行政処分

2005年1月14日 日常
Numburの競馬の記事にて。近年、競馬の審議時間というのがとても長くないってきているという。色々の原因はあるらしいが、中でも興味深い原因の一つが芝が痛まなくなったため、こぞってどの馬も内埒沿いを走り、各馬がゴチャつくケースが多く、そこでの審議対象が多くなったそうだ。芝がよくなったのは良いが、意外な所でトラブルがあるものだと思う。

全然、知らなかったのだが、騎乗における審議等で下された処分(騎乗停止、過怠金等)は行政処分だそうだ。よく考えたら「お上」が胴元だから当然か。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050113-00000001-yom-pol

日本人というのは「愛国心」という言葉をいえない民族だと思う。とは言え、多くの日本人は自分の出身地や住んでいる所に愛着を持っていないという人は少ない。つまり「思っているが口に出せない」というのが正しい表現。これらは歴史から来る隣国への配慮という以外、余り理由が思いつかない。戦後も今年で60年になる。「愛国心=軍国主義」という考えは方向転換してもいいのではなかろうか。

大して勉強していた訳ではないのだが、教育基本法に今さら「真摯に学習」という言葉を盛り込むというのは、いかがなものであろうか。記事を読めば、学力低下に伴い・・・というようなことが書いてあるが、これで「ゆとり教育」というのが真摯に誤りであったという事と捉えることが出来る。。

http://www.sodateage.net/mainpage/NEET/Top.htm

こんな言葉があるとは知らなかったが、68万人も、そんな人がいる方が驚く。
昨日、プロジェクト?を見ていたら、10年前、阪神淡路大震災で、被災に合った焼き鳥屋の店主が、店を再開後、店内に募金箱をおいているとの事。その店主は

 被災に合った時、全国の皆さんに助けてもらった
 それを忘れたらイカン。今度は(新潟で)困っている人を助けるのだ

という趣旨のことを言ったいた。そりゃそうだよ。当たり前なんだけど、最近は、どうもこのような風潮が希薄化しているような気がしてならない。思いやりとか、恩返しというのは日本人という民族の多くは「恥ずかしい」「照れる」と言った感覚が多分にあるのだが、これで終わってしまうという感じがある。「恥ずかしいからやらない」これでいいのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050111-00000005-zdn_n-sci

毎日、バカみたいにスパムメールとバカなエロメールが来る。おそらく出し続けている奴等は、ランダムにメールアドレスを作成し続けて送り続けるといったサルのようなことをやっていると思うが、なくならないという事は、バカなメールにひっかかっている奴等がいるからであろう。これらは辞めろと言っても止まるものでもないと思う。抜本的にプロバイダーで何とかしてもらわないと10年どころか来年の今頃はにも「破壊的なネット攻撃」になりそうだ。

成人式

2005年1月10日 日常
ニュースで新成人が暴れるニュースが出始めたのは何年くらい前からであろうか?今年も漏れなく、その手のニュースが見られたが、暴れる云々よりも彼等は何のために成人式に行ったのかの方が気になる。あっ、暴れるために行くのか。納得

泳ぐ

2005年1月9日 泳ぐ
今年の初泳ぎ。いつも行く大和引地台プールは改装のため、2月下旬までおやすみ。よって地元の秋葉台温水プールへ。今年からメニューにクロールを取り入れる事に。しかし普段は平泳ぎしかやっていなかったので、大変に疲れる。しかも秋葉台のプールは25mのプールが1本だけであるから、精神的にも単調になりがちで、ほとんど修行僧のような感じだ。それでも水の中で泳いでいたり歩いていたりするのはとても気持ちがいい。しばらく続きそうである。今年もたくさん泳ごうと思う。

麻雀

2005年1月8日 日常
去年から、オフシーズンの間、観戦仲間と麻雀をよくやる。今年は中々、面子の予定が合わずに2回目であるが、やりはじめると止まらず、8時間、9時間と続いてしまう。無論、大変疲れるのだが、やはりやっていると楽しいし、いい頭の運動にもなる。自分は弱いのだが、それでも楽しい。下手な横好きというべきだろうか。

それにしても麻雀とは実によくできたゲームだと思う。絶対数の決まっている牌から自分なりの「推理と感」で手牌を組み合わせて作っていくというのは、毎局ごとまったく違う「推理と感」を要求される。だから何時間やっていても飽きないのだろうな。

法規集

2005年1月7日 日常
決算という事で「会計法規集」なる会計に関わる法規をよく時期である。法規というのは、誰がどうみても「堅い」というイメージがあるのだが、よくよく読んで見ると意外と「へ〜なるほど」と関心するような事項も多い。下手な詩より詩な条文もあったりして、結構面白い。
http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb05010601.html

峰岸社長の発言は、「負けるのが前提」という感じで、いかがなものかと思うのだが、本題として「集客」のために色々な企画を催すのは賛否両論は色々とあると思うが、大変結構だと思う。机の上だけで「あれはダメ、これはダメ」ではなくて実際にやってみてダメかどうか判断するというのは正しいことである。やる前から「ダメ」と言ってしまっては、何事も先に進まないということ。

翻訳・通訳

2005年1月5日 日常
グループ内の社員で、上海生まれで英語、日本語を話せる人がいる。無論、上海生まれだから広東語もOK。つまり3ヶ国語を話せるという人がいるのだが、普通に日本語で話していると、途中で外国人だという事を忘れるくらい素晴らしい日本語を話す。かと思えば突然、余所から英語で話しかけられると、すぐさま英語で切り替えして会話をしている。本当に凄い人だと思う。

通訳の人(通訳が出来る人)に話を聞くと、通訳というのは大変な仕事だそうだ。何より、外国語から日本語、日本語から外国語といった具合に双方の倍、話さなければし、それに伴う数多のボキャブラリを必要とする。これだけ考えただけでも疲れてしまう。手短な所では英語が話せればいいと思うが、こんなこと考えただけで辟易としてしまうな。
先日、忘年会で古くからの友人が、

 金の為に人を殺すのと、自分の信念で人を殺すのではどちらがマシか?

というなんとも殺伐とした質問を投げかけてきた。どっちも殺すのだから、マズイというのが正解だと思うが、それはそれとして、友人が言うのには「金の為に人を殺すほうがマシ」という返事が返ってくる。何故か?とたずねると、「金は人類共有の価値ではあるが、自分の信念というのは、自分だけの価値でしかないから」という事らしい。分かったような、分からないような・・・

インターネットを始めて、随分とたつ。パソコン、携帯、会社などあわせると、メールアドレスも10個くらいはあるのではなかろうか。そんな中で、フリーメールでメーリングリスト用のアドレスを随分前に取得したのだが、この年末・年始にサーバー側でスパムの被害に合い、メール送受信が止まってしまった(現在は復旧)こちらのアドレスでは大したメールも来ないし、なくても困らない問題ないアドレスなのだが、一応、運営サイトのBBSで障害情報を確認。そこには「メンテナンスがんばってください」と言う書き込みも数多あるのだが、中には「早く直せ」だの「使えなくなるのは困ります」という書き込み、さらにはメンテ終了後「改竄されています」という、ほとんど嫌がらせだと思われる書き込みも、結構あった。

このネイティブな書き込みをしている人達はどうゆう人達なのだろうかと考える。本当に嫌がらせで書いている奴等は論外の外として、フリーメールを承知で、フリーであっても「早く直せ」と本気に思っている奴等は、何なんだろう。無料でサービスを享受していて、それがアクシデント(しかも不可抗力)でサービスが停止しているというのに、成人君主のように掲示板にクレームをつけるというのは、使えて当たり前という感覚でしかないのであろうか。こうなるとその人自身の資質の問題だろう。
結局の所、なんらかの恩恵や、経済的供与を受けていて、それがある日、突然止まると「止まることはおかしい。何故、供与をしないのだ」と普通に言える事が、どう考えてもおかしい。しかしながら、BBSの書き込みを見ていると、昨今では自分のような考え自体が「おかしい」と思われるのだろうか。なんかとても歪んだ話だと思うが。

正月休み終わり

2005年1月3日 日常
なんて事のない正月休みも今日で終わり。とりたてて何をするという訳でもなく、単に96時間を潰すだけの休み。でも「実のある休み」というのはどういったものであろうか。結局、来年の休みもこうして終わるのだろうな。逆説的に考えると仕事をしていというのは結構、楽なのかもしれない。

正月らしさ

2005年1月2日 日常
ファミレスもコンビニも今ほどなかった、その昔の正月というのは、独特の雰囲気があった。陽は明るいのどこに行っても店はシャッターを下ろしており、人影もまばはらで「ああ、正月だなぁ」と感じたものだが、昨今は、コンビニ、ファミレスはやっているし、大手スーパーも下手をしたら元日から営業をしている。従ってちょっと大きめの駅の周りであれば、普段とそんなに変わらない日常的な光景ともいえる。

思えば年末年始というと、レコード大賞を見て紅白を見てという王道パターンがあったのだが、新聞は「紅白の視聴率は過去最低」と書き立てるが、そもそも今やそういった年末年始を過ごす人も少なくなったのではないだろうか。結局の所、近年で日本人が正月を迎える、迎え方というのが大きく変化して来て、「昔ながら過ごし方」とは随分と乖離したようにも思える。それはそれで仕方のない事なのだろうか。
何事も「はじまりがあって、おわりがある」という事で、ある程度の区切りをつけるとすれば、元旦というのが一番スマートだと思う。さて、今年は何か所信を掲げようかと思うのだが、とりたてて浮かんでこないというのが最近の話。「何かいい事ないかなぁ」と去年くらいから、口癖のようになっているのだが、さりとて、具体的に「これ」というのが出てこない。無気力なのであろうか。

毎年の事ながら、自分の正月休みというのは短いという事もあり、どこに行くという予定も立てない。今年も例外なく元旦だというのに何もやる事がなく、かといって家にずっといるのも嫌だったので、映画を見に行く事にする。場所は海老名。自宅から車で30分もあれば着く所で、チケットはWebで予約。1時間前に出て、余裕で現地に着く目論見だった。ところがこれが大誤算。海老名に入った途端、大渋滞でまったく車が動かない。余裕とタカをくくっていたのが、あっという間に上映時間となる。それでも何とか館内に入りチケットを購入しようと自動発券機にカードを通すも反応なし。係員を呼んであれこれ話を聞くと、どうやら、予約した別の映画館に来てしまったらしい。言い訳だが、上映時間も上映作品もほとんど同じである。これに時間がないというカテゴリーを含めたから間違えてもやむなしい。しかたなくWebで予約したチケットは泣く泣く潰して、あるべき映画館に移動して2本のハシゴ鑑賞。新年から、こんな目に合うとは、今年もさしていい事はなさそうだ。

2004年という年

2004年12月31日 日常
仕事が昨日で終わり、恒例の寿司屋での忘年会も無事に終わると大晦日。これも毎年変わらない。午後の起床であっという間に紅白がはじまる。こんな年の瀬というのも慣れてきた感があり、行く年を惜しむという時間も余りないようだ。といいながら、2004年という年をおおざっぱに改めて振り返ってみる。

今年の前半は去年末の「宿題」が残ったままとなり、それらの整理に明け暮れたと行った所か。しかし「宿題」をやろうにも決定権は最初から自分にはなかったらしく、相手の勝手な言い分や、それすらないまま話は勝手に終わられてしまい、どうしようもなくなった時期があった。結局の所、この世の中には自分の力だけでは、どうしようもないことが数多に存在し、結果的には「やったもの勝ち」「騙された奴が悪い」という自分からしてみれば卑怯以外の何者でもないという事象があるという事が現実的に起こってしまう。3月前半まで、それらを深く考えたおかげで、ストレスから来る首の周りの炎症を起こした。無論、この問題自体は、先方は終わった話だと思われるが、こちらとしてみれば、ほとんどまともな説明すら受けておらず「時間が解決する」などと言った甘い問題ではないという事。これらは来年以降も引き続き残る話だとも思う。

5月には2度目の海外旅行である韓国に行った。今や韓流ブームといわれているが、5月はその「ブーム」といわれるちょっと前といった所か。韓国という国はどこもパワフルで、それに圧倒された感がある。何より近いというのが魅力的だし食べ物がおいしい。またしばらくしたら行きたい。というより時間とお金がある時には海外旅行に行くべきだとすら考えるようになった。

9月、初めての強制休暇をとる。2週間もの休みの間に何をするか色々と考えたが、歳のせいか「健康」といったことに目覚め、会社帰りにウォーキングをしたりプールに通うようになった。特にプールは最初のうちはキツいが慣れてくると非常に気持ちいいもので、今となっては週に1度、プールに行かないと禁断症状に近いものとなる。これは来年も継続して続けて行きたい。

12月は、毎年の事ながら忘年会のラッシュ。結果8つの忘年会をこなすこととなる。自分は酒が飲めないが、それでも快く誘ってくれた友人・知人には感謝したい。こういった話はお金の問題ではなく「誘ってもらえるだけありがたい」と考えるようになった。

ざっと、振り返ったが、通年を通しては、野球観戦が63試合、映画が53本、海外旅行1回、プール、ウォーキングが数知れず、とかなり中身が濃い1年となっと思う。しかし同世代で家庭を持っていても全然おかなしくないという事を考えれば、いかがなものかとも考える。
年間回顧といえば「色々あった」というのが常套文句ではあるが、逆をいえば「色々とはない」という年など存在せず、むしろ色々あった中で、自分の記憶に、より深く刻め込める事象が多いか少ないかという事ではないであろうか。2005年という年がどのうよな年になるか分からないが、多くの事象を正面から受けてとめて、結果はどうあれ自分の中に深く刻み込める年にしたいと思う。
すごい事態となっているインド洋周辺諸国。社内メールで上記のようなsubjectで回覧がまわる。

 Tsunami??

どうやら、辞書をひいても「津波」は「Tsunami」と記載されている。秘書に確認すると、英語ではTidal Waveともいうらしいが、Tsunamiと記載されているケースが多いようだ。結構、有名な話なのであろうか?

忘年会7

2004年12月29日
いつから始めたか忘れたが、中学時代の同級生6人と恒例の忘年会。なんだかんだで、毎年6〜7人は集まる。同級生が集まれば、昔話という雰囲気もないではないが、どちらかというと今の話がメイン。今年は自分を含めて7人が集まったが、うち半分は結婚しており、子供がいる同級生もいる。となると、子供はいる友人達は「育児トーク」に走り、よほどに関係ない自分等は、どうしようもない他愛もない話となる。年々、会を重ねるたびにこの現象が顕著になっている気がするが、これも時間の流れだろうか。

同級生の中に高校の教師をしている奴がいて、現在の教育現場というものを聞く事ができたが、それはそれは我々の時代では考えつかないような事が当たり前のように起きているそうだ。近い将来、そんな生徒達が社会に入ってくると考えると、ちょっとうんざりするな。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041228-00000101-mai-bus_all

実は意外とよくある話である。ニュースになるかならないかというのは、金額の大小でしかない。しかし考えてみれば人の金を預かって、金額の大小というのは余り関係ないようにも思える。学生時代、銀行は「絶対間違いない」というようにも思えたが、9年前、会社に入って2日目に銀行側の過失によって億単位で送金を失念されたことがある。つまりは、所詮、人間のやること、間違いはあって当然。よって故意にやらかすのは、運用側に責任があるという事を忘れてはならない。

有給休暇

2004年12月27日 日常
強制休暇があったので、一概にそうとも言い切れないが、強制休暇を除いた今年の有給消化日数は3日。多分、社会人になって一番消費が少ない年であった事は間違いない。12月の半ばにこのままいくと8日ほど有給が消滅することを確認し、有給を入れることとする。

しかし、さりとて、やるべき事はなく、またしてもプールへ。結局、有給を使うがいいが、この程度なら「別に休まなくてもいいか」という気分にもなった。では、どういう時に有給を使うのが有効的か?というと、すぐに「これ」というのは出てこない。つまり、それほど、仕事以外で大した要件なんてない生活という事だ。

恒例

2004年12月26日 日常
もう5年くらい前から、ずっと続いていている恒例の関西での食事。今年はヒルトン大阪で中華のオーダーバイキング

http://www.hiltonplaza.com/hotel/restaurants/shop2.html

さすがにヒルトンに入っているレストランなだけあって、オーダーバイキングといえども、かなりの料理が出てきた。大阪駅前の立地を考えればコストパフォーマンスはまずまずか。

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