リンク先の浅葱さんのblogより。会社のメールというのは割り当てられているハードディスクの容量があるので、ある一定量のメールが溜まると削除しなければならない。本来であれば、業務で使っているので、全部残しておきたい所だが、Excelのファイルだのpdfだのと、だいたい付いてくるので、すぐパンパンになってしまうそうだ。今年に夏に、会社のメールがパンクしかけて、泣く泣く消した覚えがある。

変わって自宅のメールだが、これはスパムメールは毎日削除しているが、あとのメールは、PCを初めて7年間、全部とってある。携帯のメールもPCに飛ぶようにしてあるので、受信メールは全部で約2万通。もちろん、もらったっきり2度見ないメールもあるのだが、それでも全部あるし、フォーマットやPCのデータ移管の時も最優先事項としてバックアップ・リストアしている。

 何故か?と言われれば、強い理由はない。
 近い理由としては、もらった手紙が捨てられないと
 同じなのかもしれない。

ひっくり返せば浅葱さんのblogのように過去、とある女性と付き合う前のメール、一番盛り上がっている時のメール、終焉のメールと1つのストーリーとなっているとも思われる。それがログして自分のメーラーの残っている。強いてメールを消さない理由は、残っている事こそ、事実であったと認識したいからかもしれない。

メールは消さない。というよりも消せない。たとえ見る事はなくても、メールを消すことはできない。どんな悲しかったり、辛かったりした事であっても、自らの軌跡として何らかのカタチにして残しておくべきではないだろうかと考えるからだ。
http://www.1101.com/essay/index.html

今回の「おとなの小論文」の内容は難しい。そもそも面と向かって「愛」なんて言ったり書いたりするものではないと思っているからだ。なんというか「愛」というのは非常に抽象的で、また説明するのがとても大変だし、使い方を間違えると、かなり恥ずかしい思いをする。だから自分だけではなくて、多くの人が、なかなかこのKeywordを発することはしない。

今回の小論文は「おとな」というシステムで、結論として「おとなとは、愛を分け与えるものであり、その為には自分も愛されなければならない」という事になる。なるほど。極めて自分が思いもつかない考えといえる。文中にも出てきたが、最近「キレやすい子供」というのが増殖中で、具体的には感情のコントロールが出来ないことを言う。原因は子供の頃に「上手く愛を受けたとれなかったから」というが専らの理由だとかで。つまり、悲しいかな親が子に上手く接していないという事とも言える。

ちょっと話は変わるが、なんでその話になったか、野球シーズン中に、一緒に観戦している女性(ニ児の母)と

 家庭は、最大の道徳の教科書

という話になった。昔から言われていることだし、今更という気もするが、思い起こせば「しつけ」などというものは、学校で教わることではなく、全ては「家庭」で大人が教えてくれたものだという事に気がつく。当時はそれだけ、大人と子供の接する時間が多かったという事だ。自分だけではなくて、日本中がみんなそうだった。

そう考えると、昔の大人は偉いと思う。今も素晴らしい人はいるだろうけど、昔の人ほどいたかと思えば、正直、少なくなっているというしかないだろうな。

慈しみをうければ、それだけ他人に慈しみを返す。「しょうがないからやる、嫌だけどやる」ではなく誰に言われるまでもなく自然に覚えていくこと。これこそが「大人のシステム」ではないかな。

10.19

2005年10月19日 日常
今年もこの日がやってきたという感じだ。とりたてて今日、何があったという訳ではないが、17年前の今日と言えば、ロッテ対近鉄のダブルヘッダー。当時のロッテといえば、パのお荷物球団。近鉄がダブルヘッダー2試合を連勝すれば、奇跡の逆転優勝という日であった。結果は近鉄の1勝1分。2厘差で西武に及びず優勝を逃す。

時は流れて2005年は、お荷物球団だったロッテがパを制覇。近鉄は球団自体が消滅。変われば変わるものだと実感する。

毎年、この日は、この話ばかりを書いているが、このダブルヘッダーよりすごい試合というのは見た事がない。おそらく、この先も見る事がないだろうと思う。現場まで行ったが中に入れず自宅でテレビ観戦していたが、この試合の重大さを感じられただけでも満足である。
というのは上司の話。自分の上司はどこの経理にとっても大きな案件をずっと抱えている。自分といえば、その上司のサポート役という位置づけである。ポジションとしては、どこにでもある組織の話だが、問題はコミュニケーション。

 前提として自分の上司は、わがままで、
 利己主義ではないという事を記す。

手前味噌になってしまうが、人と接する事は苦手としていないし、特に仕事となれば、関わる人に対して好き・嫌いなどは考えないで業務を遂行しているし、その努力もしている。そんなことは書くまでもなく当然のことだとも考えている。無論、その上司も同じこと。では、何故、コミュケーションがとれないか?という事。

これは個人の性格にもよることし、資質にもよることだが、とにかく上司は案件を一人で抱え込むクセがあり、周りが心配して色々と声をかけても、仕事を振るという事をしない。それがどんどん空回りして、ハタから見ていても、毎日、オーバーフローの状態。悪い時期になると、呼びかけて、明らかに聞こえているにも関わらず返事をしないし、電話も出ない。

 これでは何のしようもない。

これ以外にも、上司から仕事を引き継がない案件があるのだが、口頭でお願いしてもメールでお願いしても、まったく返答がない。かといって、放っておいたら、後で痛い目を見るのも必定。しかし、呼んでも返事はしてくれないのでは、お手上げである。他の上司にも色々と相談しているのだが、どうも、有効な解決手段が見当たらない。

そもそも、コミュケーションとは、1つの会話、または発する言葉をどう伝えるか?という事が前提にあり、まったく呼びかけても返事をしてくれないのでは、前提にすら達しない。どうしたものか。困った話である。
数年前から、パ・リーグはどこという事もなく、まんべんなく見るようにしている。だから横浜ベイスターズのように「ファン」と言うようなチームは存在しないし、逆に嫌いというチームも存在しない。例えるなら、ふと、テレビをつけた時にやっている試合を見たり、たまたま日程的に、ふらっとパの球場に行って、のんびり見るというような「ゆるゆる」の観戦方法としている。

パ・リーグを見る原点は、17年ほど前に遡る。当時、優勝したロッテのフランチャイズがまだ川崎にあったころ。当時は、今のようにパ・リーグを真剣に観戦する人などいなく、さらには川崎球場など、ほとんど行く人がいなかった。これに目をつけた、てつぼうが通い始めるようになり、一緒に観戦するようになったのがきっかけ。当時の川崎球場の施設、あるいはファンサービスなど今とはまるで比べ物にならないほど貧相だった。でも、そんな中、野球を見るといのは、取り立てて何もやることがなかった高校生にとっては、格好のヒマつぶしで、てつぼうと一緒によく通ったものだ。それからは、ロッテを中心にしばらくパを見ていたのだが、パ・リーグというのは、セに比べ、どこも個性的な選手が多い事が少しずつ分かってきた。それが全てのパ・リーグという組織の特徴という事も分かってきた。

そして、あの薄暗く、客も全然入っていなかったロッテが、当時の大洋(現:横浜)と同じく「自分が生きている間に優勝などすることはないだろう」と思っていたが31年ぶりに優勝。Yahoo!BBドームで熱心にロッテを応援しているロッテファンを見て、本当によかったなぁと思う。何度か、マリンのライトスタンドに行ったことがあったが、やっぱり体の中に染み付いた「緩い観戦スタイル」が抜けない。でも、それはそれでいいのではないかと思うし、川崎で「ゆるゆる」と見ていた自分にとっても嬉しいことには違いない。
仔細あってMIDIファイルを作成。多分、13時間くらいの作業。その昔、自分のサイトはMIDIを扱うサイトで、色々なMIDIを作っていた。楽器の出来ない自分にとっては、スコアさえあって、その通りに音符を入力すれば、メロディになるという事が実に楽しくて、1日中、ヒマさえあれば作っていたものだ。しかし、それから数年たって、いざ作ろうと思うとこれが、かなり地味でしんどい作業。楽しいとは言え、どうしてあんなり作り続けたものかと思う。

大人になってつくづく思うのが、楽器の1つでも弾ければいいなぁという事。もちろん、今から初めてもよいのだが、特技として、ピアノが弾けたりギターが弾けたら、ちょっと人生が変わったかもしれないと思う。

昨日の宴会の話題

2005年10月15日 日常
ブザリアシビリ・ラマジ
 ハハレイ・シビリ・ダビット
 グロム・ザザ

こんな話で盛り上がりました。知っている人しか分からないが、めちゃくちゃ楽しかった。

情報伝達の真意

2005年10月14日 日常
インターネットを始めたのは98年の終わりだったと思う。従って今年で7年目に突入したことになる。何かの雑誌で読んだのだが、

 インターネットというのは凸版印刷以来の世紀の発明

だとか。今や、ニュース、税法、うまい店、電車の時刻とジャンルを問わず検索サイトに打鍵すれば、欲しい情報は簡単に手に入る。情報の取得速度は飛躍的に進歩したという事は、まぎれもない事実である。しかし、情報の伝達には、当然、人が関与している訳で、誰かが発信しているから、取得できる訳である。

今日、7年前、自分がインターネットを始めた事、最初に物理的に出会った人と食事をする機会があった。本当に最初に出会った人達なので、昔話が花が咲く。当時は2ちゃんねるだとか馬鹿な仕組みもないし、blogなどというものも存在しなかった。ちょっとスキルがある人が、Webサイトを立ち上げて、みんなそこに集まり掲示板やらチャットで楽しんでいた。思えば、最近はSNSや簡単に掲示板が設置でき誰でも簡単に情報を発信できる時代。それはそれで便利なのだが、今日会った知人と話していると、根源は、便利やうわべだけの情報ではなく、発信する人間の資質ではないかと改めて認識する。
詳しい内容は書けないが、今日も外部の人(女性)との外出業務。1日かけて色々と調査をして16時30分に終了。昨日に引き続き、スターバックスでコーヒーを飲みながら業務とは無関係な雑談。彼女は自分と同世代。自宅にはテレビないらしいが、ニュースも新聞やWebでチェックしているし、取り立てて困ることはないそうだ。しかし、彼女曰く「ひきこもり」で休日は、何か目的がないと家にいることが多いとか。では、その時はいったい何をしているのか?という質問をすると

 らくがき帳に、今、自分の思っていることを字の練習がてら書く

との事。どういうことか、さっぱり分からなかったのだが、自分が将来、どうなりたいか?というような事を綴っているそうだ。それだけ聞くと、かなり変わった人だと思うのだが、きちんと根拠があって、とある医学系の本によると、人間の脳というのは、自分の希望や欲望を具現的に考えると、その目標に向かい脳のオートパイロット機能が起動するそうだ。例えば単に「お金持ちになりたい」ではなくて「東京の田園調布に一戸建ての家を建て住みたい」といったように具現的に強くイメージする。そして、そのイメージが詳細なら詳細なほど、知らぬ間に、その手の情報が、無意識に引っかかり、目標に向かっていくそうだ。

 かれいさん(仮名)は野球が好きでしょ?
 そうすると、どんな情報でも野球であれば、
 引っかかってくる。それと同じ事です。

なるほど。中々説得力がある。その大原則によれば、思い込みというのも結構大事なんだなぁと感じる。何かで読んだのだが、自分の思っていることや考えている欲望を口にすると、それが実現する可能性が高くなる。それと同じようだ。

成功した実業家達は雑誌のインタビューなどを見ると、ほとんどが、この原則に当てはまるそうだ。成功しているでも失敗しているでもない自分に置き換えると、何ごとも対してもイメージしている力が少ないので、オートパイロット機能が活用されていないのかな?とも思ったのもする。
居酒屋などで、話題にしてはいけない(大きい声で話してはいけない)ものとして、よく言われるが、

 政治の話
 宗教の話
 野球の話

野球の話は野球好きが集まる場所であれば、問題はないとは思うのだが、場所によっては、その土地に「につかわない」チームの話題をするべきではないと言われている。何故か?といえば、それぞれ思い入れがあったり、考え方が違ったりするので、全然知らない人とケンカになってしまうからだ。

時に思う。そもそも、人と人と意見や考えが、がっちり合う人なんて存在しないのではないだろう。こんなことを書くと、友達が全然いない人間みたいだが、逆に聞きたい。「ぴったり意見が合う人なんて、この世にいると言い切れるか?」という事。狭義でいえば、自分とまったく同じ意見や考えなんていう人など、普通は存在しない。それでも、人と人がつながり合えるというのは、お互いがお互いの「ある部分」を認め合い、譲るからである。

 だから、思う。

 意見や考えが合わない状態は狭義の上では普通であり、
 意見や考えがかみ合わないのが不自然である。

言葉や文字というのは、相手に自分の意思を伝える「道具」である事は間違いないが、自分の心底に眠る感情や考えを余すことなく完璧に表現する「言霊」にするのは、かなり難しい。相手に投げかけて、補完してもらうといのが一般的。ここで文字するのは、かなりまどろっこしいが、実は知らず知らずのうちにやっている事だ。補完してもらうのだったら、それはお互い様。当然、ある程度の譲り合いは必要である。しかし、話がかみ合わないのであれば、その手段もないのだから話にならない。だから色々な人の考えを聞き、自分のワークスペースを広げ、Over Flowにならないようにするのが大事ではないかな。こう考えて、生きていくと意外と楽である。

スパムメール

2005年10月11日 日常
毎日、毎日、よくくるものである。もちろん自動アドレス作成で無限に配信しているのは分かるのだが、毎日50通近くは受信する。以前はサーバー上で削除をかけていたのだが、無駄だという事がわかり、面倒なのでやめた。

以前は英語で謎の薬のメールがたくさん到来したが、最近は出会い系ばかり。内容も、どっからどう見ても、ウソの塊。↓今日来たメール

------------------------------------------
最近このような招待メールが頻繁に届いていると思いますが、余
りにも悪戯(架空請求など)のメールが多い為、当サイトは登録及び
紹介などを※完全無料※と致しました。それだけでなく、今現在認
証(無料)を行われると全員漏れなく、★一万円分Pt★(通常一週間
分)が追加されます。
------------------------------------------

だいたい、何で完全無料にすると言っておいて、一万円分Ptなんだ?こんなのにひっかかる奴はかなりいるから、無限にメールが配信されるのだろうな。
神宮での横浜戦。かなり雨が降っていたが、この時期は何が何でも消化したい球団としては強引に決行するだろうと踏んで、友人を拾って神宮に向かう。途中で、相当、降りがひどくなり「さすがに」とは思ったが初志貫徹。迷わず神宮へ。毎度同じみの絵画館の駐車場で、係員のおじさんが「雨でも中止になっても料金は払い戻さないから」と念を押される。チケットを切ってもらい、中に入りいつものブロックへ。と突然、中止のアナウンス。まったくの無駄足。帰りに一緒に行った友人と焼肉を食べて帰宅。結局、貴重な3年休の最終日は、無駄な労力と高速代を払い、不必要な二酸化炭素を振りまき、遠回りして焼肉を食べて終わったという事だ。

 こんな日もある。

せめて中止にするなら、もっと早く決定してほしいものだ。

海外ドラマ

2005年10月9日 日常
Twenty Four Season3がフジテレビで放映しているのだが、一度見たにも関わらず、毎晩欠かさず見てしまう。最後のジャック・バウアーのシーンは何かよかったなぁ。2度目だけどよかった。

海外ドラマといえば、ナイトライダー、エアーウルフ、特攻野郎Aチームなどなど、昔はよい作品が多かった。今や韓流ドラマばかりだが、このような作品もたまには見てみたい。ちなみにバカバカしいが、一番好きな海外ドラマは、

 俺がハマーだ!
 http://www.shammer-dvd.com/

相当、マニアックだけどね。

矛盾

2005年10月8日 日常
たまたま、横浜スタジアムでコンサルタント会社勤務の知合いと話す機会があった。なんでも、1800人規模の大プロジェクトが目下の仕事だそうだ。昔、200人規模のプロジェクトに携わっていた事があるのだが、それでも大変苦労した覚えがあるので、1800人ともなると想像を絶する。詳細はさすがに聞けなかったが、そのプロジェクトの進捗が聞けた。何でも要件定義は済んで、システムの初期設計の段階だそうだ。しかし、いくつかのセクションで要件定義に矛盾が発生しているとの事。

  矛盾

複数の事象があれば、どんなことにでも起こりうる。多くのケースが、こいつをクリアしないと、先に進むことはできない。作りこむシステムは、この矛盾をクリアしていかないとシステム自体の質も落ちるし、この矛盾が積み重なれば、結果として、意味のないシステムが出来上がってしまう。ところが、例えば人間の感情というもの。こちらは、クリアしなくとも、前に進むことができる。それを気にするか、しないか。それだけが問題だ。

色々のケースがあり、網羅するようなことは書けないが、できるだけ、矛盾のない道理の通った考え方をしたいと思う。それで損をするのであれば、それはそれで仕方のないこと。自分が経営者だとしたら、おそらく会社など、とっととつぶれてしまうだろうな。損や得、騙した・騙されたなどいうのは、思い込みだけであって、本当はどちらがよかったのかという事など、ほとんどのケースが分からない。でも、多くの矛盾をクリアすれば、それだけ、自分を救うことになるかも知れないと勝手に持ったりもする。

順番

2005年10月7日 日常
サボり気味のblogだが、人様のblogはだいたいチェックしている。自分と同じ世代(と思われる)人のそれは、「そうだよ、その通り。そうあるべきだ。よくわかる」と思うことが多い。しかし、このblogにリンクしてくれている、若い人達(推定25歳以下)の人達のそれを読むと、実に展開が早い。具体例では

彼女(彼)とケンカする → 別れる → 落ち込む 
→ 友達が励ます → 新しい相手が現れる → その人と付き合う

というようなルーチンが、しかもかなり早いTermで回転している。ちょっと気を抜いてblogを見逃していると「えっ?そんなになっているの?」という事が多い。もちろん、特定の誰かというのではなく、ほとんどの若い人達がこのルーチンにあてはまる。クワトロ・バジーナ大尉が言う所の
 
 
 これが若さか
 
 
ということ。彼等は肉体的にも若いが、ココロも若いし、弾力性があるという事だ。自分は今年33歳になったのだが、何ともうらやましいかぎりだ。考えてみると、自分が、彼等と同じ歳だった時のことを考えると、やっぱり同じだったと思う。つまりは、既にその順番を彼等に受け渡したという事。

「順番」を受け渡した世代として、彼等に「どうか失敗してほしい」と言いたい。何かの判断で、今、とてもよい結果が進行中だとしても、それが我々、大人より長く続くという事は、ほとんどないと言える。逆にあったとすれば、それは、我々が大人ではない証拠であると言えるから。我々が今あるのは、いいにせよ悪いにせよ、多くの失敗の上に成り立っている。勝ち続けるという事など決してありえないからだ。だから、色々なことに対して、リスクを考え、彼等のように物事のルーチンを早く回せない。しかし、こんな事をここで訴えたとしても、彼等の心に届かないという事は、よく分かっている。だから、逆にこの「順番」を気に大小は問わず失敗をしてほしい。この失敗をしておかないと、この先は、取り返しの付かない「失敗」になるからだ。そう、歳をとってしまうと「後悔」する事すら許されなくなってしまうのだから。

Leveraged Buyout

2005年10月6日 日常
(意味)
自己資金は少なくても、金融支援(=買収をしようとする企業の資産や将来のキャッシュフローを担保として銀行借入れなどをおこなうこと)を受けることによって、企業を買収すること。

-----------------------

ライブドア社がニッポン放送株式の買収にかかった時に「次の一手」として候補にあがった資金調達方法(実際に使ったかどうかは不明)で、買収を進めている企業に対し「買収した」という前提で、その会社の資産を担保に資金調達するという方法。言うなれば、他人のフンドシで相撲をとるという話。村上ファンドの次の一手はこれではないかな?と何の根拠もなく予想してみる。心情的に卑怯といってしまえばそれまでだが、資本の原理・原則ではこれもアリなんだろうな。
これはどうも事実らしい。簿価というのは実勢価格ではなく、その会社が認識している物件の帳簿価格。よって、実勢価格とは売買しない以上はまったく関係なく、阪神電鉄(グループ)の「甲子園球場の価値」である。

素人が考えても、広大な甲子園球場の土地が800万というのはある訳がない。では、なぜ、800万円でまかりとおるのだろうか?実は、これは会計に深く関係している。そもそも企業の資産評価というは、原則、取得原価主義といって購入した価額で帳簿に計上する。色々と調べてみると、阪神が甲子園球場の土地を購入したのは大正時代との事。つまり800万円というのは、大正時代に購入した価格のままという事。現代の会計では、実勢価格がいくらだろうと、このような事象が発生する。ちなみに現在の甲子園の土地評価額は約200億といわれている。では、差額は?というと、これは帳簿に現れない、いわゆる「含み益」とも言われる。どうも阪神電鉄というのは、甲子園の他にも、沿線各地に土地をたくさん所有しているのだが、同じように現象になっているそうだ。

そもそも株価というのは、市場の売買価格というのもあるが、その企業の純資産を計算根拠にしている。では、その純資産を示すのは何か?といった場合、貸借対照表といわれる財産と負債の一覧表。純資産とは

 資産から負債を引いたもの

しかしながら、阪神電鉄は200億の土地を800万円で認識しているのだから、当然、資産は小さくなっており、本来の純資産が過小に評価されている。したがって株価も低くなっている。

 村上氏はここに目をつけた

投資に見合うだけ、阪神電鉄に資産があると踏んだので、阪神電鉄の株を大量に取得する。投資して、極論としては阪神電鉄の資産を売り払い、負債を全部返済したとしても儲かるという算段だ。どちらかといえば、これは阪神電鉄云々というより、日本の会計制度、市場株式制度に問題があるとして問題提起しているという側面もあるのではないだろうか。

 ただ、いずれにしても

阪神タイガースと阪神ファン、野球界で資本の原理を持ち込んで、ひと稼ぎしようという発想はいかがなものであろうか。
村上世彰氏が率いる投資会社のM&Aコンサルティング(通称・村上ファンド)が、阪神タイガースの親会社・阪神電鉄の株式を38%取得したとの事。すでに38%というと株式会社においては絶大な決定権を得たといってもよい。どうも、経営陣は株価の上昇はタイガース優勝が原因と思ったいた所、実は買収にかかっていたとの話もある。それはともかくとしても、阪神電鉄が買収されるとなると、当然、タイガースも村上ファンドのものとなる。報道では村上氏がタイガース株式の上場まで示唆しているとか。阪神はセ・リーグ制覇したと思ったら、思わぬ強敵に遭遇したことになる。

だいたいこの手の問題が出てくると、野球規約に照らし合わせるという話が出てくるのだが、去年のオリックス・近鉄の合併問題を見ても、どうも規約自体が玉虫色で、かつ時代錯誤もあり、かなり古びれた規約となってしまっている感がいなめない。規約を作った時では、考えられない事象がここ数年で、続発している。そして最終決議はオーナー会議で決定となっているというのも問題ではないだろうか。規定にないのだから、やってほしくない「上場」などとスキを付かれてしまう。

しかし上場したらどうなるだろうか。もちろん市場に出る株数にもよるだろうが、関西の人の多くは買うのではないだろうかと予想する。プロ野球の成績如何で株価が上下するというは、それはそれですごいし、最下位の翌年の株主総会なども凄いだろうな。

スコープ

2005年10月3日 日常
世の中の事象を反対から見ると、違った側面で見えてくることがある。たとえば、日本には春夏秋冬の四季がある。言わずもがな、こんなことは小学生だって知っている。しかし、四季の間には、梅雨や春の長雨といった「雨季」がある訳で、換言すれば

 四季とは雨季の間の中休み

ともいえる。つまりは視点(スコープ)をどこに当てるかによって、物事の見かたというは、随分違う。似たような話で、景気が良いときは不景気の始まりで、逆は景気がよくなるための助走期間。これも視点の違いによるものだが、もう一つ大事なのは、その当事者の心証。そう。どう思うかによって、ある程度はどうにでも考えられるという事だ。

今の自分が「幸せ」とか「不幸」という数値化できるパラメーターを持っていた場合、この景気と同じように、不幸のエリアに針にあったとして、この先、きっといい事あると思わないと救われない。誰かが言っていたが、人生とは、良いも悪いも半々。だとすれば、これからはいいことがたくさんあるはず。(かなり弱気)
というのは、とある女性シンガーソングライターのアルバムのタイトル(前にも書いた)今でも年に数回、こういったことが起こり、今日がその日のようだ。何故、眠れないか、実はよく分からない。寝よう、寝ようと思えば思うほど、寝られなくなる。別に取り立てて悩みがあるとか、そういったことはないとは思うのだが、どうにかしてほしい。

ところで不眠症というのは病気なのだろうか。でも不眠症が死因というのは聞いた事がないな。最後には寝るのだから、そりゃそうか。

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