、???が半分

誤解は誤解として「そう思われないように努力する」という事を反省とすること。それとをそれを解くチャンスが欲しいというが本音なんだが。もう一つは自分の発言で他人が不快に思わせたのなら、十分に反省して謝罪しなければならないとは思っているのだが、身に覚えがないことで弁明や釈明しなければならないというは、結構、辛い話である。これだとこちらが一方的に悪いという話になってしまう。邪推かもしれないが、今回の場合は、当事者同士ではなくて、話に尾ひれが付いたような気もしないでもないのだが。
朝、品川駅にて。さすがに今日から仕事はじめという会社が多いようだが、品川駅を降りた瞬間、近くのドア付近で聞こえるカナ切り声が2つ。女性2人が「あんた迷惑だ」と叫んでいる。自分とは関係ないが、なんとなく辟易としてしまう。満員電車なんだから「ある程度は仕方ない」とは思うのだが、一線を越えてしまったのだろうか?

偏見かもしれないが、何度か女性同士が口論している現場に遭遇したことがあるのだが、男性同士のそれに比べると、どちらも引かないで、延々怒鳴り合っているケースが多いような気がする。今朝も一方の女性がドアが閉まるまで、叫び続けていた。全部、言い切らないと気がすまないという事なのだろうか?

仕事はじめ

2006年1月4日 日常
この業界に入って11回目の初仕事。毎年のことながら世間の半分くらいは動いていないし、出社している人も少ない。となると、当然、仕事も何となくダラダラとして「連休明けでいいや」とかなりいい加減になる。4日から仕事している人は誰もがそう思うのではないかな。

思う。カレンダーのめぐりにもよるが、世間的に正月5日くらいまで休みにしてもいいのではないかと思う。といってもきっかけは、官庁と銀行だから、難しいか。

新春麻雀大会

2006年1月3日 日常
新春麻雀大会。最初の半荘で+91と絶好調でスタートしたものの、後5回半荘やって、終わってみれば-6と順調に下ったという結果。まぁ、今年の賭け事も終わってみればマイナスという感じかな。

流れというか、麻雀は本当に流れで勝敗が左右される。それを読みきれるかどうかで随分と変わってくるのだろうが、落ち込んでくると中々、うまくは行かないもの。そういう意味では、最初に+91で貯金をして、少しずつ減らしていったという意味では、大負けするよりマシだったのかな。

しかし、もう少し前向きに考えないと中々、進まないぞ。
去年の話になるのだが、毎年12月30日前後に中学の友人6人と集まっている。取り立てて理由がある訳ではないが、毎年、恒例となっていて、もう10年以上続いている。話す内容も大した事がなく、ダラダラと3〜4時間、思いついた話を勝手に話していると言った具合だ。その中で出た話題。

 韓国ドラマはいいか、悪いか?

というテーマ。ある友人は「単にマスコミが煽っているだけ」という意見が出た。実際に韓国映画は見るのだが、韓国ドラマは見たことがないので、批評が出来ないが、仄聞する所によれば、その昔、日本のドラマの主流だったベタベタなストーリー展開だとか。

ただ、時に思う。世の中の流行りモノで「マスコミが煽ってないもの」というのが存在するか?韓国ドラマではなく例えば、大晦日にはPRIDEやらK-1が放映されているが、世の中の人のどれくらいが、PRIDEとK-1の区別が付くものかと思うし、そんなに日本全国の国民が、格闘技好きとも思えない。以前、フジテレビが散々、F1に注力していたが、それだって日本国民全部がF1好きではないという事に同じ。

 で、2〜3日たって、ふと思いついたことがある。

ようは、現在の日本という国は、皆が皆「右にならえ」という時代ではない。その証拠にレコード大賞なんて、今となっては誰も興味もないし、受賞曲が国民の大多数が知っているとは到底思えない。いいか悪いかは別にして膨大なマスコミュニケーションが発信する情報、あるいは個人レベルでインターネットから発信される情報により、受け手側の選択肢が多様化している時代である。その中で、他と比べてほんの少し突出した情報が「小ブーム」になっているにすぎない。簡単な例で言えば

 ディープインパクト
 チャン・ドンゴ
 ミルコ・クロコップ
 渡辺俊介
 
これら全部を2005年に何をしたかなど正確に語れる人は、いないと思うし、清原和博が来年、どこのチームでプレイして背番号が何番になったかを知っている人だって答えられる人もそうはいないと思う。しかし、それぞれが好きな人というのは、それはそれは詳しく語れるはずである。だから、世に言う「ブーム」という定義を変える必要があるのではないだろうか。現代においては「国民的なんとか」なんていうのは、一昔前のそれ比べればマヤカシに過ぎず、ごく一部の属性には集中しているが、あとは「別にそんなのどうでも良い」という事になる。

とどのつまりは「趣向」という言葉で片付けられてしまうが、少なくとも、自分が知らない世界に「あれこれ」言うのは間違いだという事だけは認識するべきかな。それともう一つは報道というのは人(自然人、法人)がやっている以上、多少の恣意的あるいは商業的な要素(Commercialism)が含まれているのだから、煽ったら多少の誇張は当たり前。そのモノ自体を「煽っているから」というのを終着点として、論旨するのは見当違いではないかと思う。

元旦

2006年1月1日 日常
2006年元旦。毎年のことながら、新しい年というのはピンと来ない。会社の書類を書く時にいつまで「2005年」と書いてしまうかと思う。年越しは自宅。Gチャンをだらだら見ている間に年越し。まったく気が抜けている。

 一年の計は元旦にあり

と言うが、今年の元旦は、まったく何もせず。自宅から一歩も外に出ないというお粗末ぶりだ。今年も「凪」のまま終わるのだろうか?と思う。

去年の元旦の日記を読んだのだが、映画を2本観に行っている。去年も酷い元旦だと思っていたのだが、今年はもっと酷い元旦のようだ。

年間回顧

2005年12月31日 日常
このような場合は、だいたい10大ニュースになるのだが、思い起こすと5つくらいしか出てこない。

◆ 祖母フミ他界
7月初旬に同居の祖母が他界。享年96歳の大往生。闘病の末というのではなく96歳で老衰だから、かなりうらやましいとすら思う。祖母がなくなった云々というより、家族とか親戚付き合いとか、そういった難しさを知る。

◆ 万券的中4本

 フェブラリーステークス
 宝塚記念
 葛飾区特別
 富士ステークス

と4本の万券的中。スイープトウショウありがとう。2月の段階で電話投票の銀行口座残高が5000円しかなかったのだが、最終的に58,000円まで膨れ上がる。来年は10本万券をとれるようにがんばる。

◆ 勤続10年
95年12月に入社して2回の合併を経て、大リストラが行われたにも関わらず、何とか生き残り、勤続10年達成。節目に課長代理にも昇進。ただ明日とも知れない会社にいるのは確か。

◆ たくさん増えました
今年もたくさんの方と知合いになれました。本当に感謝です。

◆ 結婚式2次会の幹事&司会
上記のおかげで、友人の結婚式の二次会&司会を仰せつかる。後々、色々な人に会の感想を聞いたが「楽しかった」「いいパーティーだった」という意見が聞け、ありがたかった。大役だったが、むしろ、そこに関わった人達との関係が深まり、今年一番よかった事。

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今年、お世話になった皆様、本当にありがとうございます。来年も今年同様、バカなことを言い続けると思いますが、何卒、よろしくお願いいたします。

三井住友銀行

2005年12月30日 日常
10年前、さくら銀行・赤坂アークヒルズ支店で銀行口座を開設し、幾度となく移管をされ、今は三井住友銀行・青山支店。ちょっとした手続きの為、初めて来る。

初めて来るのは、いいが行員の数と客の数がアンバランス。普通、アンバランスというと客が多くて行員が少ないというパターンだが、ここは行員の方が多いのにやたら客を待たせるという最悪のケース。さくら銀行と住友銀行の悪いところだけとったモデル店みたいなものだ。ひょっとしたら見た目の人数は大した事ないのだが、動きが悪いからそう見えるのかもしれない。

また、昨今の風潮で人員を多く配置してコンプライアンス遵守の観点も分からないでもないが、客よりそちらのほうが大事か?と思う

仕事納め

2005年12月29日 日常
今日で仕事納め。金融なので毎年、銀行が動いていれば働いていたのだが、理由は分からないが今年は1日早く仕事納めとなる。業務終了後、関西から友人が2人(男女)が上京しているとの事で、こちらに住む友人を交えて何度目か分からない忘年会を渋谷で開催。彼らは自分がWebを始めた時に初めてリアルに会った人たち。まだ続いているのってスゴイよな。

それにしても12月は何回、忘年会たぐいの宴会をやったろうか。『年』はともかく回数は完全に忘れている。ちなみに会社の忘年会は開催されていない。さて、明日はひとまず月曜日のリベンジで青山の銀行へ。夕方からは恒例の中学の同窓生と無駄に集まる会。これをやると本格的に年末という感じがする。あっ、今日、予約しておいたGチャンの番組もみないと
いつぞや書いた「はい、はい、分かりました」と同じ男性が女性に言われて、殴ってもよいと勝手に思っている起爆シーケンスコード。過去に何度か言われた経験があるが、こちらとしては、何らの事情で女性を叱責していたり、詰問したりという時に、よく言われる。言われれば

 それはまったく理由にも見解にもなっていない。

と思うしかない。「そうか、わがままだったね。なら仕方ないや」という訳には行かない。多分、言われている時は、こちらとしてもかなり熱くなっているので、きちんと考えない。落ち着いて考えてみれば、これを言う方は、一言で一気に問題の解決を図ろうとしているのではないかと思う。

 私、わがままだから

「わがままだから許して」「わがままだから仕方ないでしょ」と言った類の事なのだろうか。辛辣な言い方をすれば「逃げ口上」以外の何物でもないと思う。もっと言えば、体の悪い「逆切れ」みたいなものだろう。ただ、こんなことが続くようだと、限界は近いと思う。自分の考えとしては、

 やってしまった事は、仕方ないとして、
 それが何で起こったか?今後のケアはどうすか?

という事を考えるべきだと思うので、「女心を分かってないな」といわれるかもしれないが、この手の妥協はしたくない。もちろん、1回や2回は我慢する許容はあるのだが。ただ、今、思っていることを素直にログにしているのだが、読み返せば、すごく嫌な男に思えてきた気もする。
関西の友人と京都四条河原町で焼肉を食べながら。

ドラゴンクエストというゲームは、新しい村だの町に行くと、だいたいトラブルが起きていて、それより先にある洞窟やら塔のアイテムをとってくるとか、悪い奴を倒すという王道のストーリーで構成されている。もちろん、新しいフィールドだから、今までのモンスターより強い訳で、おあつらい向きに村や町では、今までの装備より豪華な武器・防具が高値で売られてもいる。ゲームバランスを考えれば、それらを装備して、その洞窟や塔に行けという事だ。

囲碁や将棋というのは、よく「性格が出る」といわれてるが、このドラクエも同じではないかという話。村や町で売られてる武器・防具を全部そろえなくても、戦いようによっては、ハイリスクながらクリアできる。逆を言えば、売っている武器・防具を完璧にすれば、かなり楽にクリアすることが出来るわけだ。論点はここ。どれくらい装備品を整えて洞窟・塔に挑むかという事。友人は完璧にしないまでも、「ある程度」揃えて挑み、不足分は現地で調達するとの事。かく言う自分は、周りでモンスターを地道に倒しながら、余裕を持って装備品を完璧に整えて挑む。かなり固い戦法。

 結構、性格が出ていると思う。

ここではいいか悪いかという議論はおいておいて、この友人以外に他の人の話を聞けば、あまり完璧に装備を整えて行くという人はいないらしい。他に比べて自分は、かなり保守的でリスクをとらないという事だ。多分、実生活でもそうだと思う。

何かをやろうとした時には、大なり小なりリスクが伴う。かと言って、何もしないという訳には行かない。ようは「どこを落としどころをするか?」という話。「安全に、安全に」と行けば時間がかかる。かと言って「行け行けどんどん」であると失敗した時に、大きな反動があるのも確か。しかし、ふと、こんな話を友人としていて思ったのだが、今までの人生は、かなりそのパラメーターを高く設定し「安全に、安全に」と来てような気がする。それはそれでいいものだと思っていたのだが、実は、何かで勝負を掛けようと思っても、躊躇してしまうという大欠点があり、ひょっとしたら、随分と機会損失を出して来ていたのかなと思う。

今更、「行け行けどんどん」の性格には慣れないが、もう少し、パラメーターのデッドラインを緩和させる必要性があるのではないかと思う。「はがねのつるぎ」が売っているけど、洞窟に行けば「いなづまのけん」が落ちているかもしれない。まぁ、パーティーが全滅したとしても、またゴールド貯めて挑めばいいやというような、ラフな感覚も必要。コツコツやるのも大事。しかし、勝負所を見極めて一気に行くというのは、もっと大事なのかも知れないな。

有給休暇とケーキ

2005年12月26日 日常
有給休暇とケーキ
有給を申請したのが12月初旬で、取り立てて用事があった訳ではないが、いざ今日になってみると病み上がりで、大阪・京都と回って来てやすがに疲労困憊。偶然とは言え、よい休養日となったと思う。

自分のメインバンクが青山にあり、やんごとなき事情で、年内に行かなければならく13時過ぎに家を出る。どうも休日となると電車にはなるべく乗りたくない性質で無理矢理車で行く。結果的には大誤算。保土ヶ谷パイバスと首都高速の大混雑で銀行閉店時間15時に間に合わず。途中ですっかり諦めて、3号線の池尻で降りる。さて、このまま帰ったら、ただのアホだし、せっかく都内まで来たので、無理矢理買い物。という事で、ちょっとは世間様並のことをしようかと思い、前より「お待ちしています」と言われていたケーキ屋さんへ。多分、お使い物以外でケーキを買うのは初めて。

画像は買ってきたケーキ。名前は、注文した途端忘れてしまうくらい、ややこしい名前だったが、食するとこれが実に美味しい。ただ、3つ買って計1,200円だったことを考えると、ケーキはやっぱり高い食べ物と実感する。逆をいえばもらうと非常にありがたいという事だな。
有馬記念、3冠馬ディープインパクトはハーツクライに半馬身及ばず惜敗。レースは映画を見ていたので、ライブでレースは見られなかったが、実際に見ていた人の話、後にレースを見た所、決勝線手前ではすっかり勝ちパターンだったはずが、いつもの突き抜ける脚が炸裂せずの2着。無敗で2着だと世間の意見も非常。しかし、これが競馬である。競馬という競技はそもそも勝つ続けるという事が極めて難しい。逆にディープインパクトはよくも8回も続けてよく勝ち続けたというのが正しいであろう。

有馬記念とダービーは、普段、馬券を買わない人も参加するレースで、かつ、今回のように1本かぶりの1番人気が出てこようものなら「今日は負ける」など、やんややんやという人がたくさん出てくる。コンスタントに競馬をしている人であれば、勝ったハーツクライとディープを比べれば、1着と2着が入れ替わると予想するのが普通。だからディープが勝った負けたというより鞍上のメルール騎手の激にハーツクライが見事に答え、普段とは違う先行先で突き抜けたというのが一番だろうと思う。しかし残念ながら、ここまでは読みきること出来ない。

 だから競馬は面白いし、まだまだだと思う

こう思えばこそ続けられるとも思う。ちなみに

 「(馬券を)買っていたら当たっていた」

という人が時々いるが、参加していない以上は、まったく意味のない発言。これがアリなら、

 「(宝くじを)買っていたら3億円当たっていた」

というのと同じ話になってしまう。
やんごとなき理由で関西へ。さすがにクリスマスイブとあって、梅田界隈はすごい人手。ただ、言うほどカップルがいるという感じでもなく、ちょっと見方を変えれば、街自体がクリスマスのデコレーションに覆われて年末の買い物客が多いという感じにも思える。

 思える。。。

そう、思えるのだ。この文面を綴っていて思うのが、完全に客観的に情景を文字に表しているという事。つまりはまったく自分には関係ない出来事を傍観者として書いているという事に気がつく。一部では『クリスマスなんてマスコミに煽られているだけで、本当の意味を・・・』みたいな事を言う人もいるが、それはそれでアリなのではないかと思うしキリスト教を冒涜しているとも思わない。そもそも世の中のイベントと言われるほとんどが、みんなそんな感じなのだから、クリスマスだけ特定して、あれやこれやと言うのもヘンではないかな。つまりは、日本全体がお祭りみたいなもので、そこに繰り出して「クリスマスを満喫」している人は、お祭りに参加しているだけにしかすぎないのではないかと思う。

なんというか、その祭りに参加していないというだけに思えてきた。別にひがんでいるとか、寂しいとかそういった感じではなくて、単に「ああ、やっている」というくらいな感覚。ここ数年、そんな感じ。こんなことを書いていると、世捨て人のような感じだが、「祭り」に参加できればできたで楽しいのだろうけど、まぁ、しないならしないでいいかな。

風邪

2005年12月23日 日常
昨日の予感のとおり朝から喉が痛く、ひょっとしたら?と思いながら出社。しかし余りに喉が痛くのど飴で、その場をしのぐ。風邪は気合いで治すという無理な論法で、帰りに同僚と二郎で

ヤサイ、ニンニクダブル

を食して気休め。しかし帰宅後、悪寒に襲われる。ヤバいなぁと思ったのだが、時既に遅し。どうやっても悪寒がとれずに熱い風呂に何度か入って布団にくるまる。夜中2時すぎに寝汗で目が覚めて再び入浴。喉が焼けるように痛い。再び寝たのが3時すぎ。その後、何度か起きては悪寒に耐えきれず入浴。風呂場は湿度が高い分、喉の痛みも和らぐ。しかし風呂から上がると、どうしようもない気だるいさ。完璧に熱があるようだ。

今日の午前中にはなんとか目は覚めたが、全く動く気にならないし食欲もない。とは言っても何も食べないのもマズいと思いコンビニへ。とにかく食べやすいものと考えてサンドイッチ、スープ、ゼリー、風邪の時にはバカみたいに飲むポカリを買う。薬屋にも行ったがあいにく休み。仕方なくそれらを無理矢理詰め込んで、また寝る。目が覚めては風呂に入る。これを繰り返し、24日の午前6時。白々、夜が明ける。遠くで寺の鐘の音が聞こえる。クリスマスイブに鐘の音というのもなかなかよいものだ。そのまま、気が付いたら眠ってしまったようだ。再び目が覚めたのは9時すぎ。昨日、一昨日に比べ、随分とスッキリし悪寒もない。どうやら回復傾向。土・日は用事があるのでギリギリセーフと言った所か。

それにしても、熱は最後まではからなかったが、歩く度にフラフラになっていたので、いい塩梅で熱が出ていたというところか。まだまだ気合いだけで風邪は治せるようだ

なんとなく

2005年12月22日 日常
風邪ひきそう。と思っているときは、だいたいひいているのだけど。

グレーゾーン

2005年12月21日 日常
世の中にはグレーゾーンというものがあり、「正しい」「正しくないか」という二極だけで割り切ることは、事実上不可能のケースが多い。従って、人と接するための重要な要素であり、自分だけで書いた図面だけでは、先に進まないという事でもある。これに気がつくかつかないかで、その後の人生、楽しくなるか、つまらなくなるかになるのではないか。

無論、白・黒はっきりつけなければならなという事は確かにあるが、日常、そんな事をすることなどないと思う。日常とは、グレーの中で「白っぽいグレー」か「黒っぽいグレー」くらいの差ではなかろうか。だから大事なのは、相手のある場合は、自分と相手とが、同じグレーゾーンの領域を持つことではなかろうかと思う。

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