人間は神様にはなれない
2005年8月2日 日常http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050802-00000020-maip-soci
最近、飛行機絡みのトラブルや事故が多い。これだけトラブルが続出していて死傷者が出ていないのが不思議なくらいだ。近々に飛行機には乗る機会がないので、かまわないといえば、それまでなのだが、やはり気にかかる。そもそも乗り物の中では、死亡事故率が一番低いのが飛行機といわれていて、どこかで聞いた話だと1/10000くらいだそうだ。およそだが、競馬の18頭立3連単の全通りが4896通りだから確率でいったら安全だと思う。勿論、落ちたら終わりだが。
この前、とある電機メーカーのエンジニアの知人と話す機会があったのだが、「人間だから失敗はある」とのこと。これは医者の知合いも同じ事を言っていた。我々、凡人から見れば、エンジニアだの医者だのという人達は決して失敗などしない、または「少なくとも我々よりは失敗しないだろう」という意識が、頭のどこかにある。(学生時代は銀行員も決して間違わないと思っていたが、入社2日目で銀行側の人為的ミスで数億円が送金されないという事態が発覚し瓦解はした)しかし、やはりそんな事はないようだ。事故やトラブルというは、突き詰めれば人間のミスになる。システムの誤作動といった所で、そのシステムを作ったのだって人間なのだから。人間は神様にはなれない。少なくすることは出来ても決して0になる事はない。
ただ、分かっている事とは言え、飛行機事故や医療事故などには遇いたくはない。「人間だから失敗はある」ではすまされない。しかし、運悪くあってしまった時は「自分の人生なんて、ここで持ち時計がなくなる程度」と思うしかないのだろうな。
最近、飛行機絡みのトラブルや事故が多い。これだけトラブルが続出していて死傷者が出ていないのが不思議なくらいだ。近々に飛行機には乗る機会がないので、かまわないといえば、それまでなのだが、やはり気にかかる。そもそも乗り物の中では、死亡事故率が一番低いのが飛行機といわれていて、どこかで聞いた話だと1/10000くらいだそうだ。およそだが、競馬の18頭立3連単の全通りが4896通りだから確率でいったら安全だと思う。勿論、落ちたら終わりだが。
この前、とある電機メーカーのエンジニアの知人と話す機会があったのだが、「人間だから失敗はある」とのこと。これは医者の知合いも同じ事を言っていた。我々、凡人から見れば、エンジニアだの医者だのという人達は決して失敗などしない、または「少なくとも我々よりは失敗しないだろう」という意識が、頭のどこかにある。(学生時代は銀行員も決して間違わないと思っていたが、入社2日目で銀行側の人為的ミスで数億円が送金されないという事態が発覚し瓦解はした)しかし、やはりそんな事はないようだ。事故やトラブルというは、突き詰めれば人間のミスになる。システムの誤作動といった所で、そのシステムを作ったのだって人間なのだから。人間は神様にはなれない。少なくすることは出来ても決して0になる事はない。
ただ、分かっている事とは言え、飛行機事故や医療事故などには遇いたくはない。「人間だから失敗はある」ではすまされない。しかし、運悪くあってしまった時は「自分の人生なんて、ここで持ち時計がなくなる程度」と思うしかないのだろうな。
手紙を書かなければならない。そう、メールではなくて手紙。とある知合いが事情によってPC環境の無い環境なため、有効な連絡手段が手紙という事に結論ついた。無論、電話でもよいが、さりとて電話で話すようでもなく、どちらかというと、物理的に遠い所にいる人なので、お互い普段おきている事象を書き綴る程度。メールがあればメールというような内容だ。
年に何度かは、それぞれ事情があった封書の手紙を書く。ここ数年、何故かそのようなことが続いている。しかし手紙というのメールと違い、中々、書き出すのに時間がかかるし、やはりメールを知ってしまった以上、面倒なのは面倒。ただ相手から手紙で返事をもらうというのは、メールなんか比べ物にならないくらいにありがたい。
時に今でも、文通なんてしている人がいるのだろうか?と思う。
年に何度かは、それぞれ事情があった封書の手紙を書く。ここ数年、何故かそのようなことが続いている。しかし手紙というのメールと違い、中々、書き出すのに時間がかかるし、やはりメールを知ってしまった以上、面倒なのは面倒。ただ相手から手紙で返事をもらうというのは、メールなんか比べ物にならないくらいにありがたい。
時に今でも、文通なんてしている人がいるのだろうか?と思う。
http://www.bookoff.co.jp/
とあるお好み焼き屋の順番待ち時間を使い、店近くのブックオフに行ってみた。この店は、テレビでCMをやっている限りでは、ただの古本屋くらいの感覚で、中古ゲームくらいあるだろうなと思っていたが、どうも今日行った店舗では、それらの他にも日用雑貨品や洋服まで売っているようだ。
もちろん買うつもりはないのだが、洋服だの家具だのぬいぐるみまで所せましてと陳列されている。しかし、ユニクロに行けば同じくらいの値段で新品が買えることを考えると、今時、普段着を古着で買う人がいるのだろうかと思う。さらに、当然といえば当然のブランド品のバッグ。これも所狭しと陳列されているのたが、中古のブランドバッグというと、色々な怨念が乗り移っているような気がしてならない。例えば別れた男にもらったもので処分に困ったとか。渡す前に別れて男が困って処分したとか。
ともあれ、店に陳列しているということは、それだけ買う人がいるという事。ただ、本やCDくらいならともかく、洋服やブランド物のバック、家具というのは、悪いことではないと思うけが、余計な事を考えて中古品を買う気にはならないな。
とあるお好み焼き屋の順番待ち時間を使い、店近くのブックオフに行ってみた。この店は、テレビでCMをやっている限りでは、ただの古本屋くらいの感覚で、中古ゲームくらいあるだろうなと思っていたが、どうも今日行った店舗では、それらの他にも日用雑貨品や洋服まで売っているようだ。
もちろん買うつもりはないのだが、洋服だの家具だのぬいぐるみまで所せましてと陳列されている。しかし、ユニクロに行けば同じくらいの値段で新品が買えることを考えると、今時、普段着を古着で買う人がいるのだろうかと思う。さらに、当然といえば当然のブランド品のバッグ。これも所狭しと陳列されているのたが、中古のブランドバッグというと、色々な怨念が乗り移っているような気がしてならない。例えば別れた男にもらったもので処分に困ったとか。渡す前に別れて男が困って処分したとか。
ともあれ、店に陳列しているということは、それだけ買う人がいるという事。ただ、本やCDくらいならともかく、洋服やブランド物のバック、家具というのは、悪いことではないと思うけが、余計な事を考えて中古品を買う気にはならないな。
球場から帰宅後、ぱらぱらとテレビのチャンネルを回していた所、BSにて「BSまるごと寅さん大全集」なる番組を放映していた。どうやらBSで「男はつらいよ」全48作を半年かけて放映するらしい。
http://www.nhk.or.jp/torasan/
で、その前夜祭のような番組だったのだが、山田洋ニ監督はじめ、倍賞千恵子、浅岡ルリ子他といったそうそうたる出演者が登場し、あれやこれやと「寅さん」トークで番組を構成する。その中で、なるほどなぁと思ったことを1つ。とある1シーンを見たコメンテーターの山本晋也の一言。
「格好良い」というのは上方(関西)の言葉で、
関東では「様子がいい」という。このシーンは
江戸っ子の寅さんが忠実に表現されている。
とのこと。「かっこよい」というのは、上方の言葉だったのか。初めて知った。しかし、今日び「様子がいい」とは中々、いえないけど。
同じような話で、プロ野球解説者の土橋正幸氏がよく
この投手が、このバッターを抑えるのは容易ではないね
という言い回しをよくするのだが、ここの「容易ではない」(=難しい)というのも完璧な江戸ことば。意外と探してみるとあるものか?
http://www.nhk.or.jp/torasan/
で、その前夜祭のような番組だったのだが、山田洋ニ監督はじめ、倍賞千恵子、浅岡ルリ子他といったそうそうたる出演者が登場し、あれやこれやと「寅さん」トークで番組を構成する。その中で、なるほどなぁと思ったことを1つ。とある1シーンを見たコメンテーターの山本晋也の一言。
「格好良い」というのは上方(関西)の言葉で、
関東では「様子がいい」という。このシーンは
江戸っ子の寅さんが忠実に表現されている。
とのこと。「かっこよい」というのは、上方の言葉だったのか。初めて知った。しかし、今日び「様子がいい」とは中々、いえないけど。
同じような話で、プロ野球解説者の土橋正幸氏がよく
この投手が、このバッターを抑えるのは容易ではないね
という言い回しをよくするのだが、ここの「容易ではない」(=難しい)というのも完璧な江戸ことば。意外と探してみるとあるものか?
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/manabi/data07023.shtml
去年の5月に藤沢市のボランティアに登録したのだが、1年半を過ぎても、まったく依頼なし。ボランティアの内容も簿記講師だから、需要はあってもいいと思う。市に勤める叔父にこのことを話した所、やはりお役所というべきか、突き詰めると予算確保のためという理由もあるそうだ。実際、市民に呼びかけて人材を集めているのだから、もうしこしマシな運用をすればいいと思うのだが、結局はパフォーマンスだけ。どうも活動実績の報告を目にしないので↑のサイトに書かれているようなイメージが事が行われてるなど考えられない。
自分も含めて、登録した人は熱意を持っているのだから、行政側も答えるような仕組みを考えるべきだし、本当に享受したい市民にも、誰も読まない市民だよりではなく、もっと効果的にアピールすべきではなかろうか。
去年の5月に藤沢市のボランティアに登録したのだが、1年半を過ぎても、まったく依頼なし。ボランティアの内容も簿記講師だから、需要はあってもいいと思う。市に勤める叔父にこのことを話した所、やはりお役所というべきか、突き詰めると予算確保のためという理由もあるそうだ。実際、市民に呼びかけて人材を集めているのだから、もうしこしマシな運用をすればいいと思うのだが、結局はパフォーマンスだけ。どうも活動実績の報告を目にしないので↑のサイトに書かれているようなイメージが事が行われてるなど考えられない。
自分も含めて、登録した人は熱意を持っているのだから、行政側も答えるような仕組みを考えるべきだし、本当に享受したい市民にも、誰も読まない市民だよりではなく、もっと効果的にアピールすべきではなかろうか。
弊社の本社はクールビズなど言われる以前より、カジュアルで勤務する事が許されている。それでもDressCodeがあり、最低でも襟がついているとか、ジーンズは駄目といった決まりがあった。ところが先月から、この規定も緩和になり、何を着て勤務してもよいという通達が発令。つまり、ジーンズで出社しようともアロハで出社しようとも、問題ないという事である。実際に通達後、何人かはジーンズをはいて出社してきたが、自分も含めた多くの社員が、以前の規定に準拠した格好で仕事をしていた。それが無難だからだ。
しかし、やはりというべきか。この「何でもあり」というが曲者である。グループ内のどこかの誰かエライ方が一部の社員に「格好がだらしない」と言い始めたらしい。おかげで一部の会社では揶揄されるのを嫌い、わざわざスーツで出社する若手社員が増えてきているそうだ。まさに本末転倒。結局「何でもあり」という名のごく一部の個人見解で、どうにでもなってしまうという、まったく意味をなさない話となったのである。そもそも、この緩いカジュアルというのも従業員の要望で実施した訳ではなく、一方的に通達が出されただけである。それでいて、今更、気にいらないというのなら、最初から出さなければよい。結局、何をやりたいのか?というのが、まったく見えてこない。こんな予想通りの馬鹿げた話を聞かされるのは辟易とする。個人的にはスーツならスーツでも一向に構わない。ただ、その度にケチをつけないでほしい。通達を発表する側も、従業員に丸投げして後出しジャンケンは、そろそろ止めたほうが良いと思う。
しかし、やはりというべきか。この「何でもあり」というが曲者である。グループ内のどこかの誰かエライ方が一部の社員に「格好がだらしない」と言い始めたらしい。おかげで一部の会社では揶揄されるのを嫌い、わざわざスーツで出社する若手社員が増えてきているそうだ。まさに本末転倒。結局「何でもあり」という名のごく一部の個人見解で、どうにでもなってしまうという、まったく意味をなさない話となったのである。そもそも、この緩いカジュアルというのも従業員の要望で実施した訳ではなく、一方的に通達が出されただけである。それでいて、今更、気にいらないというのなら、最初から出さなければよい。結局、何をやりたいのか?というのが、まったく見えてこない。こんな予想通りの馬鹿げた話を聞かされるのは辟易とする。個人的にはスーツならスーツでも一向に構わない。ただ、その度にケチをつけないでほしい。通達を発表する側も、従業員に丸投げして後出しジャンケンは、そろそろ止めたほうが良いと思う。
祖母が亡くなってから、いろいろな人と話したり考えたりすることがある。以前、このブログにも書いたが自らの境遇ということ。自分の父親は長男で自分はその長男。周りに言わせれば、うちの家の4代目になるそうだ。考えてみれば葬式の時も、昔から『あんたは長男なんだから』とか、亡くなった祖母から生前『あんたはこの家から離れてはダメだ』とか『墓守り』と言われてきた。当時は『そんなの俺には関係ない』と思っていたが、ここに来て分かったのが、
自分が、どう思おうと実は全く関係なくて
長男としと生まれてしまったのだから、
やるべき事は既に決められている
この事実を徐々に認識し始めた。このご時世において家督とか男女平等だとか長男、次男とかそういった事は表面上、平等とされている。しかし、実際はそうではないという事を先の葬式で、寝ずに忙しく動く喪主を勤めた父を見て実感する。何年後かの自分というのは、あのような役をこなさなければならないと言う事。もちろん、自分の気持ちなど関係ない。あるとすれば自ら長男として生まれた身の不幸を呪うという事だけ。
ここで親戚付き合いをドロップアウトしたうちの母親の事を考えてみる。誰に聞いたという話ではないが、生まれながらにして、自分がいつの日か『家』において、どのような立場になるかを男の私を生んだ時点で分かっていたのだと思う。何故ならば、自らはドロップアウトしようとも何度となく『(親戚とは)うまくやりなさい』と言われる。理不尽な話である。言われる度に『自分はドロップアウトしておいて勝手な話だ』と思っていた。しかし、時に思う。母と時々、話すのだが、弟に私を比べると厳しく育てたという。(比較だけの問題で他所がどうであったかというのは関係ない)長子という事もあるのだが、やはり、来るべき日のため、自覚も身につけるようにとしたのかも知れない。母親が思い描くような人間にどうかは分からないが、先の祖母の葬式に「こういうものか」と実感する。それは、自分には『長男なんだから』を理由に色々な仕事をこなさなければならない。もちろんMast。しかし、弟は全く何の仕事もしない。面倒とか、やりたくないとか、そういう理由でなくて、何をしていいか分からないし、周りも私に対して言う『長男』という伝家の宝刀も抜けないから、ほっておかれている。この時、これが、母親が自分と弟に対する育て方の差なのかと実感した。通夜が終わった晩、母親からメールが来た。毎度おなじみの『うまくやりなさい』の内容だ。しかし今回は『でも、私の血が入っているから心配している』と付加されてあった。やはり、母は今でも、それに於いては、私の対して心配している様子がうかがわれ、これからも心配し続ける事だと思う。だから逆さに考えるとドロップアウトしたという事は、親戚付き合いというのが、いかに難しいか知っている人間だからだ。
言う事は言う。でも、関係ない
親戚同士の揉め事を一言でくくるなら、この一言に尽きる。多くのケースは言うだけ言って、後は何も関係ないという事。実は『内野にいながら外野の連中』がほとんどだからだ。特に女性は他の家に嫁に行くと『私は家を出たから』ていう常套文句がある。しかし、そうは言っても自分の「生家の針路」があらぬ方向に向かうのは忍びないから、言うのは言うが、後は関係ないという事になるのであろうと類推する。自分は親戚のいざこざのおかげで、小学校を2回変わった。弟は小学校1回、中学を1回変わった。弟はどうか知らないが、子供ながらに大人の都合で、あっちこっちに動かされるのは、いい気分はしなかった。しかし、今になって思うのは、
誰が悪いというものではない
という事。無論、時間の経過というファクターもあるのだが、みんな、それぞれ立場や思いがあり、他人よりいいたい事を言える環境で、責任を持たなくてもよい人が集まれば、おのずと誰かが泣かなくてはないらないという事。そして多くの場合は、本家といわれる直系にかぶさるという事だ。
自分の家は、名家でも何でもない。ただ多くの親戚がほとんど1時間圏内に駆けつけられる環境下にある。多分、これからもそうである。となると、自分がここに残ったとした場合、仮に結婚して男の子が生まれたらどうなるであろうか?やはり何十年か前の自分や母や弟のような目に合ってしまうのかと考える。自分は諦めるとしても、その因果に直接関係ない人達を呪縛に巻き込むというのは甚だ辛い。取るべき道は多くはないと以前、このBlogに書いたが、実は、多くはないのではなく、既定路線しかないのではないかと思う。
自分が、どう思おうと実は全く関係なくて
長男としと生まれてしまったのだから、
やるべき事は既に決められている
この事実を徐々に認識し始めた。このご時世において家督とか男女平等だとか長男、次男とかそういった事は表面上、平等とされている。しかし、実際はそうではないという事を先の葬式で、寝ずに忙しく動く喪主を勤めた父を見て実感する。何年後かの自分というのは、あのような役をこなさなければならないと言う事。もちろん、自分の気持ちなど関係ない。あるとすれば自ら長男として生まれた身の不幸を呪うという事だけ。
ここで親戚付き合いをドロップアウトしたうちの母親の事を考えてみる。誰に聞いたという話ではないが、生まれながらにして、自分がいつの日か『家』において、どのような立場になるかを男の私を生んだ時点で分かっていたのだと思う。何故ならば、自らはドロップアウトしようとも何度となく『(親戚とは)うまくやりなさい』と言われる。理不尽な話である。言われる度に『自分はドロップアウトしておいて勝手な話だ』と思っていた。しかし、時に思う。母と時々、話すのだが、弟に私を比べると厳しく育てたという。(比較だけの問題で他所がどうであったかというのは関係ない)長子という事もあるのだが、やはり、来るべき日のため、自覚も身につけるようにとしたのかも知れない。母親が思い描くような人間にどうかは分からないが、先の祖母の葬式に「こういうものか」と実感する。それは、自分には『長男なんだから』を理由に色々な仕事をこなさなければならない。もちろんMast。しかし、弟は全く何の仕事もしない。面倒とか、やりたくないとか、そういう理由でなくて、何をしていいか分からないし、周りも私に対して言う『長男』という伝家の宝刀も抜けないから、ほっておかれている。この時、これが、母親が自分と弟に対する育て方の差なのかと実感した。通夜が終わった晩、母親からメールが来た。毎度おなじみの『うまくやりなさい』の内容だ。しかし今回は『でも、私の血が入っているから心配している』と付加されてあった。やはり、母は今でも、それに於いては、私の対して心配している様子がうかがわれ、これからも心配し続ける事だと思う。だから逆さに考えるとドロップアウトしたという事は、親戚付き合いというのが、いかに難しいか知っている人間だからだ。
言う事は言う。でも、関係ない
親戚同士の揉め事を一言でくくるなら、この一言に尽きる。多くのケースは言うだけ言って、後は何も関係ないという事。実は『内野にいながら外野の連中』がほとんどだからだ。特に女性は他の家に嫁に行くと『私は家を出たから』ていう常套文句がある。しかし、そうは言っても自分の「生家の針路」があらぬ方向に向かうのは忍びないから、言うのは言うが、後は関係ないという事になるのであろうと類推する。自分は親戚のいざこざのおかげで、小学校を2回変わった。弟は小学校1回、中学を1回変わった。弟はどうか知らないが、子供ながらに大人の都合で、あっちこっちに動かされるのは、いい気分はしなかった。しかし、今になって思うのは、
誰が悪いというものではない
という事。無論、時間の経過というファクターもあるのだが、みんな、それぞれ立場や思いがあり、他人よりいいたい事を言える環境で、責任を持たなくてもよい人が集まれば、おのずと誰かが泣かなくてはないらないという事。そして多くの場合は、本家といわれる直系にかぶさるという事だ。
自分の家は、名家でも何でもない。ただ多くの親戚がほとんど1時間圏内に駆けつけられる環境下にある。多分、これからもそうである。となると、自分がここに残ったとした場合、仮に結婚して男の子が生まれたらどうなるであろうか?やはり何十年か前の自分や母や弟のような目に合ってしまうのかと考える。自分は諦めるとしても、その因果に直接関係ない人達を呪縛に巻き込むというのは甚だ辛い。取るべき道は多くはないと以前、このBlogに書いたが、実は、多くはないのではなく、既定路線しかないのではないかと思う。
大使館が火事になったら?
2005年7月26日 日常何故、そうなったかというのは、忘れたが、
日本にある諸外国の大使館、領事館が火事になったら
日本の消防は消火に向かうのか?
という疑問が発生した。確かに国内にそれがあるとは言っても、大使館・領事館というのは、治外法権だろうし、行った所で勝手に入ることは許されないことは、国際法上でも定めてある。しかし、火事が起きたら?という問題は、文字とおり周りに「飛び火」するという重大な問題がある。この手の質問に効果的に回答してくれそうな知人に、業務中にも関わらず、メールで聞いてみることとした。しばらくして返事をもらう。その方はわざわざ調べてくれたようで、回答としては
閣議での閣僚の発言で、
「大使館には不可侵権があるが、消防車などが入る可能性はある」
との記述があります。
とのこと。なるほど。やはり、火が燃えているところでは、法だの条約な凌駕するという事だな。当然といえば当然か。ただ実際、火事になって大使館・領事館に消防車が入った場合、そこの職員・大使はどのような顔をするのか?とも思う。もう1つが、今まで治外法権と思っていたのが、実は不可侵権という事だそうだ。1つ勉強になった。
日本にある諸外国の大使館、領事館が火事になったら
日本の消防は消火に向かうのか?
という疑問が発生した。確かに国内にそれがあるとは言っても、大使館・領事館というのは、治外法権だろうし、行った所で勝手に入ることは許されないことは、国際法上でも定めてある。しかし、火事が起きたら?という問題は、文字とおり周りに「飛び火」するという重大な問題がある。この手の質問に効果的に回答してくれそうな知人に、業務中にも関わらず、メールで聞いてみることとした。しばらくして返事をもらう。その方はわざわざ調べてくれたようで、回答としては
閣議での閣僚の発言で、
「大使館には不可侵権があるが、消防車などが入る可能性はある」
との記述があります。
とのこと。なるほど。やはり、火が燃えているところでは、法だの条約な凌駕するという事だな。当然といえば当然か。ただ実際、火事になって大使館・領事館に消防車が入った場合、そこの職員・大使はどのような顔をするのか?とも思う。もう1つが、今まで治外法権と思っていたのが、実は不可侵権という事だそうだ。1つ勉強になった。
誰でも知っている大学の法学部卒の友人と話。司法試験に合格したら弁護士という道があるが、勿論、検事になったり裁判官になったりする。ただ、弁護士は業務上で何度も接触する機会はあるが、さすがに検事や裁判官の知合いはいない。そんな話をしていた所、検事はともかく、裁判官というはどのうよになるのか?という質問をした所、司法試験に合格した中のさらに成績優秀者が裁判官になるケースがほとんどだそうだ。
つまり、超がつくエリート
しかし、友人曰く、これには問題があるという。そもそも、民事はともかくとしても、刑事事件は言うなれば世の底辺の事件を裁くケースがほとんど、それを裁く多くの裁判官は限られた世界の中で、どんどんと「ふるい」にかけられて残った人だから、「底辺」など、まるで見た事も想像すらもした事がないそうだ。それでいて判決を出すというのは、いささか問題ではないかという事。
確かに、法は法としても、バックグラウンドの背景を知らない人が公正な判決を下せるのだろうか?という疑問はついて回る。以前に聞いた話では、被告だか、証人だかが、
赤ちょうちん(居酒屋)
という単語を出したはいいが、裁判長が「それは何ですか?」という質問があったとか。自分がその裁判の当事者だったら、そんな人のお裁きは受けたくないなぁというのが本音。昨今言われている陪審員制度というのも、これらの原因があるのだろうか?元来、人が人を裁くというのは不可能だとは思うが、遠山の金さんみたいな人というのも問題あるだろうな。
それより最高裁判所の裁判官の信任投票。この判断基準はまったくない。
つまり、超がつくエリート
しかし、友人曰く、これには問題があるという。そもそも、民事はともかくとしても、刑事事件は言うなれば世の底辺の事件を裁くケースがほとんど、それを裁く多くの裁判官は限られた世界の中で、どんどんと「ふるい」にかけられて残った人だから、「底辺」など、まるで見た事も想像すらもした事がないそうだ。それでいて判決を出すというのは、いささか問題ではないかという事。
確かに、法は法としても、バックグラウンドの背景を知らない人が公正な判決を下せるのだろうか?という疑問はついて回る。以前に聞いた話では、被告だか、証人だかが、
赤ちょうちん(居酒屋)
という単語を出したはいいが、裁判長が「それは何ですか?」という質問があったとか。自分がその裁判の当事者だったら、そんな人のお裁きは受けたくないなぁというのが本音。昨今言われている陪審員制度というのも、これらの原因があるのだろうか?元来、人が人を裁くというのは不可能だとは思うが、遠山の金さんみたいな人というのも問題あるだろうな。
それより最高裁判所の裁判官の信任投票。この判断基準はまったくない。
蓄積したノウハウと伝える能力
2005年7月24日 日常知人が関西から出てきているというので、一緒に昼食をとる事にする。場所は東京ドームホテルの中華ビュッフェ。この友人のお父さんは、とある大学の助教授でバイオの研究をしているらしい。で、友人に
それでは、学生時代は、理科(または数学)で
分からないことがあれば、色々と聞けていいね。
と言った所、意外にも、ほとんど教えてもらえなかったとのこと。何故か聞くと、
分からない所のテキストを持って行くと、問題を見る前に
『このテキストの器具の並べ方を危険だ!』
と言われ「はい、そうですか。もう結構です」という事になったからだそうだ。友人曰く「自分が研究している能力と人に教える能力は別」ということらしい。なるほどねぇ。
この話は、極端ではあるが、確かに自分が理解している事を人に教えるというのは難しい。途中で「ああ、なんで分かってくれないんだ!」と何度もくじけることがあっても、やはり己のコミュケーション力が未熟であると思うことがほとんどである。例えば、その人が恐ろしく、とある学問について、知識が豊富で権威であったとしても、教える力がないというのは、行く行くは埋没してしまう。数ヶ月前の新聞で、自動車業界は来年度の新卒を大幅に増やすという。主な理由は、自社の技術の継承だそうだ。不景気の折、社員の年齢層にばらつきが出て来ているためで、長期展望だと会社自体の損失(技術力の低下)なるという事らしい。この話を上司と話したのだが、実は技術屋さんだけではなく、我々、事務屋というのも、その会社のノウハウというのは個々で蓄積していて、それを若い社員に受け継ぐというのも重要な業務という。
ただ、最近は色々な規制から、運用自体も複雑になってきて、さらには新しい要件もどんどん入ってくるので、運用が固まらないという問題もある。でも、これは、人に教える前に自分で十分理解しないと行けないという根本の問題である。どうやら、人の事など笑ってられないという事だな。
それでは、学生時代は、理科(または数学)で
分からないことがあれば、色々と聞けていいね。
と言った所、意外にも、ほとんど教えてもらえなかったとのこと。何故か聞くと、
分からない所のテキストを持って行くと、問題を見る前に
『このテキストの器具の並べ方を危険だ!』
と言われ「はい、そうですか。もう結構です」という事になったからだそうだ。友人曰く「自分が研究している能力と人に教える能力は別」ということらしい。なるほどねぇ。
この話は、極端ではあるが、確かに自分が理解している事を人に教えるというのは難しい。途中で「ああ、なんで分かってくれないんだ!」と何度もくじけることがあっても、やはり己のコミュケーション力が未熟であると思うことがほとんどである。例えば、その人が恐ろしく、とある学問について、知識が豊富で権威であったとしても、教える力がないというのは、行く行くは埋没してしまう。数ヶ月前の新聞で、自動車業界は来年度の新卒を大幅に増やすという。主な理由は、自社の技術の継承だそうだ。不景気の折、社員の年齢層にばらつきが出て来ているためで、長期展望だと会社自体の損失(技術力の低下)なるという事らしい。この話を上司と話したのだが、実は技術屋さんだけではなく、我々、事務屋というのも、その会社のノウハウというのは個々で蓄積していて、それを若い社員に受け継ぐというのも重要な業務という。
ただ、最近は色々な規制から、運用自体も複雑になってきて、さらには新しい要件もどんどん入ってくるので、運用が固まらないという問題もある。でも、これは、人に教える前に自分で十分理解しないと行けないという根本の問題である。どうやら、人の事など笑ってられないという事だな。
このBLOGは2001年から書き続けているのだが、いつもは日数など気にしないのだが、どれくらい書いているものか?と調べた所、今日で丁度600回目。続けば続くものである。ちなみに連続という事になると、2004年2月5日から今日までで、552回継続中。周りを見回すと意外というか意外に毎日、書いているという人は少ない。自分の場合、1回止まってしまうと、ズルズルと書かなくなるみたいで、中々、止める勇気もない。別に止めるからと言ってペナルティがある訳ではないのだが。
実は日記をつけるという習慣は初めてではなく18歳くらいの時から3年間くらい書き綴っている。その時は1000日を越えたはず。今思えば、こうしてキータッチで日記が書けるというのは、当時に比べれば実に楽である。ちなみに、いつまで続けようとか、そういった発想も1000日を超えてやろうという野望もない。このBLOGは「朝おきて歯磨きする」くらいの感覚で書き綴っている。
しかし、毎日、色々なことを考えているものだと自分でも関心するが、このBLOGを読んでくださる方から「あの日のBLOGよかったよ」と言われることがあるのだが、正直に言うと、2日くらいたつと何を書いたのか、もう一度確認しないと忘れていることもよくある。褒めてくださいる方、どうもすみません。
実は日記をつけるという習慣は初めてではなく18歳くらいの時から3年間くらい書き綴っている。その時は1000日を越えたはず。今思えば、こうしてキータッチで日記が書けるというのは、当時に比べれば実に楽である。ちなみに、いつまで続けようとか、そういった発想も1000日を超えてやろうという野望もない。このBLOGは「朝おきて歯磨きする」くらいの感覚で書き綴っている。
しかし、毎日、色々なことを考えているものだと自分でも関心するが、このBLOGを読んでくださる方から「あの日のBLOGよかったよ」と言われることがあるのだが、正直に言うと、2日くらいたつと何を書いたのか、もう一度確認しないと忘れていることもよくある。褒めてくださいる方、どうもすみません。
News Weekという雑誌がある。たまに買うのだが、どういう訳か週刊プロレスとか、SPAといった、まったく正反対のジャンルの雑誌といつも一緒に買う。正確に言えば買うというより、買ってしまう。今日の昼休みにNEWS Weekを手にとると、そのすぐ下に
週刊プロレス増刊号
が1冊だけあって、今日も当たり前のように2冊とも購入。当然ながら、両方の雑誌で、かたや
小橋vs健介 歴史に残る壮烈チョップ合戦!
かたや
知られざる在日米軍
という見出しが各々躍るくらい共通する記事はない。しかし、これらを続けて読むというのは、違う脳を使って読むような気がして、軽い頭の体操で中々楽しい。
今週号のNews Weekで、師岡カリーマ・エルサムニーというお父さんがエジプト人という文筆家のコラムが中々、面白かった。その中に
東京の30度はカイロの40度
日本人の勤勉さも猛暑の共犯者だ
という事。30度と40度で何故、同じか?といえば、やはり湿度の違いだそうだ。カイロは40度の気温があっても、湿度は10%程度とのこと。記事を読むまで知らなかったが、カイロでは熱帯夜もほとんどないそうだ。また文化の違いと言ってしまえば、それまでだが日本人は「暑いから(仕事、勉強が)できません」などという事は、まず言わないし、言う事は許されない。ところが暑い国では、昼寝の習慣が普通にあるという。日本では信じられないが、これが、世界から見る所の「極東島国の勤勉な民族」と言われる所以でもあるかな?と思ってみたりもする。
この師岡カリーマ・エルサムニー氏が言う所の、東京とカイロの暑さが同じだとしたら、我々はエジプトにスーツ姿で海外旅行をすると言っているのと同じである。「そんなバカなことするか」と思うが、実は日光がアスファルトに照り返す灼熱東京の街中で、汗だくになりスーツを着て仕事をするというのは、まったくそれと同じ。それでは、何故スーツ姿で仕事(特に外回りの営業)をするのか?理由は
・仕事をするのにスーツが当たり前の正装
・エジプトより東京が同じ温度である事なんて、ありえない
という2つの固定観念が、東京の夏に繰り広げられる我慢大会の根源ではなかろうか。といいながら、実は我々、日本人は我慢大会というのも好きな民族ということも付け加えよう
週刊プロレス増刊号
が1冊だけあって、今日も当たり前のように2冊とも購入。当然ながら、両方の雑誌で、かたや
小橋vs健介 歴史に残る壮烈チョップ合戦!
かたや
知られざる在日米軍
という見出しが各々躍るくらい共通する記事はない。しかし、これらを続けて読むというのは、違う脳を使って読むような気がして、軽い頭の体操で中々楽しい。
今週号のNews Weekで、師岡カリーマ・エルサムニーというお父さんがエジプト人という文筆家のコラムが中々、面白かった。その中に
東京の30度はカイロの40度
日本人の勤勉さも猛暑の共犯者だ
という事。30度と40度で何故、同じか?といえば、やはり湿度の違いだそうだ。カイロは40度の気温があっても、湿度は10%程度とのこと。記事を読むまで知らなかったが、カイロでは熱帯夜もほとんどないそうだ。また文化の違いと言ってしまえば、それまでだが日本人は「暑いから(仕事、勉強が)できません」などという事は、まず言わないし、言う事は許されない。ところが暑い国では、昼寝の習慣が普通にあるという。日本では信じられないが、これが、世界から見る所の「極東島国の勤勉な民族」と言われる所以でもあるかな?と思ってみたりもする。
この師岡カリーマ・エルサムニー氏が言う所の、東京とカイロの暑さが同じだとしたら、我々はエジプトにスーツ姿で海外旅行をすると言っているのと同じである。「そんなバカなことするか」と思うが、実は日光がアスファルトに照り返す灼熱東京の街中で、汗だくになりスーツを着て仕事をするというのは、まったくそれと同じ。それでは、何故スーツ姿で仕事(特に外回りの営業)をするのか?理由は
・仕事をするのにスーツが当たり前の正装
・エジプトより東京が同じ温度である事なんて、ありえない
という2つの固定観念が、東京の夏に繰り広げられる我慢大会の根源ではなかろうか。といいながら、実は我々、日本人は我慢大会というのも好きな民族ということも付け加えよう
自分の出た高校は商業高校だったので、学生時代は、それこそ、
読み、書き、そろばん
というようなことを言われた。まあ、そういう技術を習得するような所に行っていたのだから、仕方がないか。ただ、読むという事は、新聞だったり、雑誌だったりと何らか普通に毎日にこなしている。ところが「書く」という行為は、実は思ったほど、やらないもので、上記のように「読む」と並列にこなしているという事は、小説家とかライターでない限りまずない。
実は「書く」という行為はとても難しいことである。職務柄、多くの人に運用指示だとか、システムマスタの登録のインフォメーションをメールで配信するのだが、まず、質問がくる。「自分では、そういうつもりではないのに」と思うようなことを言われて、書いたメールを見ると「ああ、確かにそうもとれるな」と思ったりもする。これは自分の文章に「スキ」があるからであろう。この「スキ」を埋めるには、やはり「読む」と同じとまで言わないが、それなりに、毎日、少しずつでも書き続けるしかないと思う。そういった意味では、このBlogは、トレーニングの一環としての役割もある。
そういえば、ラブレターというのは、書いた事ももらったこともないのだが、数日前に書いた、
何を言うかより、どんな気持ちで言うか?
という事が一番大事
という事が、如実にあらわれる文章の集合体かもしれない。今の若者は、ラブレターなんて書いたりするのだろうか?やっぱりメールなのかな?年に数回、もらう手紙(否ラブレター)というのは、手書きされた文字から、相手の気持ちが伝わってくるものである。
読み、書き、そろばん
というようなことを言われた。まあ、そういう技術を習得するような所に行っていたのだから、仕方がないか。ただ、読むという事は、新聞だったり、雑誌だったりと何らか普通に毎日にこなしている。ところが「書く」という行為は、実は思ったほど、やらないもので、上記のように「読む」と並列にこなしているという事は、小説家とかライターでない限りまずない。
実は「書く」という行為はとても難しいことである。職務柄、多くの人に運用指示だとか、システムマスタの登録のインフォメーションをメールで配信するのだが、まず、質問がくる。「自分では、そういうつもりではないのに」と思うようなことを言われて、書いたメールを見ると「ああ、確かにそうもとれるな」と思ったりもする。これは自分の文章に「スキ」があるからであろう。この「スキ」を埋めるには、やはり「読む」と同じとまで言わないが、それなりに、毎日、少しずつでも書き続けるしかないと思う。そういった意味では、このBlogは、トレーニングの一環としての役割もある。
そういえば、ラブレターというのは、書いた事ももらったこともないのだが、数日前に書いた、
何を言うかより、どんな気持ちで言うか?
という事が一番大事
という事が、如実にあらわれる文章の集合体かもしれない。今の若者は、ラブレターなんて書いたりするのだろうか?やっぱりメールなのかな?年に数回、もらう手紙(否ラブレター)というのは、手書きされた文字から、相手の気持ちが伝わってくるものである。
周りの子供がいないので、まったく分からないのだが、世の小中学校(高校も?)の大半が今日、終業式だったようだ。この前、従兄弟が言っていたのだが、地元の小学校は、我々の時とは違い、2期制で夏休みの他にも秋休みというのも存在しているらしい。土曜日も休みで四季で休みがある。いつ勉強しているのだろうかと思い。思えば40日も休みがあるというは、凄い話である。働き出して、病気でもいない限り40日連続で休もうもんなら、デスクはないだろうな。
夏休みの思い出というと、家族で旅行に行ったとか、そういうのが普通であるが、確かに家族で旅行は行ったのだが、余りピンとこない。むしろ中学・高校時代に、昼は高校野球や都市対抗野球を見て、夜は横浜スタジアムと野球ばっかり見に行った事を覚えている。そう考えると今も昔もやっていることが、ほとんど変わらないという事だ。
夏といえば花火大会。なんだか女性はすごく好きという人が多い気がする。昔は付き合っていた彼女に連れられて行った覚えがあるのだが、どこに行ってもエライ混んでいて、余り良い思い出はない。こう書いていると、夏休みで、人に言えるような思い出というのは、ほとんどないという事だな。
夏休みの思い出というと、家族で旅行に行ったとか、そういうのが普通であるが、確かに家族で旅行は行ったのだが、余りピンとこない。むしろ中学・高校時代に、昼は高校野球や都市対抗野球を見て、夜は横浜スタジアムと野球ばっかり見に行った事を覚えている。そう考えると今も昔もやっていることが、ほとんど変わらないという事だ。
夏といえば花火大会。なんだか女性はすごく好きという人が多い気がする。昔は付き合っていた彼女に連れられて行った覚えがあるのだが、どこに行ってもエライ混んでいて、余り良い思い出はない。こう書いていると、夏休みで、人に言えるような思い出というのは、ほとんどないという事だな。
http://www.shop99.co.jp/
もちろん、店の存在自体は知っていたが、1ヶ月ほど前に近所に出来たので、数日前の話ではあるが行ってみた。最初はそこらのコンビニくらいだと思っていたのだが、生鮮食料品やら普通のコンビニにない商品が所せましと陳列されている。これらが全て99円(税込104円)
この商品数と価格を考えた時に「どうやって儲けているのか?」と事を考えてみた。まず、サイトに書かれているように「薄利多売」というのが基本線であるが、そうは言っても・・・・というのがある。しかも99円とは言え、生鮮食料品を扱っているから売れなければ、そのまま廃棄。という事は、売れないときは結構な痛手も考えられる。となると、売価は99円で決めであるから、いかに原価を安く抑える(大量仕入れによる割引)かという事であろう。これは予想の範疇ではあるが、この99円を逆手にとって、逆に相当簡易な棚卸をし人件費を圧縮しているではないだろうかと推測する(売価還元法)
それにしても、色々なことを考える人がいるものである。このSHOP99は、コンビニというより、ほとんどスーパーで値段も安い。さらにほとんどの店が24時間営業。消費者にとっては至れり尽くせりだが、やっぱり物のクオリティは、99円相当かな。
もちろん、店の存在自体は知っていたが、1ヶ月ほど前に近所に出来たので、数日前の話ではあるが行ってみた。最初はそこらのコンビニくらいだと思っていたのだが、生鮮食料品やら普通のコンビニにない商品が所せましと陳列されている。これらが全て99円(税込104円)
この商品数と価格を考えた時に「どうやって儲けているのか?」と事を考えてみた。まず、サイトに書かれているように「薄利多売」というのが基本線であるが、そうは言っても・・・・というのがある。しかも99円とは言え、生鮮食料品を扱っているから売れなければ、そのまま廃棄。という事は、売れないときは結構な痛手も考えられる。となると、売価は99円で決めであるから、いかに原価を安く抑える(大量仕入れによる割引)かという事であろう。これは予想の範疇ではあるが、この99円を逆手にとって、逆に相当簡易な棚卸をし人件費を圧縮しているではないだろうかと推測する(売価還元法)
それにしても、色々なことを考える人がいるものである。このSHOP99は、コンビニというより、ほとんどスーパーで値段も安い。さらにほとんどの店が24時間営業。消費者にとっては至れり尽くせりだが、やっぱり物のクオリティは、99円相当かな。
プロレスリングNOAH 東京ドーム大会
2005年7月18日 日常去年のNOAH東京ドーム大会以来のプロレス観戦。去年は一人だったが、今年はプロレス好きの友人と2人でいく。ドームプロレスというのは実は、会場としてはふさわしくない。結局は、かなり高いチケットで、それも運よく前の席を確保しないと中々、臨場感のある試合というのは望めず、多くの観客はオーロラビジョンばかりみる事となる。とはいうものの、今やプロレス界において、新日を凌ぐとも言われているNOAHだし、6万人近い人が入る大イベントという事で、5,000円の席ではあるが、行くこととする。試合は全10試合。注目はメインイベントの三沢光晴vs川田利明だったのだが、この2人の全盛期を知っているだけに、「んー、両者とも衰えたな」という感じは否めない。むしろ、セミファイナルの小橋建太vs佐々木健介。この試合はドームの試合にふさわしく、チョップの打ち合い、大技の連発で、ドームのどこから見ても、分かりやすく、ヘンな遺恨などもなく単純に楽しめた。
最近、思うにK−1だのPRIDEだのと格闘技も多岐にわたっているが、やっぱり自分はプロレスが一番好きである。子供の頃からずっと見ていたし、何よりわかりやすい。この感覚は古いのか?
最近、思うにK−1だのPRIDEだのと格闘技も多岐にわたっているが、やっぱり自分はプロレスが一番好きである。子供の頃からずっと見ていたし、何よりわかりやすい。この感覚は古いのか?
言葉になっていない言葉
2005年7月17日 日常昨日のNHK教育の「なるほど日本語塾」の続き。番組内で金田一秀穂氏が登場。この方の祖父は金田一京助、父は金田一春彦で、もちろんというべきか言語学者。で、内容は、街頭インタビューで、ホチキスを提示し
この中(ホチキス)に入れる金属を何と呼ぶか?
という設問。実に色々な呼び名があるもので、
ホチキスの針、ホチキスの弾、止め金、針・・・などなど。
しかしJISの規格によれば、これを
ステイプラー用止め針(とめしん)
というらしい。ただ、こんな言い方する人は誰もいない。これに金田一氏は、
言葉というのは、正確な呼び名など
どうでもよくて、相手に通じればよい
と言っていた。さらに金田一氏は
この世の中には『言葉になっていない言葉』の方が多くて、
我々は、それらのうち『言葉になったもの』で相手と
コミュケーションを図っている
とのこと。さすが、言語学者の言うだけあって説得力がある。これを受けて思うに、何か相手に伝えて、誤解を生んだり、理解してもらえないなどという事は、十分にありえることではないだろうか。しかし、それではコミュニケーション自体を否定することになってしまう。そんな中で、自分の意思を相手に伝えようと思えば、いつだったかのBLOGに書いた通り手の込んだ技法ではなくて、自分の素直な気持ちを相手に伝えることという以外、他ならない。これが結論ではあると思う。結局の所は、言葉というのは、相手に自分の意思を伝える道具であり、根本は自分の奥底に眠る
『本当の気持ち』というのを正確に見出す作業
という事が一番重要ではなかろうか。
この中(ホチキス)に入れる金属を何と呼ぶか?
という設問。実に色々な呼び名があるもので、
ホチキスの針、ホチキスの弾、止め金、針・・・などなど。
しかしJISの規格によれば、これを
ステイプラー用止め針(とめしん)
というらしい。ただ、こんな言い方する人は誰もいない。これに金田一氏は、
言葉というのは、正確な呼び名など
どうでもよくて、相手に通じればよい
と言っていた。さらに金田一氏は
この世の中には『言葉になっていない言葉』の方が多くて、
我々は、それらのうち『言葉になったもの』で相手と
コミュケーションを図っている
とのこと。さすが、言語学者の言うだけあって説得力がある。これを受けて思うに、何か相手に伝えて、誤解を生んだり、理解してもらえないなどという事は、十分にありえることではないだろうか。しかし、それではコミュニケーション自体を否定することになってしまう。そんな中で、自分の意思を相手に伝えようと思えば、いつだったかのBLOGに書いた通り手の込んだ技法ではなくて、自分の素直な気持ちを相手に伝えることという以外、他ならない。これが結論ではあると思う。結局の所は、言葉というのは、相手に自分の意思を伝える道具であり、根本は自分の奥底に眠る
『本当の気持ち』というのを正確に見出す作業
という事が一番重要ではなかろうか。
夜中の2時すぎ(正確には17日の午前2時)、寝る前にパラパラとチャンネルを回していると、NHK教育で「なるほど日本語塾」という番組を放映しており寝る前に見ることとする。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200504/thurseday.html#top
この番組に登場した山田ズーニーという人。肩書きはコミュケーションインストラクター。なんでも元々は小論文の添削をしていたらしい。小難しい事も言っていたが、全体的には、かなり分かりやすく説明していた。何より「なるほど」と思ったのが、自分の気持ちを相手に伝えるには、
何を言うかより、どんな気持ちで言うか?
という事が一番大事
半分、寝ていたが一気に目が覚めた。それにしても、この山田ズーニーという人、インターネットで検索しても、ほとんど出版物の紹介だけで、詳しくプロフィール等が紹介されているサイトはない。短い放映時間の中で、興味深いことをたくさん聞けたので、この人の著書を読んでみようかと思う。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200504/thurseday.html#top
この番組に登場した山田ズーニーという人。肩書きはコミュケーションインストラクター。なんでも元々は小論文の添削をしていたらしい。小難しい事も言っていたが、全体的には、かなり分かりやすく説明していた。何より「なるほど」と思ったのが、自分の気持ちを相手に伝えるには、
何を言うかより、どんな気持ちで言うか?
という事が一番大事
半分、寝ていたが一気に目が覚めた。それにしても、この山田ズーニーという人、インターネットで検索しても、ほとんど出版物の紹介だけで、詳しくプロフィール等が紹介されているサイトはない。短い放映時間の中で、興味深いことをたくさん聞けたので、この人の著書を読んでみようかと思う。
日曜日にNew Yorkに行った友人2人が帰ってくる。平日だし成田まで行くかどうか思案のしどころだったが、どうせ有給も余るし、休んでしまえという事で、車で成田まで。無論、帰国ともなれば、行きより荷物も多くなるし迎えに行った方がいいに決まっている・・というのもあるが、実は自宅から成田まで車を飛ばすには、いい距離だし、なんといっても空港が好きである。
うまく言葉に出来ないが、空港が好きである。どこの空港も、天井が高く開放感があり、今回のように自分が旅行に行かないまでも、行き交う人を見たり、独特の館内放送が流れる中、あわただしく出発・到着案内の掲示板がパタパタと動くだけで「ああ、旅行だな」という気になる。最近はどこの空港もどんどんと近代化されて、非常に利用者にとって分かりやすいシステムとなっているが、それらは昔と余り変わらないというのが、なんともいえず良い。
空港といえばセキュリティチェックに、羽田以外はほとんどひっかかる。こちらもある程度、覚悟の上であるから、ポケットに入っている金属は、全部トレイに出すのだが、それでもひっかかる。だいたいはベルトのバックルが原因のようだが、国内ならともかく、海外は面倒。北京の北京首都空港でも、もれなくピンポーンの毎度の音に引っかかると、無愛想な係員が、英語とも中国語とも分からない言葉で「そこの台にあがれ」と言われる。言われるまま台に上がって、金属探知機で体中を調べられるのだが、北京首都空港はお国柄か利用者が多いため、結構、はずかしい。聞いた話ではあるが、知合いの女性が、海外の空港で同じくセキュリティでひっかかり、どこを探しても金属らしきものが見つからず、個室につれられて、最後は
Metal !!
とまで叫ばれたらしい。色々と調べてみると原因はブラジャーのワイヤーだったそうだ。男には関係ないが、女性の皆さんは海外に行く時には気をつけましょう。それにしても凄い話ではある。とこんなことを言ったり思ったりするのは、テロとは無縁だと思っている日本人だけだろうな。
うまく言葉に出来ないが、空港が好きである。どこの空港も、天井が高く開放感があり、今回のように自分が旅行に行かないまでも、行き交う人を見たり、独特の館内放送が流れる中、あわただしく出発・到着案内の掲示板がパタパタと動くだけで「ああ、旅行だな」という気になる。最近はどこの空港もどんどんと近代化されて、非常に利用者にとって分かりやすいシステムとなっているが、それらは昔と余り変わらないというのが、なんともいえず良い。
空港といえばセキュリティチェックに、羽田以外はほとんどひっかかる。こちらもある程度、覚悟の上であるから、ポケットに入っている金属は、全部トレイに出すのだが、それでもひっかかる。だいたいはベルトのバックルが原因のようだが、国内ならともかく、海外は面倒。北京の北京首都空港でも、もれなくピンポーンの毎度の音に引っかかると、無愛想な係員が、英語とも中国語とも分からない言葉で「そこの台にあがれ」と言われる。言われるまま台に上がって、金属探知機で体中を調べられるのだが、北京首都空港はお国柄か利用者が多いため、結構、はずかしい。聞いた話ではあるが、知合いの女性が、海外の空港で同じくセキュリティでひっかかり、どこを探しても金属らしきものが見つからず、個室につれられて、最後は
Metal !!
とまで叫ばれたらしい。色々と調べてみると原因はブラジャーのワイヤーだったそうだ。男には関係ないが、女性の皆さんは海外に行く時には気をつけましょう。それにしても凄い話ではある。とこんなことを言ったり思ったりするのは、テロとは無縁だと思っている日本人だけだろうな。
この前の日曜日は大井に行っていたため、すっかり見るのを忘れていた「義経」を寝る前にビデオ鑑賞。しかし途中で落ちる。つい最近までやっていた真田太平記は、どんなに眠くても最後まで見ていたのに、義経はイカン。配役が悪いというのもあるのだが、ひょっとしたら台本(または演出)も悪いというのも薄々感じてきて、そろそろ耐え切れなくなってきた。といっても久しぶりに最初から見ている大河ドラマだし、最後まで見るつもりではいる。
このNHK大河ドラマというのは、大変だと思う。そろそろネタが尽きたようにも思えるし、若年層獲得の為に、何はともあれジャニーズ系のタレントを使わなければならない。大河ドラマとはいえ、いつまでも大御所の渡哲也や丹波哲郎を使い続ける訳にもいかないのは分かるが「もう少し勉強してから出て来い」というのが、正直な感想。
このNHK大河ドラマというのは、大変だと思う。そろそろネタが尽きたようにも思えるし、若年層獲得の為に、何はともあれジャニーズ系のタレントを使わなければならない。大河ドラマとはいえ、いつまでも大御所の渡哲也や丹波哲郎を使い続ける訳にもいかないのは分かるが「もう少し勉強してから出て来い」というのが、正直な感想。