昨今において、本籍地というのは余り意味を持たない。以前に比べれば開示する機会もほとんどないからである。ただ戸籍という制度がある以上、ついて回るもではあるが、日本国内であれば自由に自分で移すことが可能である。一番多い言われているのが
東京都千代田区丸の内1−1
言わずと知れた皇居である。皇居はともかくとして今、話題の
尖閣諸島(沖縄県石垣市)
沖ノ鳥島(東京都小笠原村)
竹島(島根県隠岐郡隠岐の島町)
に本籍地を置いている人もいるそうだ。しかしここに本籍を置いている人は、パスポートを取得したり結婚する所轄の役所まで行かなければならない。ただし、上記の役所は石垣市や小笠原村であり「行こうと思えば行ける」所なので、何とかなるが、北方四島に本籍を置いている人。しかも好きで移したのではなく、元々、そこに本籍がある人は大変であろうな。事実上には、渡航が出来ないので、どうしているのだろうかと思う。
東京都千代田区丸の内1−1
言わずと知れた皇居である。皇居はともかくとして今、話題の
尖閣諸島(沖縄県石垣市)
沖ノ鳥島(東京都小笠原村)
竹島(島根県隠岐郡隠岐の島町)
に本籍地を置いている人もいるそうだ。しかしここに本籍を置いている人は、パスポートを取得したり結婚する所轄の役所まで行かなければならない。ただし、上記の役所は石垣市や小笠原村であり「行こうと思えば行ける」所なので、何とかなるが、北方四島に本籍を置いている人。しかも好きで移したのではなく、元々、そこに本籍がある人は大変であろうな。事実上には、渡航が出来ないので、どうしているのだろうかと思う。
いろいろな会社のイントラネット、インターネット環境を見てきたが、自分の会社のそれほど、脆弱な所はない。だいたいは金曜日に「週末にメンテナンスをします」といったメールが届いて、いざ月曜日になると、やれアプリケーションが立ち上がらない、基幹系システムのプリンタが接続しないといった問題が日常茶飯時に発生して、月曜日の午前中はユーザーである我々が、コマンドを叩いたり、プリンタケーブルの接続を確認したりとメンテナンスの時間となる。で、昨日、週の半ばにも関わらず、OSのセキュリティのパッチ配信のメールが来たのだが、案の定、今朝はOSを立ち上げると同時にメーラーやExcel等のOfficeがまったく立ち上がらない。事務屋がExcelを使えないというのは悲惨である。何かのデータを参照しようと思っても、大概はExcelやAccessに格納しているし、住所録すら参照できない。さすがにこのままではマズイのでヘルプデスクに電話をしても、呼び出し音ばかりでまったくつながらない。つながらないどころか、しばらく呼び出しをかけていると一方的に切られてしまう。
やれやれ
ようやくヘルプデスクに電話がつながったのが業務開始してから、2時間後の11時。こんなに電話を駆け続けたのは98年の日本シリーズのチケットをとった時以来だ。ヘルプデスクのお姉ちゃんに話を聞くと
色々な所で、同じトラブルが起きているのですよ〜
との事。ここで、ヘルプデスクのお姉ちゃんに悪態をついた所で、何があるという訳ではないので、黙っていたが、それにしてもひどすぎる。何が何でも失敗するなとは言わないが「色々な所で」起きる問題だったら、少しは問題がおきないような方法をとったらどうかと思う。毎回、こんな脆弱なシステムを使わなければならないというのは、本当に毎回、辟易とする。セキュリティ向上も結構だが、その前にユーザーは「システムは普通に動く」という前提で仕事をしているという事をわきまえてほしいものだ。これを本末転倒といわずして何というのだろうか。
やれやれ
ようやくヘルプデスクに電話がつながったのが業務開始してから、2時間後の11時。こんなに電話を駆け続けたのは98年の日本シリーズのチケットをとった時以来だ。ヘルプデスクのお姉ちゃんに話を聞くと
色々な所で、同じトラブルが起きているのですよ〜
との事。ここで、ヘルプデスクのお姉ちゃんに悪態をついた所で、何があるという訳ではないので、黙っていたが、それにしてもひどすぎる。何が何でも失敗するなとは言わないが「色々な所で」起きる問題だったら、少しは問題がおきないような方法をとったらどうかと思う。毎回、こんな脆弱なシステムを使わなければならないというのは、本当に毎回、辟易とする。セキュリティ向上も結構だが、その前にユーザーは「システムは普通に動く」という前提で仕事をしているという事をわきまえてほしいものだ。これを本末転倒といわずして何というのだろうか。
痴漢に逆転無罪 女性の供述「信用性低い」と福岡高裁
2005年6月1日 日常http://www.asahi.com/national/update/0601/TKY200506010210.html
この裁判は、女性が被害にあったという事を前提として、この事件の本当の被害者というのは誰なのであろうか?と思う。自分も毎日、つぶされそうな電車に乗っているが、できる限り高い手摺を両手で持つようにしている。いつ自分が、この男性の立場になるか分からないからだ。女性が痴漢被害にあうというのは勿論であるが、副次的ではあるが多くの男性にも被害が及んでいるといえる。そういった意味では、差別云々ではなく、実利から言って、消極的ながら女性専用車両は賛成せざるおえない。
むしろ、こんな事件が大々的な報道されること自体が間違っているのだが、女性専用車両の導入によって、痴漢の件数というのは減ったのだろうか?
この裁判は、女性が被害にあったという事を前提として、この事件の本当の被害者というのは誰なのであろうか?と思う。自分も毎日、つぶされそうな電車に乗っているが、できる限り高い手摺を両手で持つようにしている。いつ自分が、この男性の立場になるか分からないからだ。女性が痴漢被害にあうというのは勿論であるが、副次的ではあるが多くの男性にも被害が及んでいるといえる。そういった意味では、差別云々ではなく、実利から言って、消極的ながら女性専用車両は賛成せざるおえない。
むしろ、こんな事件が大々的な報道されること自体が間違っているのだが、女性専用車両の導入によって、痴漢の件数というのは減ったのだろうか?
何故だったかはよく覚えていないが、自分の母校のホームページ(http://www.hiratsuka-ch.pen-kanagawa.ed.jp/)を見てみる事にした。なつかしいというより、卒業してから15年もたっているので、すっかりカリキュラムも変わってしまったし、新しい科なども増えているようなので、一見すると自分の母校でもないように思える。ただWebのおかげで、それ情報だけでも分かるのは、中々、よいものである。
母校のホームページは、お世辞にも「面白い」というページではないが、一応、卒業生である自分が見ると、やはり色々と考える。高校時代はさしたる思い出などなかったが、どうして、この高校に入ってみようかと思ったかという事。実は商業高校に行こうと思ったきっかけというのは、ハッキリと覚えていない。確証は持てないが、当時の自分は一般的な勉強が嫌いで、職業高に行って資格でもとって人と変わった事をやりたかったというのが、中学当時の進学理由だったと思う。それからというもの他に新しい進路(針路)をひねり出すのが面倒だったから、高校の頃から同じことをやり続けて今に至っている。しかし高校時代に培った技術は、簿記でありパソコンでありワープロであるから、これらのおかげで今、飯が食えている。そう考えると中学時代の自分というのは
結構、先見の明があったじゃん
と、今の所は、よかった自分を自分を無意味に褒めてみたりする。非常に気が付くのが遅いのだが、この歳になって思うのが、日々の積み重ねに勝るものはないということ。
以前、ラジオで野球中継の解説者が「若手に自信を持って投げろ!と言っても、あまり効果がない。自信というのは技術の裏づけがあって生まれるものだ」という趣旨のことを言っていた。ウサギとカメのカメではないが、本当に少しずつでも休まず前進していれば、おのずと自信はついて来るものだということ。今の自分は自信があるか?と言われれば「不安要素はあるが、これなら自分でも飯が食える自信がある」と、今の自分の基礎を作ってくれた母校のホームページを見て思う。
母校のホームページは、お世辞にも「面白い」というページではないが、一応、卒業生である自分が見ると、やはり色々と考える。高校時代はさしたる思い出などなかったが、どうして、この高校に入ってみようかと思ったかという事。実は商業高校に行こうと思ったきっかけというのは、ハッキリと覚えていない。確証は持てないが、当時の自分は一般的な勉強が嫌いで、職業高に行って資格でもとって人と変わった事をやりたかったというのが、中学当時の進学理由だったと思う。それからというもの他に新しい進路(針路)をひねり出すのが面倒だったから、高校の頃から同じことをやり続けて今に至っている。しかし高校時代に培った技術は、簿記でありパソコンでありワープロであるから、これらのおかげで今、飯が食えている。そう考えると中学時代の自分というのは
結構、先見の明があったじゃん
と、今の所は、よかった自分を自分を無意味に褒めてみたりする。非常に気が付くのが遅いのだが、この歳になって思うのが、日々の積み重ねに勝るものはないということ。
以前、ラジオで野球中継の解説者が「若手に自信を持って投げろ!と言っても、あまり効果がない。自信というのは技術の裏づけがあって生まれるものだ」という趣旨のことを言っていた。ウサギとカメのカメではないが、本当に少しずつでも休まず前進していれば、おのずと自信はついて来るものだということ。今の自分は自信があるか?と言われれば「不安要素はあるが、これなら自分でも飯が食える自信がある」と、今の自分の基礎を作ってくれた母校のホームページを見て思う。
テレビタックルを見ていたら、東京都では↓のような事例をあげ条例化にする事を検討とのこと。
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1343249
何でもモラルの低下が治安の低下につながるとの論法。そもそも、ここに書かれていることは条例で規制することではない事は、書くまでもない。モラルの問題である。という事は既存のモラルが低下しているという他ならない。では、元々日本人のあった資質というのは、新渡戸稲造著「武士道」に集約されているのではないだろうか。その武士道の中には
・卑劣な行為を忌む義
・敢為堅忍としての勇
・惻隠の情たる仁
・礼儀作法
・信実としての誠
・名を惜しむ
・忠義
・克己
と東京都の条例とはまったく反対な事ばかり書かれているような気がする。それだけ歪んだ世の中になってしまったという事か?
話は変わるが、昨今、橋梁建設工事の談合問題が、取りざされているが、「独占禁止法」というのは、ぶっちゃけて言えば、仲良くやらずに競争しなさい。という趣旨の法律。これは我々日本人の気質に合わない法律のようにも思う。
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1343249
何でもモラルの低下が治安の低下につながるとの論法。そもそも、ここに書かれていることは条例で規制することではない事は、書くまでもない。モラルの問題である。という事は既存のモラルが低下しているという他ならない。では、元々日本人のあった資質というのは、新渡戸稲造著「武士道」に集約されているのではないだろうか。その武士道の中には
・卑劣な行為を忌む義
・敢為堅忍としての勇
・惻隠の情たる仁
・礼儀作法
・信実としての誠
・名を惜しむ
・忠義
・克己
と東京都の条例とはまったく反対な事ばかり書かれているような気がする。それだけ歪んだ世の中になってしまったという事か?
話は変わるが、昨今、橋梁建設工事の談合問題が、取りざされているが、「独占禁止法」というのは、ぶっちゃけて言えば、仲良くやらずに競争しなさい。という趣旨の法律。これは我々日本人の気質に合わない法律のようにも思う。
このTrackBackという機能は便利というか、人様のblogに感想が書けるので、本来あるべきWeblogの最終型の機能かもしれないと思う。それはともかくとして、この、りんさんのblogはいつもながら興味深い。このタイトルだが、
わたしゃ、速球勝負しかしないよ
という訳するのが一番、スマートかな。ともあれ、本音を言うというのは難しい。自分の意思を相手に伝えなければならない時であった場合、本音を言うことが正しいかどうかは、実は、言ってみないと分からない。だから
『私の本音は○○だけど、言ってしまったら、瓦解する』
という確率が高いと判断された場合、人はなるべく本音を言わなかったり、遠巻きに言ったりするものである。これがいいか悪いかは、その人の置かれている環境に左右されるから、一概に「良い」とも「悪い」ともいえないな。
ちなみに、自分は本音はほとんど言わない。というより言えないケースが多いかな。なんでも言っていいと思えることなんて、ほとんどないし、過去を鑑みれば、子供の頃、両親からは「我慢が美徳」というような事を常々言われた記憶があり頭の先から足のつま先まで染み付いている。これが正しいか否かという議論があるのだか、自分としては、例えば、自分の思っていることをぶちまけて、周りを不幸にしてしまうのであれば、言わない事こそ正しいと思う反面、結構、損をしているだろうという事もある。だから
いいも悪いも、同じくらい。
そう思うようにしている。そうでなければ救いがないし、もう33年近く生きてきて、今更「体質改善」をしろというのは無理な話だ。そうすると自分は変化球投手という事になるのか。それはそれでいいかな。革命的に自分を変えた所で、その反動に耐えられるかどうか、そちらの方が心配である。
わたしゃ、速球勝負しかしないよ
という訳するのが一番、スマートかな。ともあれ、本音を言うというのは難しい。自分の意思を相手に伝えなければならない時であった場合、本音を言うことが正しいかどうかは、実は、言ってみないと分からない。だから
『私の本音は○○だけど、言ってしまったら、瓦解する』
という確率が高いと判断された場合、人はなるべく本音を言わなかったり、遠巻きに言ったりするものである。これがいいか悪いかは、その人の置かれている環境に左右されるから、一概に「良い」とも「悪い」ともいえないな。
ちなみに、自分は本音はほとんど言わない。というより言えないケースが多いかな。なんでも言っていいと思えることなんて、ほとんどないし、過去を鑑みれば、子供の頃、両親からは「我慢が美徳」というような事を常々言われた記憶があり頭の先から足のつま先まで染み付いている。これが正しいか否かという議論があるのだか、自分としては、例えば、自分の思っていることをぶちまけて、周りを不幸にしてしまうのであれば、言わない事こそ正しいと思う反面、結構、損をしているだろうという事もある。だから
いいも悪いも、同じくらい。
そう思うようにしている。そうでなければ救いがないし、もう33年近く生きてきて、今更「体質改善」をしろというのは無理な話だ。そうすると自分は変化球投手という事になるのか。それはそれでいいかな。革命的に自分を変えた所で、その反動に耐えられるかどうか、そちらの方が心配である。
どうやら風邪をひいてしまったらしい。朝起きると喉が痛く、まあ、昼くらいになれば、よくなるだろうとタカをくくっていたが、いっこうに良くならない。感じとしては、熱はないのだが、どうも体がだるいし、なんたって喉がどんどんと痛くなる。熱がないので、何もできないという訳ではなかったのだが、やはり千葉マリンスタジアムまで行って、帰りに調子にのって木更津経由アクアラインで帰って来るなど、ちょっとやりすぎたか。
ここ数年、風邪などひいてなかったので、周りの人間には「プールのおかげだ」などといい散らしていたが、何とも情けない話となってしまった。
ここ数年、風邪などひいてなかったので、周りの人間には「プールのおかげだ」などといい散らしていたが、何とも情けない話となってしまった。
なんでも今日は日本海海戦勝利100年の節目にあたる日だそうだ。東郷平八郎元帥の
皇国の興廃、この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ
のもとZ旗をかかげもってロシア太平洋艦隊(バルチック艦隊)を一方的な勝利を上げた日である。この日本海海戦を小説にしたのが吉村昭の「海の史劇」。おそらく高校3年くらいか、いずれにしても20歳前後で読んだ記憶がある。海の史劇によれば、バルチック艦隊が補給や日本軍の奇襲におびえながら、ようやく日本海までたどり着き、連合艦隊にボコボコにされ、また海戦後の様子が詳しく書かれている。
中国では、反日運動がさかんに行われているが、どうやら中国の歴史では、日露戦争というのは、存在していないらしい。この当たりからが問題だよと、5月29日にして思う。
皇国の興廃、この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ
のもとZ旗をかかげもってロシア太平洋艦隊(バルチック艦隊)を一方的な勝利を上げた日である。この日本海海戦を小説にしたのが吉村昭の「海の史劇」。おそらく高校3年くらいか、いずれにしても20歳前後で読んだ記憶がある。海の史劇によれば、バルチック艦隊が補給や日本軍の奇襲におびえながら、ようやく日本海までたどり着き、連合艦隊にボコボコにされ、また海戦後の様子が詳しく書かれている。
中国では、反日運動がさかんに行われているが、どうやら中国の歴史では、日露戦争というのは、存在していないらしい。この当たりからが問題だよと、5月29日にして思う。
今朝からCFO、CEOとの連続ミーティング。ミーティングというより「ありがたい話」を聞くといった方が正しいか。話は予想通りCFO、CEOともに
このエキサイティングな時代に・・・
みたいな話で、すぱらしい会社にして行こう!といった意気高揚の場といってもいいかも知れない。そんな中、注目すべきは、同席の通訳の方。もうの凄い勢いで翻訳しテレビの同時通訳みたい。このような人達は頭の中に英和辞典と和英辞典が入っているのだろうな。しかも通訳はそれぞれ特有の言語の「いいまわし」が数多あるので、見合う訳を一気にしゃべりるという、いわば職人芸のようだ。
このエキサイティングな時代に・・・
みたいな話で、すぱらしい会社にして行こう!といった意気高揚の場といってもいいかも知れない。そんな中、注目すべきは、同席の通訳の方。もうの凄い勢いで翻訳しテレビの同時通訳みたい。このような人達は頭の中に英和辞典と和英辞典が入っているのだろうな。しかも通訳はそれぞれ特有の言語の「いいまわし」が数多あるので、見合う訳を一気にしゃべりるという、いわば職人芸のようだ。
何かの拍子によく出てくる話なのだが、実は1度も合コンというもの参加したことがない。何故かはよく分からないが、誘われたことがあっても不都合で行かれなかったとか、酒を飲めないからとか、合コン好きの友人・知人がいないとか、いくつかの複合的な理由が重なり合った結果ではないかと思う。でも、20代前半くらいに1度や2度は経験しておいてもよかったかなと思う。参加したことのある友人に聞くと「たいして面白くないよ」という返事を多く聞く。それなのに、何故、みんなして参加し、企画したりするのだろうか?とにかく1度も、それに参加したことがないので、どういうものかも分からない。普通に男女の同数が揃って酒飲んで、適当に話して・・・気が合えば「できあがりという事?もう、仮に、この歳になると誘われても、よっぽどのことがないと行かないと思うし、ほとほと興味が薄れてきたというのが本当の所。
結局、興味が薄れてきたという事は、それだけ今、やっている仕事とか趣味に没頭できているというか、探求心が増してきたのだろうかと思う。
結局、興味が薄れてきたという事は、それだけ今、やっている仕事とか趣味に没頭できているというか、探求心が増してきたのだろうかと思う。
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/zhuanwen/200305/zhuan22.htm
こんな方みたいです。
例えば友達との約束をドタキャンされるというのは、腹立たしい。無論、約束とキャンセル理由とを勘案し、それ以上の要件が突発的に発生した場合は別として、それが続くのであれば信用はなくなる。従って、そういった人とは付き合いたくないものだ。幸いな事に、自分の周りでは、そんな輩はいないといっていい。
呉儀という人の意思はどうか計り知れぬが、あっさり「緊急の公務」という「言い訳」を撤回した模様。一国の首相を捕まえて、ドタキャンして結果としてウソの言い訳をして帰国とはいい度胸だし、ナメられている日本側の対応の方もいかがかと思う。中国共産党は国是とはいえ、随分と靖国神社に拘るなぁと感じる。我々が思っている以上に、中国国内のプロパガンダになっているという事であろう。やはり共産国。
反日、靖国、教科書、愛国無罪
スローガンで人民を結束する事に関しては長けているな。
こんな方みたいです。
例えば友達との約束をドタキャンされるというのは、腹立たしい。無論、約束とキャンセル理由とを勘案し、それ以上の要件が突発的に発生した場合は別として、それが続くのであれば信用はなくなる。従って、そういった人とは付き合いたくないものだ。幸いな事に、自分の周りでは、そんな輩はいないといっていい。
呉儀という人の意思はどうか計り知れぬが、あっさり「緊急の公務」という「言い訳」を撤回した模様。一国の首相を捕まえて、ドタキャンして結果としてウソの言い訳をして帰国とはいい度胸だし、ナメられている日本側の対応の方もいかがかと思う。中国共産党は国是とはいえ、随分と靖国神社に拘るなぁと感じる。我々が思っている以上に、中国国内のプロパガンダになっているという事であろう。やはり共産国。
反日、靖国、教科書、愛国無罪
スローガンで人民を結束する事に関しては長けているな。
随分前から自分が勤務している事業所ではカジュアルで出勤するようになった。自分は、変な意地を張っており去年の9月初旬まではずっとスーツで出勤していた。スーツで仕事をするのが普通であると考えていたからだ。で、転機が訪れたのは、知人が「会社の帰りに歩くのは気持ちがいい」と言われてから。9月とはいえ、さすがにスーツで会社帰りに何キロも歩くというのは、大変であるから、このとき、変な意地はかなぐり捨ててカジュアルで出勤することとした。それから、今でもウォーキングを続け、土・日の休日のいずれかにはプールにも通っている。これが功を奏して、17キロの減量、ウエストも17センチダウンに成功。毎月、パンツをサイズダウンしながら購入している。
ところが、ここに来て問題発生。カジュアルで出勤するのは、あくまでも自分が勤務している事業所だけで、自社の店舗はスーツ着用が規則となっている。歪んでいるといえば歪んでいるルールではあるが、客商売という観点からすれば、仕方ないかとも思う。で、年に何度か業務で店舗に行かなければならない。明日、店舗に行くこととしているのだが、スーツはあるにはあるのだが、どれもこれもサイズが大きすぎ。5キロくらいの減量であれば、多少、だぼついていて目立たないが、さすがに17キロ減ともなると、そういう訳にもいかない。ほとんど着なくなったスーツをあれこれあさっていると、いつ買ったか覚えていないグレーのスーツを発見。着てみる。多少は大きいが、なんとかなりそうだ。
今では大きくなりすぎて、はけなくなったパンツが数枚重なっている。さらに随分と古くなった大きなジーンズを今日捨てた。ダイエットもある意味においては不経済である。
ところが、ここに来て問題発生。カジュアルで出勤するのは、あくまでも自分が勤務している事業所だけで、自社の店舗はスーツ着用が規則となっている。歪んでいるといえば歪んでいるルールではあるが、客商売という観点からすれば、仕方ないかとも思う。で、年に何度か業務で店舗に行かなければならない。明日、店舗に行くこととしているのだが、スーツはあるにはあるのだが、どれもこれもサイズが大きすぎ。5キロくらいの減量であれば、多少、だぼついていて目立たないが、さすがに17キロ減ともなると、そういう訳にもいかない。ほとんど着なくなったスーツをあれこれあさっていると、いつ買ったか覚えていないグレーのスーツを発見。着てみる。多少は大きいが、なんとかなりそうだ。
今では大きくなりすぎて、はけなくなったパンツが数枚重なっている。さらに随分と古くなった大きなジーンズを今日捨てた。ダイエットもある意味においては不経済である。
調子に乗って昨日に引き続き大和のプールへ。今日は友人と同行。目的は勿論、バタフライ習得のため。友人に色々とレクチャーを受けながら、最初にドルフィンキックの練習。最初は思いっきり疲れるも次第に慣れてきたのか、余計なところに力が入らなくなったのか、そこそこの力で、予想よりも速く進めるようになる。続いて上半身の動きだが、複雑怪奇な動きも懇切丁寧に教えてくれる友人のおかげで何とかなんなくこなす。ところが、一番肝心のドルフィンキックと上半身の動きをタイミングよく動かすというのが上手くいかない。進むは進むのだが、余計な所に力が入っているため25mプールの半分くらいまで来ると異常に体が重くなる。やはりここが壁であろうな。ところで、レクチャー前に友人に色々聞いたのだが、バタフライという泳法は
・実用性がない
・迫力と威圧感はあるので見栄えはいい
・他に泳いでいる人に迷惑がかかる
・異常に疲れる
という事。確かにドラマなんかで、おぼれている人を助けに行く時は、クロールだよな。バタフライで助けに行くシーンなんて見た事ない。
・実用性がない
・迫力と威圧感はあるので見栄えはいい
・他に泳いでいる人に迷惑がかかる
・異常に疲れる
という事。確かにドラマなんかで、おぼれている人を助けに行く時は、クロールだよな。バタフライで助けに行くシーンなんて見た事ない。
生きていれば、いずれ近き日に、おもしろいこともありましょう
2005年5月21日 読書遊戯時代劇専門チャンネルの「真田太平記」は日々の楽しみとなっている。2度目の再放送だが、何度見ても面白い。最近では昔買った小説「真田太平記」を通勤途中で読んでいるくらいだ。一昨日の放送は、関が原の戦いで、敗者西軍の諸大名に処分が言い渡されるという回。真田家は真田昌幸が西軍についたが、長男の真田信幸(信之)は本田平八郎忠勝の娘・稲姫を嫁としており、分家は東軍と数奇な運命となっていた。つまり、勝者が信幸、敗者が真田昌幸と次男の真田幸村が敗者という図式となる。そして徳川方は真田親子に切腹を命ずるが、これを信幸の岳父である本田平八郎が家康に「真田親子の命乞い」直談判、結果として高野山に閉居に。その知らせを聞いた真田幸村は切腹覚悟だった昌幸に対し
生きていれば、いずれ近き日に、おもしろいこともありましょう
と一言。実際、真田安昌幸は、その後、世に出てくるなく高野山で生涯を閉じるのだが、真田幸村は高野山を出奔し大阪冬の陣、夏の陣でその名をあげる。
「生きていれば、おもしろいこともある」ここで、なるほどなぁと思うのが「おもしろいこともある」という事。普通は「いいこともある」という言い回しだが、真田幸村を上手く描写した池波正太郎ならではないかと思う。
生きていれば、いずれ近き日に、おもしろいこともありましょう
と一言。実際、真田安昌幸は、その後、世に出てくるなく高野山で生涯を閉じるのだが、真田幸村は高野山を出奔し大阪冬の陣、夏の陣でその名をあげる。
「生きていれば、おもしろいこともある」ここで、なるほどなぁと思うのが「おもしろいこともある」という事。普通は「いいこともある」という言い回しだが、真田幸村を上手く描写した池波正太郎ならではないかと思う。
秘書(女性)の方との話で、「趣味が囲碁」という事が発覚。色々と話を聞いてみると、最初はチェスを趣味にしたかったらしが、たまたま初心者の囲碁のコースを見学したら、その先生が
碁盤というのは宇宙で、その宇宙を2人(対局者)が描き出すものだ
という言葉に感銘しチェスから囲碁に鞍替えしたとのこと。また、チェスに比べれば囲碁人口の方も多いという事で「一生もの趣味」とも言っていた。
なるほど、「一生ものの趣味」か
いい事を聞いたと思う。今、自分の趣味は、野球観戦だの映画だの水泳だのと、どちらかというと一人でも出来る趣味ばかり。そういった意味では、2人で描き出すという趣味もほしいかなと思う。
碁盤というのは宇宙で、その宇宙を2人(対局者)が描き出すものだ
という言葉に感銘しチェスから囲碁に鞍替えしたとのこと。また、チェスに比べれば囲碁人口の方も多いという事で「一生もの趣味」とも言っていた。
なるほど、「一生ものの趣味」か
いい事を聞いたと思う。今、自分の趣味は、野球観戦だの映画だの水泳だのと、どちらかというと一人でも出来る趣味ばかり。そういった意味では、2人で描き出すという趣味もほしいかなと思う。
http://www.ippo.ne.jp/g/86.html
ほとんどネットオークションなど使わないので余り事情は詳しくないのだが、こんな輩がいるのか。しかし確実にいえることは、自転車操業というのは、最後に必ず破綻するように出来ている。
同僚で金がなくなると自ら飲み会を開催する人がいる。「どうして、金もないのに飲み会を開催するのか?」と聞くと「飲み会を開催して、そこの飲み代をカードで決済する。無論、参加者には会費を現金で回収」との返事。なるほど。これならカードの上限を超えない限りは、有効な資金調達とも言えるが、やはり続けていれば、破綻するだろうな。
ほとんどネットオークションなど使わないので余り事情は詳しくないのだが、こんな輩がいるのか。しかし確実にいえることは、自転車操業というのは、最後に必ず破綻するように出来ている。
同僚で金がなくなると自ら飲み会を開催する人がいる。「どうして、金もないのに飲み会を開催するのか?」と聞くと「飲み会を開催して、そこの飲み代をカードで決済する。無論、参加者には会費を現金で回収」との返事。なるほど。これならカードの上限を超えない限りは、有効な資金調達とも言えるが、やはり続けていれば、破綻するだろうな。
スポーツ栄養ゼリー飲料VAAM ヴァームゼリー 180g
2005年5月18日 日常http://www.asahi.com/national/update/0517/TKY200505170308.html?tc
こんなことを総務省が調査しているとは思わなかった。どうやってカウントしたのだろうか?
それはともかくとして、最近、よく、色々な人に言われるのが「よく毎日blogを書いていますね」という事。そういわれてみれば、別に誰に強制されている訳ではなく、誰に褒められる訳でもなく、ましてや金をもらえる訳でもないのに確かに続いている。というより、どうも自分は、続けたら辞めない性質らしい。過去を振り返っても、今の所、高校から始めた簿記で飯を食べているし、所属していた部活も辞めたことはない。バイトも掛け持ちで、タイトになりすぎて、どうにもならなくなり1つ辞めた以外は、会社がつぶれたとか、組織自体がなくなったとか、そういった事情で辞めさせられた以外は、自ら望んで辞めたことはない。転職経験もないし、5歳の時から同じ野球チームを応援している。
急に思ったのだが、これはいいことなのであろうか?
今まで生きて来た過程を分析をすると、何かを始めるまでは時間がかかるが、始めてしまうと、相当な年月、継続してしまうみたいだ。ただ、続ける理由が明確にあればいいが、そうではなく、惰性のさらに惰性みたいで、一番の理由が「前からやっているから」というかなりショボイ理由となってしまう。だから、転職する人達に一時期、あこがれた時期がある。数年前に同世代がどんどんと転職していく姿を見て「やめられる勇気」がうらやましかったりもした。自分には「辞める勇気」がなかったから。
ようするに横着なのではないかと思う。確かに何事も一度や二度は「辞めたい」とは思う時期はあるが「辞める」という所まで至っていない。それには、とても膨大なエネルギーが必要な気がするからだ。そんなにエネルギーが必要なら、今のままでいいや。という理屈。これをどう捉えるか。まず一つは、継続していれば、ある程度の「安定」は保証される。しかし、一方では、今より向上する可能性があるにも関わらず、みすみす、そのままにしているとも言える。突き詰めれば、毎度のこと「欲がない」のではないか。聞こえは、いいが、自分では欠点であるとも認識している。
こんなことを総務省が調査しているとは思わなかった。どうやってカウントしたのだろうか?
それはともかくとして、最近、よく、色々な人に言われるのが「よく毎日blogを書いていますね」という事。そういわれてみれば、別に誰に強制されている訳ではなく、誰に褒められる訳でもなく、ましてや金をもらえる訳でもないのに確かに続いている。というより、どうも自分は、続けたら辞めない性質らしい。過去を振り返っても、今の所、高校から始めた簿記で飯を食べているし、所属していた部活も辞めたことはない。バイトも掛け持ちで、タイトになりすぎて、どうにもならなくなり1つ辞めた以外は、会社がつぶれたとか、組織自体がなくなったとか、そういった事情で辞めさせられた以外は、自ら望んで辞めたことはない。転職経験もないし、5歳の時から同じ野球チームを応援している。
急に思ったのだが、これはいいことなのであろうか?
今まで生きて来た過程を分析をすると、何かを始めるまでは時間がかかるが、始めてしまうと、相当な年月、継続してしまうみたいだ。ただ、続ける理由が明確にあればいいが、そうではなく、惰性のさらに惰性みたいで、一番の理由が「前からやっているから」というかなりショボイ理由となってしまう。だから、転職する人達に一時期、あこがれた時期がある。数年前に同世代がどんどんと転職していく姿を見て「やめられる勇気」がうらやましかったりもした。自分には「辞める勇気」がなかったから。
ようするに横着なのではないかと思う。確かに何事も一度や二度は「辞めたい」とは思う時期はあるが「辞める」という所まで至っていない。それには、とても膨大なエネルギーが必要な気がするからだ。そんなにエネルギーが必要なら、今のままでいいや。という理屈。これをどう捉えるか。まず一つは、継続していれば、ある程度の「安定」は保証される。しかし、一方では、今より向上する可能性があるにも関わらず、みすみす、そのままにしているとも言える。突き詰めれば、毎度のこと「欲がない」のではないか。聞こえは、いいが、自分では欠点であるとも認識している。
運命が用意してくれた大切なLesson
2005年5月16日 日常blogのおかげというか、まったく因果関係のない人の考えが、簡単に入手できる世の中になった。どちらかいうと、年上の人から色々なことを教えてもらったり、話を聞いたりというのは、Webと関係なくことではあるが、逆に自分より、若い人の考えや教えてもらうという事は、機会がなかったようにも思える。そういった意味では、若い人の考えをログで見るという事は、興味があり、「ああ、自分もこんな時期があったなぁ」とか「この歳で、こんなことを考えたりするのか」と思ったする。これは、自分自身のCapacityを広げる重要な作業の糧となっている。総じていえるのは、blogに書く若者達は、自分と同世代のそれと比べると、やっぱり悩んでいたり「こんな楽しい事があったよ〜」というような内容は少ないような気がする。自分も含めて、同年代のblogを見ている限り、荒い言い方だか、
昔は色々とありました。
でも、今は些細ですが、こんな事が楽しいです。
というようにも見えたりする。これは偏見かな?でも、それは、正しい姿ではないだろうか。若者が悩むという事はいい事だし、自分を含めた同年代は、みんな、そういった経験をして大人になってきている。それらは、どこかの歌詞ではないが「運命が用意してくれた大切なLesson」だと思う。つまり我々大人は
ああ、そんな頃もあったねぇ〜
というくらいで、それをどうやって克服したかというと、自分も含めて実はキチンとした答えを言える人はいない。非常に無責任な経験談を言い方をいえば、そのうち傷口がカサブタになって、ポロポロとはがれ落ちて、今にいたっているという事。言わば、それから今日まで、それ以上に重要なことを思いついたり、必要に迫られてやらなければならないことが、必ず出てくるという事だ。
以前、会社の研修で「ストレスの講習」を受けたことがある。その中で、講師が「うつ病のなり方」という事を教えてくれた。方法は簡単。一日中、部屋にこもって「俺はダメなんだ」とひたすら言い続けるということだそうだ。もちろん、試したことはないが、なるほど。と感じる。感じるという事は、そういった要素が誰にでもあるのではないか?という事がいえる。
だから、仕事でも勉強でも恋愛でも遊びでも
何でもいいから、ひたすら走り続ける事が大事
と思う。よく人に「多趣味だよね」といわれる。世の中の人がどれくらいの趣味を抱えているかという事は、まったく予想も付かないが、そのもの自体が好きであるというのを前提に、そこに集う人達が好き。そこで得られるものもが好き。そして、副次的ではあるが「何もやらない怖さ」から逃げられるという利点がある。今となっては、だいぶ希薄にはなってきているが。
余り説得力がない話になってしまったが、所謂、凹んだ時に即効性がある方法はZガンダムのアポリ中尉が言っていた通り「汗をかくこと」。ひたすら走り続けたり、泳ぎ続けたり1週間も休まず続けていれば、ちょっとは気が楽になる。ちなみに今、毎週、プールに行ってバカみたにに泳いでいるのは、単に泳ぐことが趣味であって、凹んでばかりいるのではないという事も記す。
昔は色々とありました。
でも、今は些細ですが、こんな事が楽しいです。
というようにも見えたりする。これは偏見かな?でも、それは、正しい姿ではないだろうか。若者が悩むという事はいい事だし、自分を含めた同年代は、みんな、そういった経験をして大人になってきている。それらは、どこかの歌詞ではないが「運命が用意してくれた大切なLesson」だと思う。つまり我々大人は
ああ、そんな頃もあったねぇ〜
というくらいで、それをどうやって克服したかというと、自分も含めて実はキチンとした答えを言える人はいない。非常に無責任な経験談を言い方をいえば、そのうち傷口がカサブタになって、ポロポロとはがれ落ちて、今にいたっているという事。言わば、それから今日まで、それ以上に重要なことを思いついたり、必要に迫られてやらなければならないことが、必ず出てくるという事だ。
以前、会社の研修で「ストレスの講習」を受けたことがある。その中で、講師が「うつ病のなり方」という事を教えてくれた。方法は簡単。一日中、部屋にこもって「俺はダメなんだ」とひたすら言い続けるということだそうだ。もちろん、試したことはないが、なるほど。と感じる。感じるという事は、そういった要素が誰にでもあるのではないか?という事がいえる。
だから、仕事でも勉強でも恋愛でも遊びでも
何でもいいから、ひたすら走り続ける事が大事
と思う。よく人に「多趣味だよね」といわれる。世の中の人がどれくらいの趣味を抱えているかという事は、まったく予想も付かないが、そのもの自体が好きであるというのを前提に、そこに集う人達が好き。そこで得られるものもが好き。そして、副次的ではあるが「何もやらない怖さ」から逃げられるという利点がある。今となっては、だいぶ希薄にはなってきているが。
余り説得力がない話になってしまったが、所謂、凹んだ時に即効性がある方法はZガンダムのアポリ中尉が言っていた通り「汗をかくこと」。ひたすら走り続けたり、泳ぎ続けたり1週間も休まず続けていれば、ちょっとは気が楽になる。ちなみに今、毎週、プールに行ってバカみたにに泳いでいるのは、単に泳ぐことが趣味であって、凹んでばかりいるのではないという事も記す。
毎日のようにスパムメールが入ってきて、いくらブロックした所で、相手は機械的に送り続けるので、対策しようがない。多いのは、エロサイトとまったく訳のわからない英語の薬の宣伝と出会い系。最初のうちは、サーバー上で削除をかけていたのだが、最近は面倒になってメーラーで受信後、Subjectだけ見てローカルで削除作業。
で、出会い系に限らず、お決まりの質問で「よく理想の女性は?」というような問いがある。マジメに考えると、これは凄く難しい質問だと思う。聞き手側は、「芸能人で言うと?」という答えを期待しているのだろうが、ここは言葉をなるべく正確に噛み砕き「理想」という単語にこだわってみる。「理想」を辞書でひくと
*-*-*-*
り‐そう【理想】
1 人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。「―を高く掲げる」現実。
2 理性によって考えうる最も完全な状態。また、実現したいと願う最善の目標あるいは状態。
*-*-*-*
まずありえないだろうと、いきなりNegativeに考えてしまう。そもそも、この定義で「理想の女性」を作り出す方が大変である。何でもそうだが、ある程度、満足することはあっても、どこかに「落ち度」があるはずで、人間であれば、それがないという方がおかしい。そこで考える。知人のサイトの自己紹介にて、座右の名というのがあるのだが、そこには
理想は高いが妥協はする
と書かれている。これが一番、正しいと思う。「妥協」というと、弱腰なイメージがあるが、そうではなく、こちらの考えを受け入りでもらい、相手の意見や考えも受け入れるという前向きに考えた方がよいと思う。ここでお互いが納得したり、しなかったりしを繰り返し試行錯誤して行くのが、一番よいのではないだろうか?
で、話を戻すと「よく理想の女性は?」という質問について。おそらく前述のことまで考えたら話は進まない。もっとラフに考えるべきだと思う。ぶっちゃけた話、「このような話に耳を貸してくれる人ならいいかな」と最近思う。まぁ、余りいないとは思うけど。
で、出会い系に限らず、お決まりの質問で「よく理想の女性は?」というような問いがある。マジメに考えると、これは凄く難しい質問だと思う。聞き手側は、「芸能人で言うと?」という答えを期待しているのだろうが、ここは言葉をなるべく正確に噛み砕き「理想」という単語にこだわってみる。「理想」を辞書でひくと
*-*-*-*
り‐そう【理想】
1 人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。「―を高く掲げる」現実。
2 理性によって考えうる最も完全な状態。また、実現したいと願う最善の目標あるいは状態。
*-*-*-*
まずありえないだろうと、いきなりNegativeに考えてしまう。そもそも、この定義で「理想の女性」を作り出す方が大変である。何でもそうだが、ある程度、満足することはあっても、どこかに「落ち度」があるはずで、人間であれば、それがないという方がおかしい。そこで考える。知人のサイトの自己紹介にて、座右の名というのがあるのだが、そこには
理想は高いが妥協はする
と書かれている。これが一番、正しいと思う。「妥協」というと、弱腰なイメージがあるが、そうではなく、こちらの考えを受け入りでもらい、相手の意見や考えも受け入れるという前向きに考えた方がよいと思う。ここでお互いが納得したり、しなかったりしを繰り返し試行錯誤して行くのが、一番よいのではないだろうか?
で、話を戻すと「よく理想の女性は?」という質問について。おそらく前述のことまで考えたら話は進まない。もっとラフに考えるべきだと思う。ぶっちゃけた話、「このような話に耳を貸してくれる人ならいいかな」と最近思う。まぁ、余りいないとは思うけど。